ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

しみじみと、芸術について、家族について、人間について考えた秋の週末

2016年09月20日 | ひとりごと
16日の金曜日に、翌日の土曜日から2週間、日本に旅行に行く長男くんが、生まれて初めての大きな買い物となった愛車に乗って、バージニアからやってきた。
前の持ち主だった人が亡くなっていたことから、引き継ぎの手続きに散々手こずり、挙げ句の果てに高速道路で急停止してしまうというアクシデントをきっかけに、次から次へと問題が発覚した、1992年型真っ赤っかなマツダのロードスターくん。


長男くんはこの車に惚れ込んでいたので、ネットで調べ調べ部品や工具を購入しては、ほぼ自分で修理した。
彼いわく、今の車とは違って、作りが非常にシンプルなので、電気系統の修理も簡単なんだそうな。
そういや、今の車ときたら、ブレーキひとつ直しても、その後いちいち内臓されてるコンピューターにデータを入れ替えたりしなければならないもんね。
とてもコンパクトでなめらかで、なるほど間近で見ると思わずニッコリしてしまう。


レトロな部品も可愛い。


遅く着くから夕飯はいい、と言われても、せめて味噌汁だけでもと、ワカメと小松菜と椎茸の味噌汁を作って待っていた母に気遣ってか、
まあ、味噌汁だけなら食べたいかも…などと言ってくれる長男くんに、いそいそと温め直した味噌汁を出す。
「あ、この野菜、うまいな」
「それ、うちの畑のやから。それと、これ、手作り味噌やから」
小鼻をヒクヒクさせながら、嬉しがるわたしなのであった。

ゆっくり話したいけどもう遅い。
翌朝、JFK空港まで送っていく間に、いろいろ話した。

ちょうどその頃、ニュージャージーやマンハッタンで、連続爆破事件が起こっていた。
マンハッタンの現場は、次男くんの職場からは十数ブロック離れていたが、彼の高校時代の友人が経営しているレストランのすぐ近くで、
彼女は一番最初にかけつけた人たちのうちの一人で、様子をビデオに収めたのだそうだ。
犯行は、テロというより、日頃から鬱積していた不満や怒りが元になっていると報じられた。
9.11以降、この種の報道には、各局各新聞とも、かなり慎重になった。
確かに彼は、アフガニスタンに渡航して、爆弾の作り方などを学んだとされているけれど、
またこれを、テロだ、防衛のための監視だ、などと言って、戦争や更なる怒りの連鎖につなげていこうとする輩が、必ず出てくるだろう。
来週の月曜に開かれるディベートで、候補者のヒラリーとトランプがどのような捉え方をするか、今からマスコミは喧々囂々。
先日の核廃絶に向けての平和集会に、一番多く参加していたイスラム教徒の若者たちの、私たちは平和を心から愛する者です!という、叫びにも似た訴えの声を思い出す。
案の定、犯人とされる男が逮捕された日の夜、超右寄りで有名なFOXテレビのニュースに出演したトランプは、
「イスラム教徒の一斉取締りを行う。ノウハウはイスラエルのものを使う」と、鼻息も荒く言っていたそうだ。
真性のバカだ、この男は。


さて、そんなきな臭い事件が起こっていたのも知らずに、長男くんを空港まで送り、翌日の日曜の朝から、芸術家夫婦が暮らす大学街イサカに出かけた。
陶芸家の桃子さんとは、フェイスブックを通じて知り合った。
知り合ったというより、フェイスブックに載っていた彼女の作品に一目惚れして、友だちになってください!とお願いしたのが始まり。
そしたら桃子さんのご主人マークは、京都で20年の経験を持つ、日本庭園の造園師の第一人者というので、彼が手がけた作品を見て、またまた一目惚れ。
これはもう、直に会いに行かいでかっ!という気持ちになり、スミソニアン美術館のクラフトショーに出品する桃子さんを追って、ワシントンD.C.まで押しかけた。
その時に、秋のはじめに、彼女たちが暮らすイサカの町で、ポーチフェスというのがあるので来る?という話になった。
ポーチフェスというのは、家の玄関ポーチで演奏するミュージシャンを、通りや歩道の芝に座って聴く、というもの。
年々演奏者の人数が増えていて、ジャンルもいろいろ、趣向もいろいろ、ということで、とても楽しみにしていた。

