想いのままに…

日々の生活の中で感じたことを、想いのままに綴りたいと思います。

カタツムリ

2015-08-24 22:10:52 | 日記
「大きなカタツムリよ。見て…!!」

今日、お散歩に行くために玄関を出ると、私の目に入ってきたのです。
カメラを向ける私に、主人が手を出してくれました。
どれほど大きなカタツムリなのか、わかりやすいように…と。

ゆっくりと歩いていたカタツムリは、私の騒々しさに驚いたのか、
一瞬動かなくなりましたが、危害を加えられるのではないと思ったのか、
やがて、大きな殻を揺らしながら動き始めました。

カタツムリ…ではないのですが、私は遠い昔を思い出していました。
中学1年の頃だったと思います。
老人大学の日帰り旅行のボランティアということで、
四国の観音寺に行ったことがあります。
その時の旅のメインは、有明浜の白砂に描かれた巨大な砂絵の『寛永通宝』を見ることでしたが、
私にとっては、波打ち際の白い砂浜に散らばっている色とりどりの貝を集めることでした。

その形が、貝というよりもカタツムリだったのです。
表面は、ピンクや黄色、緑がかったものや青みがかったものまで、いろいろでした。
そして、貝の渦の中は、白色というよりも銀色に近く、輝いていたのです。

いくつも拾って、持ち帰りました。
(持ち帰っても良かったのかどうか、考えることはありませんでしたが、
「持ち帰らないでください」の看板はありませんでした。)

学校の友達に言っても信じてもらえず、その貝を学校に持って行き、
みんなから「すごいね。本当だったのね。」と言われて嬉しかったことが思い出されます。

小さい頃から一人遊びをよくしていました。
そんな時の主な遊び相手は、小動物であったり、草や花、木々などでした。
カタツムリを見つけると、捕まえるのではなく、その動きをじっと見ているのが好きでした。
ヨルガオの花が開くまで(約30分ほどで開きます)を、飽きることもなく見ていたり、
嫌いなクモでさえも、クモの巣ができるまでをじっと見ていることがありました。

観察…に関心があったのならば、今では何かの研究者になっていたかもしれませんが、
ただ、興味があっただけという…、普通(?)の子供でした。
今でも、そんな子供のようなところが抜けきらない自分を感じることがあります。

今日のカタツムリ、あんなに大きくなるまでには、何年生きてきたのでしょう。
あの後、どこに行ったのかしら…。


 驚いたように、一瞬首をすぼめていました。 
 このカタツムリ、大きいと思うのですが、主人曰く、「もっと大きいのがいるよ。」
もっと大きいの…、私は見たことがありません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする