意外と社会派(予定)

赤熊の辛口社会派(予定)ブログです。
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おかえりなさいませ

2011年10月06日 | 社会
脚本家 花登筺(はなと こばこ)のドラマ「ぬかるみの女」を見て思ったこと。

『ぬかるみの女』の簡単なあらすじはというと、
時は戦後の高度成長の初期。主人公の文子は夫が水商売の女に入れ込み、土地・屋敷・財産をすべて失い、それに愛想を尽かし、子供を3人をつれて出ていく。しかし、何のとりえもない女が子供を3人も育てられるはずもなく、自らも出ていくきっかけとなり嫌っていた水商売の女(キャバレーのダンサー。今でいうホステスに近い)にならざるをおえなかった女のお話です。
当時は今より偏見が強く、水商売の女は下に下に見られており、タイトルの『ぬかるみ』とは水商売の水のことで、一度は落ちたら抜け出せないという意味。

ドラマ的には世間の偏見や厳しい状況に耐え、ひたむきに努力して成功をつかむお話ですね。
そんなこんなで、文子が独立し小さなお店を出すようになったときのお客様を迎えるときのセリフ。

「おかえりなさいませ」

・・・・・花登筺は未来に生きてますね。(ちなみに客が帰るときは「言ってらっしゃいませ」。なお、家庭的なお店を目指したためです)


ここまで書いておきながら、赤熊は花登筺作品はそんなに好きではなかったりします。
お話としては面白いのですが、解りやすいというか、単純だというか・・・主人公に、見るからにわかりやすい悪役が、悪事で苦難を与えて、それを懸命に努力して主人公が何とかする。
しかも、たいがい悪役の詰めの甘さで失敗する・・・。

良く言えば王道、テンプレート、悪く言えばマンネリといったところでしょうが、そこには主人公の善性と悪役の自滅あるだけで、悪には悪の美学・・・といったものはないのです。
ただただ、主人公は善であり、悪役は性悪なだけです。
「ドラマなんて所詮、この程度でしょ?」と言いたいのかな?と思うわけです。

まぁ、実際そうなんでしょうね。
今やっている韓流ドラマなんて思いっきり、このノリですし。
結局、見る人はその程度のものを持て目ているのだと思いますし、日本の全てのドラマもそれで作ってしまえばいいと思います。
オチが読める程度のドラマは赤熊は見ないけどね。