↓これは、桃子さんが、3年前にフェイスブックに投稿したもの。
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9月に入り、急に秋風を感じ始める頃、イサカでは、ダウンタウンの家々のポーチで、音楽の演奏をするイベントが開かれます。2007年に始まったこのイベントは、今では大盛況で、参加してる演奏者の数は、今年100人を超えたと聴きました。
(もちろん、ミュージシャンはあちこち掛け持って、忙しく廻っているようですが)
演目は、クラッシックからジャズ、フォーク、アイリッシュ、ウクレレ、ロックなど、幅広いです。
聴衆者も年々多くなっていて、お気に入りのミュージシャンが出来て、歩道が聴衆でいっぱいの人気者も出て来ました。
目立つのは自転車、子供、犬、そしてシニアたち。
皆、踊ったり手拍子を打ったりと、その楽しむことと言ったら!!!
素晴らしい秋のイベントの半日でした。
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イサカまでは、休憩無し、渋滞無しのドライブで3時間半。
アメリカ的に考えると、まあまあの近場だ。
またまた歩美ちゃんに、空と海の世話をお願いして、24時間強の外出をした。

まず町に着いて、ちょいと腹ごしらえをし、桃子さんちに連絡すると、なんと彼女たちは、救急の獣医さんのところに居た。
彼女たちの愛する家族である2匹の猫ちゃんたちの名前は、ワビちゃんサビちゃん。
そのうちのサビちゃんに、何やら原因不明の痛みが発生していて、食欲も元気も見る見る無くなってきたので、緊急に治療をしてもらいに行ったのだそうだ。
ということで、ポーチフェスの見学は、夫と二人ですることになった。

で、こんな感じで、そりゃもうあちらこちらの家々のポーチで、みんなそれは楽しそうに演奏したり聞いたり。






と、ここでなんと、鍼灸学校時代の旧友にばったり会った夫?!
It's a small world!
フェスの常連の彼が、このグループはいいよ、特にバイオリン♪、と教えてくれた。


彼が演奏しているバイオリンは、彼自身の手作りなのだそうだ。


イサカはうちよりうんと北なので、さぞかし涼しかろうと思って厚着していったのに、ものすご〜く蒸し暑い。






















ヒラリーを応援するぞ!の看板を立てたお家。



さて、桃子さんの一押しのミュージシャン、テンジン。
彼はなぜか、かなり外れの、ほぼ町の端っこの家の前庭で演奏することが分かり、すでにヨタヨタになっていたわたしたちは、少し車で近づいて、そこから歩くことにしたのだけど、
いやもう、駐車できる場所を探すのが大変で大変で、このフェスがどれほど人気なのかがよくわかった。

あ、あそこっぽい!


テンジン(ギター&ボーカル)は、若い時に、お坊さんになりたくて、チベットに渡ったのだそうだ。
でも、2年ほどして、自分にはその才能が無いと見切りをつけて、その後はシンガーソングライターになったのだそうだ。
桃子さんがぜひぜひ!と言っていた訳が、一曲目の歌が始まってすぐにわかった。
いやもう、引き込まれまくり、吸い込まれまくり、引っ掴まれまくり。
なんなんだろう、このピアニッシモの切なさと、キリキリと痛いほどの熱情は。







ワンちゃんが、網戸の向こうで耳をすませてる。




彼のベースもすごい!
ゴリゴリと地面の底から唸っているような音、甘く切ない音、この世に生まれたすぐから空気に溶けていくようなハーモニクス、ああうっとり…。






いつの間にか、ベーシストの男性の娘ちゃんたちがそばに来ていて、


ダンスを始めた!


と思ったら、怪獣ごっこに熱中!





立ったままでいることすら大変なぐらいに疲れていたのだけど、一曲でも多く聴いていたかったので立ち続けた。
蒸し暑さにはてんで弱く、すぐに体調を崩すわたしを、夫は心配して、何度かもう行こうと目配せされたのだけど、
テンジンの磁石は強烈で、どうしても立ち去ることができなかった。
来年も絶対に聴きに来よう!


まだまだフェスは続くようだったけれど、さすがに疲れたし、桃子さんたちも家に戻ったという連絡が入ったので、お邪魔させてもらうことにした。
ナビの案内通りに車を走らせて行くと、二人にぴったり、という家に到着した。


泊めていただく部屋は、愛息くんが暮らしていた部屋で、おとうさんのマークの手作り。
床の間がある!


日が暮れていたので、光が十分ではなく、かなりボケてしまったけれども、この雰囲気をどうしても伝えたくて…。




ダイニングの壁いっぱいに、桃子さんの作品が!


うちでは絶対に見られないデコレーション。


年代物のシュタインウェイ。


桃子さんには、食事のことで、すっかり面倒をかけてしまった。
何が食べられないんだっけ?と聞かれて、ついつい長年の親友に甘えるみたいに、えっとさ、グルテンと砂糖とカフェインと酒、などと言ってしまったもんだから、彼女はメニューを考えるのに、四苦八苦することになった。
着いてから反省したのだけれどもう遅い。
彼女が用意してくれた、何種類もの美味し〜いおかずに舌鼓を打ちながら、コロンとした親指の先っちょぐらいの超かわいいお猪口で、名酒くろさわをいただいた。

そして女子組はおしゃべり、男子組はギタージャム。
みんなそれぞれに楽しいもんだから、熱が入り、体温がどんどん上昇した。
だから時間はあっという間に過ぎていった。

翌日の月曜は、わたしの仕事が3時半から始まるので、余裕をもって10時には出発することにした。
なのに、朝からこんな手の込んだお粥を作らせてしまったのは、いったい誰のせいでしょう…。


1時間弱の散歩なら大丈夫だろうと、コーネル大学の構内にある、マークが手がけた日本庭園を見に行くことにした。

すごく美味しいピザをここで焼いて、ご馳走しようと思ってくれていた桃子さんちの石窯。


工事現場の鉄骨に、9.11の救助に駆けつけて亡くなった警察官や消防士の人たちに、あなた方のことは忘れないよというメッセージが書かれていた。


コーネル大学名物の渓谷。


コーネル大学の象徴でもある塔。


ここら辺一帯は氷山の通り道だったそうで、だから深い森、大きな滝、多くの渓谷に囲まれた起伏の激しい景観が、そこらかしこに見受けられる。


この大学を訪れたのは、今回で2回目だけども、独特の地形を生かした校舎を眺めていると、何か特別な世界に足を踏み入れたような気持ちになる。




うん?なんだ?


プラスチック椅子のオブジェ。


日本芸術博物館。通称ミシンビルと呼ばれているらしい。確かに…。


このビルの後ろに、マークの庭があるのだけれど、どういう意味合いを持つ庭なのかの説明が書かれている。
それをここに載せることができないので、ちょいと調べてみた。

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『虎渓三笑』の話は、東晋の時代の話です。


東晋の時代(317~417年)、中国の名山の一つである廬山にある東林寺で、慧遠(えおん。生没年:334~416年)という名前のお坊さんが、隠居していました。
慧遠は、隠居したからには、俗世間とは関わりを持たないようにしようと思って、ふもとを流れる虎渓を決して越えないと、固く誓いました。
 
ある日、慧遠の友人である、陶淵明と陸修静が、遊びに来ました。
楽しい時間が過ぎて、とうとう2人が帰る時刻になりました。
そして、慧遠は、虎渓にかかる橋の手前まで、見送ることにしました。
 
3人は、楽しく話をしながら、山を下りました。
あまりにも話がはずんだので、3人が気づいた時には、虎渓の橋を渡ってしまってました。
慧遠と陶淵明と陸修静の3人は、ともに大笑いしました。

 
こうして生まれたのが、『虎渓三笑』という言葉です。
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というわけで、『友愛』と『笑い』、そして『許し』が表現されていると、わたしが勝手に感じたマークの庭。


コーネル大学はアイビーリーグの名門で、だから学業が厳しく、悩みを抱える生徒が少なくないのだけれど、
ここに来て、石のベンチに座り庭を眺めていると、心が穏やかになって癒されるという。
なにより感心したのは、この松の枝ぶり。
マークは、それぞれの木の枝が、どんなふうに広がっていくのかも、見抜ける目を持っている。


水不足が続いていて、苔が剥げてしまったけれど、岩のひとつひとつ、石のひとつひとつまで、全部選んで造られた庭は、静かに心の中に入り込んでくる。


上から眺めた庭…ああうっとり…うちに引っ越してきてもらえないものか…。




生徒たちがワラワラと上ってくる丘。


有名な作家さんが、ここで合唱隊の一人として歌っていたことで有名な教会。




ここは、ドイツ・バロック様式のパイプオルガン製作の第一人者として、世界的に知られる横田さんが作った、小オルガンがある聖堂の扉。


曇り空でもきれいなステンドグラス。


横田さん手作りのパイプオルガン!


なんと、ちょうど誰かが練習をしているのか、パイプオルガンの音を聴くことができた。
あたたかで、深くて、心に馴染む音だ。
練習だから、途中でちょっとずっこけるけど、それはまあ横に置いておこう。

横田さんについては、ここを読んでください。
パイプオルガン 横田宗隆さん 相模原に工房 スウェーデンから帰国「後継者を育成」
http://mainichi.jp/classic/articles/20150805/mog/00m/200/999000c


米国ニューヨーク州コーネル大学礼拝堂のために作った小オルガンの前で、パイプを調整する横田さん
2014年、弟子の加藤万梨耶さん撮影。横田さん提供。


いやいや、短い時間にこんなに充実した時間が過ごせるだなんて、まったくありがたいやら嬉しいやら。
などとしみじみ感謝しながら歩いていると、ここが自殺の名所で、だから防止ネットが張られていると教えてもらった。


大学横の渓谷沿いの道を歩いていく。


ここには秋が、一足先に到着している。


京都人の桃子さんのおしゃれ心が、あちらこちらでキラキラ光っている。


二人の仕事場や作品について、もっともっと知りたかったのだけど、今回のようなバタバタ訪問では到底無理だったので、
今度はもうちょっとゆっくりさせてもらおうなどと、超〜厚かましいことをケラケラと言って、すっかり疲れさせてしまったであろう二人に見送られて出発した。

実は今回、夫は財布を家に置いてきてしまって(行きの道中で気がついた)、だから運転を一手に引き受けなくてはならなくなった。
「ニュージャージーに入ったら運転する。大丈夫、もし車を止められてもうまく誤魔化せる」などと言うが、
嘘をつくのがめちゃくちゃ下手くそなくせに、しかもつい最近、カナダからの帰りに、速度違反で捕まったくせに、
どの口が言うかっ!とばかりに文句を言うと、
「じゃあ、どうしてもまうみが運転したいと言うんだから仕方が無い、どうぞ」と言う。
疲れる…。

疲れついでに月曜日のレッスンをして、終わった頃にはとうとうダウン。
回復するのに時間がかかるのなんのって。
いつまでも、40代のようなつもりで予定を立ててしまっててはいけないのだと、いつものことながら、失敗してから反省する。

さて、ぼちぼちと元気が戻ってきたので、今週末にあるコンサートで弾く曲の練習をしよう。