今日の昼食時間に、「こころの時代」という番組を見ました。
京都・妙心寺の塔頭(たっちゅう)東林院の住職さんの、
精進料理で極める禅の道を聞くことができました。
人は生きていく為に、自分以外の命をいただいていくことになります。
精進料理ですから、お肉やお魚はいただかないまでも、お野菜や果物などにも命があり、
その命をいただくという行為に真剣に向き合うことで、命のありがたさを実感すると
話されました。
ニンジン一本を、いかに無駄なくいただくか…。
本来の味を、いかにおいしくいただくか…。
その色合いを、いかに変えることなくいただくか…。
そんなことを考えて調理し、ありがたく口に運ぶ…。
ニンジンも、そうして食べられることを望んでいるかもしれないと言っておられました。
たとえば、ニンジンを調理するということは、
ニンジン(食材)を作られた人を思い、ニンジンの身になり、
無駄のないおいしい食べ方を考え、食べる人へ思いを馳せる…など、
自分以外の人やニンジンに対する思いやりが湧いてきます。
それが、『禅』の道への第一歩かもしれません。
禅を勉強したい…と、特に思っているのではありませんが、
人や物を大切にすることは、心を尽くして生きることになります。
日頃、そこまで考えることなくお台所に立っていますが、
せっかく、調理をすることができる状況にいます。
しかも、一日に3度も立つことができますので、
その時間をもっと大切に、丁寧に、心を尽くしてお料理を作っていきたい…。
そして、一箸一箸をよく味わいながら食べるようにしたいと思いました。
今日は曇り空でしたが、八ヶ岳には雲がかかっていませんでした。
京都・妙心寺の塔頭(たっちゅう)東林院の住職さんの、
精進料理で極める禅の道を聞くことができました。
人は生きていく為に、自分以外の命をいただいていくことになります。
精進料理ですから、お肉やお魚はいただかないまでも、お野菜や果物などにも命があり、
その命をいただくという行為に真剣に向き合うことで、命のありがたさを実感すると
話されました。
ニンジン一本を、いかに無駄なくいただくか…。
本来の味を、いかにおいしくいただくか…。
その色合いを、いかに変えることなくいただくか…。
そんなことを考えて調理し、ありがたく口に運ぶ…。
ニンジンも、そうして食べられることを望んでいるかもしれないと言っておられました。
たとえば、ニンジンを調理するということは、
ニンジン(食材)を作られた人を思い、ニンジンの身になり、
無駄のないおいしい食べ方を考え、食べる人へ思いを馳せる…など、
自分以外の人やニンジンに対する思いやりが湧いてきます。
それが、『禅』の道への第一歩かもしれません。
禅を勉強したい…と、特に思っているのではありませんが、
人や物を大切にすることは、心を尽くして生きることになります。
日頃、そこまで考えることなくお台所に立っていますが、
せっかく、調理をすることができる状況にいます。
しかも、一日に3度も立つことができますので、
その時間をもっと大切に、丁寧に、心を尽くしてお料理を作っていきたい…。
そして、一箸一箸をよく味わいながら食べるようにしたいと思いました。
今日は曇り空でしたが、八ヶ岳には雲がかかっていませんでした。