意外と社会派(予定)

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日本の左翼が北朝鮮にシンパシーを感じる理由

2014年01月21日 | 社会
田原総一朗のブログを見ての感想。

今年どうする安倍首相、経済と安全保障はどうなるか?
http://blogos.com/article/78064/

>もちろん、僕も争を知る世代として、断固として戦争には反対だ。ただし、国家の安全保障を考えねばならないということも、一方ではよくわかっている。
>緊迫するアジア情勢を考えても、安全保障体制の再構築は必要だろう。ただし、ひとつ確実に言えることがある。日本を戦争をする国にしてはいけない、ということだ。

安全保障を考えたら戦争をする国にしてはいけない???
安全保障を考えたら戦争が『できる国』にすべきじゃないのか?
なら賛成というべきだろう。

戦争はなるべく避けるべきだ、最終手段にしなければならない・・・という意見なら理解できるが、戦争をする国にしてはいけないでは意味が通じない。
安全保障を考えたら戦争を常にできる国にしておかなければ抑止にはならないのである。

理想と現実の乖離における苦悩・・・それがこのポエマーな文章になるんでしょうね。
赤熊的には苦笑いなんですけど。

この記事で一番強く言いたかったことはおそらくここであろう。

>日本を戦争をする国にしてはいけない、ということだ

この人・・・というより日本の左翼という妄想集団の頭の中には『 戦争 = 悪 』という構図があるのでしょうね。
それが間違いの元なのである。
ここを取り違えるから、文章がグダグダになるのである。

戦争は正しいのである。
なぜか?
それは戦争をすると『決断した』ことが正しいからである。

戦争とはあくまで手段であり、そこに正邪善悪なんてものはない。
というか、そんなものを決めれる根拠は誰も持ち合わせていない。
だからこそ、特に民主主義において正当な手続きで決められたことはすべて正しいとされるのである。
そういうルールなのである。

もっと言うのならば『しない』と決めても正しいし、『する』と決めても正しい。
もちろん将来、振り返った時、結果的に良かったかどうかは別だが、どんな決断をしようと『決断する』ことこそが正しいのである。
例えそれで破滅したとしても、です。

逆に言えば、何の決断しないことこそが間違えであり悪なのである。
例えそれで結果的に良かったとしても、です。

決断こそが正しいのであり、戦争をすると決めたのであるのならばそれは『常に正しい』のである。

そしてもうひとつ・・・民主主義は全責任を全員で負う。
それが求められるのである。
これが理解できないのならば、民主主義なんてやめたほうがいい。

そういう意味では民主主義って苛烈だよね。
責任放棄なんて誰一人として許されずに決断を迫るのですから。
それなのに戦争が悪、だからしてはいけない・・・という考えを持つ人がいるんですよね・・・。
それを許させるという考えてる時点で甘っちょろい。
甘っちょろいというより、判断を国民に委ねないということは民主主義の否定であり、独裁と同じ思考ですね。

と、ここまで考えてこの世代の人間ってなんで北朝鮮にシンパシーを感じるだろうと昔々からの疑問(だって社会主義・共産主義のくせに身分差があるわけだよ!!)だったのですが・・・民主主義という不確かなものではなく、彼らは絶対の指導者が欲しかったのでしょうね。
その人に自分の考えを正しいとして肯定してほしいわけだ。
そういう存在を神様というのだと思うのですけど、そういう彼らは背中を押してくれる便利な神様を求めているのでしょうね。
なるほど、だからこそ彼らは北朝鮮が理想、少なくとも理想としていたわけですね。
偉大なる指導者がいて間違えずに導いてくれる・・・。

そんなものは存在しないのに。

不確かな王というものを追放して、民主主義を獲得しておきながら、それでそれを捨てる。

一体何がしたんでしょう?
はてさて。

昔は甘っちょろいことを言ってごまかしていたのでしょうが、インターネットが台頭してきてこういう甘っちょろい考えが許されなくなっている時代です。
その残滓が今もくすぶっているのが、上のわけの解らないブログになるわけですね。
この人、その時代を経た人だものね・・・。

日本が大人になった・・・とみるべきか、彼らが見捨てられたとみるべきか・・・・・。
いずれにしても(日本の)左翼の時代は終わったのでしょうね。


2014.01.25 訂正・補記

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