ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

米国『地域支援によって成り立つオーガニック農場』事情

2016年09月27日 | 米国○○事情
先週の土曜日は、一日中連弾の練習をして(中休みに、近所の映画館で映画を観に行ったりしたけれど)、
日曜日は、ロングアイランドのサイモンとクリスティンの家で開かれた、ワイワイ音楽パーティに出かけた。
顔ぶれのほとんどはACMAのメンバーで、あらかじめパートナーを組んで練習してきた曲を演奏する人たちもいれば、
即席で一緒にアンサンブルをしたり、ソロで歌ったり弾いたり、もうなんでも有りの賑やかさだ。
へバーデン症にかかってから、しばらく遠のいていた演奏の世界に、ぼちぼち戻ろうと思ってることを伝えたくて行ったのだけど、なにしろピアノ弾きが多くて、椅子に座ることがなかなかできない。
まあいっか、来年のオーディションに間に合うよう、連弾のパートナー探しでもしよう、などと考えていたら、
「8手連弾なんだけど、手伝ってくれる?」とステファニーから言われ、もちろんさ〜とばかりに参加した。
なかなかの難度っぷりと面白さに感動した。
んでもって、めっちゃ楽しかった。
これから練習しようと思ってるのは、プーランクのソナタとラヴェルのラ・ヴァルス。
プーランクはジェインと、ラヴェルはサイモンとペアを組んで、どこかで演奏できたらいいなあと思っている。

そして月曜日は朝から大掃除をして、昼からは8人教えて、その後すぐに、のりちゃんちにお泊まりに行った。
火曜日の朝から正午ぐらいまでの間、彼女の家の近くの農場で、ボランティア作業と作物の受け取りをするために、彼女は毎週通っているのだけれど、
10月末にあるウチナンチュ大会に行っている間の野菜の受け取りができないので、彼女の代わりにわたしが行くことになった。
なのでこの日は、ずっと前から、自分の目で見て、心身で感じてみたかった農場見学と、のりちゃんがやってる作業の手伝いと、代理人としての顔見せを兼ねて、一緒に出かけたのだった。

その農場がここ。


のりちゃんとジャンが暮らす町は、そもそも空気がうまいのだけど、ここはさらに澄んでいて、肺がもっと吸え、もっと吸えとうるさい。


夏野菜がひと段落した畑。




広大な土地には休耕している畑があちこちに点在している。
それらの休耕地には、土に栄養を与える草花が植えられている。




彼らが、この農園を豊かに実らせてくれている、すばらしい農業人。


その彼らを支える数人のスタッフが、野菜の収穫、小屋の管理、整理整頓などの作業を手伝い、
彼らのポリシーに賛同し、安心して食べられる野菜を食べたい人たちが、野菜作りに要する費用、人件費、そして野菜の購入費などを含めた代金を、年会費として支払って支えている。
地域の人々によって支えられている、オーガニック農場なのだ。
のりちゃんは、決して安いとは言えない年会費を支払っている人たちの中のひとりで、だから本当は、農作業を手伝う必要など無いのだけれど、
「ここに来ると気持ちが良いし、体も心も喜ぶの」などと言って、毎週の配給日の朝に来て、ハーブの収穫や掃除を手伝っている。
いかにものりちゃんだ。
だからわたしの心と体は、そんなのりちゃんのそばにいると、たちまち喜びだす。

配給部屋の中。


作業用具小屋。


その横の、台所とトイレ。


ビニールハウスの中では、生姜がスクスク育っている。


のりちゃんがここで増やそうと思っている茗荷。


ここでふと気がついた。
ミョウガとショウガって、めちゃ似てるやん!
っつうことは、生姜もうちで育てられるのかな?

ビーツの赤ちゃん。


畑に移される前の赤ちゃん。


雨水を利用したシステム。




さあ、作業開始!ちょっとドキドキする。


夏野菜の収穫が終わって、ちょいとばかり賑わいに欠ける畑だとのりちゃんは言うけれど、わたしの目にはただただ素晴らしい。


わたしたちの作業場、ハーブの列。


作業に不慣れなわたしは、のりちゃんの3分の1ぐらいしか作業が進まなくて、ちょっとトホホな気分だったけど、
のりちゃんが言っていた『幸せな気分』に包まれて、それはそれは楽しい時間を過ごさせてもらった。

どのハーブからも、強烈な個性のある香りがアピールされて、酔っ払いそうになる。




午後からの配給分は、冷蔵室で保管する。


左下の茶色い壺には、キムチが漬けられてあるそうな!


片付けに精出す若者。




毎年公募されるエッセイで選ばれた4人の若者が、1年間、ここで農作業を経験する。
彼女はその中のひとり。
今年はだけど、4人のうちのひとりが、途中でリタイアしたのだそうだ。

配給時間の正午が近づいてきた。


各野菜やハーブの棚の上に、どれだけの分量を持ち帰っていいかが書かれている。
数えたり計ったりするのは全部いただく側。
ウソやズルをしないという信用が基になっている。

















無類のパン好きなのに、グルテンフリーを始めてパンが食べられなくなったわたしにとっては、超〜目に毒な風景。


こんなのもある。




真ん中あたりの茶色い物体は、元ひまわり。
小さな動物たちのためのお楽しみとして、このまま摘み取らずに残しておくのだそうな。


配給野菜の多彩なこと!
しかも、量がめちゃくちゃ多い!
新鮮で、安心できる方法で作ってくれている人たちの顔が見られて、しかも美味しいったらない!
こんなふうに、それぞれの地域で、それぞれの個性に合った食べ物の需要と供給が成立するシステムを生み出せたら、
小さな村や町が、たちまち元気になるだろうなあ。
食は命の基だもの。

沖縄人ののりちゃんはだから、このシステムを、沖縄各地に根付かせたいと思っている。
これまで長い長い間、権力に虐げられ続けてきた沖縄の人たちが、希望と生きる力を、与えられるのを待つのではなく、自分たちが自ら掴み取っていけるように、
そしてそれは、なにも沖縄だけではなく、ここアメリカの小さな町でも、もちろん日本の小さな町でも、もう待つのはよそう、自分たちでやろうという動きが生まれるように、
ただただ願うのではなく、実現が可能になるような働きかけを計画しているのりちゃんに、わたしはまだまだ教えてもらうことがたくさんある。

のりちゃんちのダイニングの引き戸の向こうでは、










ジャンとのりちゃんが、5週間もかかって修理をした小屋。明かり取りの窓がすてき。



もっとゆっくりしたかったけど、火曜日も仕事があるので仕方が無い。
でもこれで、のりちゃん夫婦が、10月末のウチナンチュ大会に行っている間の野菜の受け取りに、わたしが代わりに行くことができる。
のりちゃんがくれたてんこ盛りの野菜とハーブ、それから手作りのブルーベリージャムを車に積んで、バタバタとさよならをした。
近所の養鶏家の露店卵販売で、卵を2ダース買って(払おうとしたら1ドル札が1枚しか無くて、車の中を必死に探して集めた1ドルコイン5個と1ドル札を、缶の中に入れた)、さあ出発!と思ったら…、
携帯電話の電池がとことん切れてしまっていて、ナビに頼ることができなくなった。
何分か充電したらなんとかなるだろうと思っていたら、なんともならず大弱り。
それで、道の途中の、少し幅の広い路肩に車を止めて、摘み取った残りもののプチトマトをパクパク頬張っていたら、
通りがかりの男性が、「大丈夫?」と、車を止めて聞いてきてくれた。
「携帯が電池切れで、ナビが無くて、ルート80まで行きたいんだけども、その道順を覚えていないんです」と言うと、
「いいかい、よーく聞いて覚えるんだよ」と言って、行き方を教えてくれた。
走ってみると、なんともシンプルな道順だった。
地図を見なくなった自分をちょっと反省した。



おまけ
うちで育てたゴーヤのおすそ分けのお礼だと言って、お向かえのマリィがくれた野菜?!


長いったらない。


受け取った夫が、これは何?と何回聞いても、「瓜だ」の一言。
皮がカチカチに硬くて、包丁が入らない…どうしよう…。
コメント (6)
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