天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

ホテル『リカス・リバー・サーマル』ハマム体験で1984年トルコ留学生が訴えるまで続いた風俗名称を得心

2011-09-22 22:01:39 | 日記
今日の日記は、トルコ旅行第3日目8月15日(月)に泊まったパムッカレの温泉ホテル『リカス・リバー・サーマル』でのハマム体験のことです。
15日(月)の観光ツアー予定は、午前中エフェソス観光が終了した後の午後は、世界遺産の石灰棚・パムッカレとローマ帝国の温泉保養地ヒエラポリスでした。このパムッカレでは一部の池に入ることができます。私のその足湯を楽しんでみました。外国人観光客の中には、プールになっている池に水着で入っている人も多くいました。さすがに、ローマ皇帝ハドリアヌス帝やカラカラ帝も訪れたヒエラポリスの温泉保養地です。
そして、その夜宿泊したホテルも温泉付きの『リカス・リバー・サーマル』です。このホテルチェックインの際、現地トルコ人ガイドが、このホテルにはトルコ風ハマムスパ”アカスリ+泡洗い+オイルマッサージ+顔面泥パック”の有料サービスがあると、説明していました。添付した写真は、その宣伝パンフレットです。
その料金は60分で100TL(約4,500円)と言っていました。その料金を聞いて、前日リゾート地アイワルクで宿泊したホテル『ハリッチ パーク』で配っていた日本語で紹介されたいた”アカスリ&ソープマッサージ”60分135TL(約6,075円)より、35TL(約1,575円)程安かったです。だから、私はせっかくトルコに来たのだから、ハマム体験をしなくては”男”でないと思い、早速この予約をホテル夕食終了後の午後9時に入れました。
夕食は屋外でのバイキング形式でしたが、あまり食べすぎるとハマム体験の時、気分が悪くなるのでは思い、残念な事ですが、私は食べる量を多少加減しました。
そして、その予約時刻になってから、地下1階にあったエステルームに、水着の海水パンツを着用しバスローブ姿で出かけました。イスタンブールにあるハマムではアカスリを行うのは男性客なら男性従業員(日本風に言うと”三助”)と旅行ガイドブックに書かれていたので、私の体をアカスリするのは男性従業員だと思っていました。
しかし、そのエステルーム受付で私の担当に紹介されたのは、現地トルコ人のとても豊満な中年女性でした。その彼女の姿を見て、”三助”のアカスリにならなくて、とても良かったと、私は安心しました。
二人で8畳程のハマム部屋に入りました。中央には大理石の腰の低い丸テーブルが有り、室内はサウナほど高温ではないですが、蒸し風呂状態になっていました。彼女は、身振りで私にそのテーブルにうつ伏せになるように指示して、彼女のアカスリが始まりました。特殊なアカスリ用ブラシ?(目をつぶっていたので現物を確認できず)を使い、私の全身の垢を取ってくれました。とても力強く痛いくらいでしたが、彼女が熱心に行っていると思い、私は何も苦情を言いませんでした。
その後、お湯で全身の垢を流れ落とした後、シャボンを大量に発生させたのか?(注:その行動も、私は目をつぶっていたのでよく判らなかったが)その泡を私の全身に塗ってきました。その泡の感触が、私にはとても良かったです。このとても気持ち良い”泡の感触”が、1984年にトルコ元留学生の青年が『母国にとって不名誉な名称を改めてほしい』と、日本の国会議員に訴えるまで続いた「特殊風俗世界の名称」になってしまったと、私はその時に深く得心しました。
そして、この泡で全身を洗った後、私は別の部屋(オイルマッサージ用)に連れていかれました。この部屋には、タオルが敷かれたベットが有り、彼女から身振りで海水パンツを脱いでこのベットにまたうつ伏せになるように指示されました。
今回のオイルマッサージ+顔面泥パックは、私にとって初めての体験でした。約2年前の北京旅行の際、足つぼマッサージを宿泊ホテルで経験しています。でも、こちらのオイルマッサージの方が、疲れがとれる感じで私にはとても良かったです。このエステ60分コースで、料金約4,500円なら、とても割安感がありました。
ただ、60分のサービスが終了した私の体は”全身オイルまみれ”です。とてもこのまま寝ることが出来ず、このホテルにある無料温泉プールに入ることにしました。そして、そのプール湯船の中で、とても貴重な体験をした余韻を、私は深く味わっていました。
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本日喜寿を迎えたイタリア女優ソフィア・ローレンさんに末永く健やかに御活躍される事を日本の片隅から祈念

2011-09-20 20:54:14 | 日記
今日の日記は、今日喜寿(77歳の誕生日)を迎えた私の大好きなイタリアの女優・ソフィア・ローレンさんのことです。とあるネットニュースで、私は久しぶりに元気なソフィア・ローレンさんの話題を見つけました。以下にそのネット記事を引用・掲載しなす。
『・・イタリアたわいのない話 | イタたわ ニュースの端っこを La Chirico がご紹介します。・・イタリア <ソフィア・ローレン、昔のトップレス大写真に困惑>・・Rai国営放送によるイタリア統一150周年記念特別番組『Centocinquanta(150)』に出演していたソフィア・ローレンさんが、大変に困惑するような瞬間があった。司会のピッポ・バウド、ブルーノ・ベスパの両氏と、米アカデミー賞を受賞した主演作品『La ciociara(ふたりの女)』等、女優としてのキャリアについて話をしていた際、ロレーンさんの50年前(私注:記事作成者の間違い、彼女の映画デビュー作品「クオ・ヴァディス」の製作年が1951年だから、60年前以上だと思う)のトップレスの特大スチール写真が登場。ナポリ近郊ポッツオーリの町で生まれたローレンさんが、女優として成功する前、写真小説用に撮ったものだと言う。写真を見るとローレンさんは自身の目を覆い、困惑した様子でデビュー当時の苦しい時期について話し始めた。「母や家族と一緒だったんですが、日銭を稼ぐのにどうすれば良いのか誰も知らなかったんですよ。」また、今は亡き夫カルロ・ポンティ氏については、「彼が逝ってしまった今となっては、一人ぼっちになってしまったって、とても思いますね。でも、素晴らしい子供達が2人・・・私の人生で最も素晴らしい映画作品2本がありますから。」日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事:Corriere della Sera 2011年3月18日)』
添付した写真は、その特大スチール写真とソフィア・ローレンさんと二人の司会者です。公開番組に出演する女性(女優といってもプライバシーはある)にとって、秘密にして欲しい過去があります。イタリアの国営放送『Rai』は、このようなハプニング的な手段で、イタリアの全国民に、その秘密を広く公開してしまいました。
でも、ソフィア・ローレンさんの秘密は、何も恥じることではなく、彼女自身の容姿のとても素晴らしい美しさが証明され広く明らかになっただけと、私は彼女に考えて欲しいです。
そして、このネット記事を閲覧して、とても大らかなイタリア人の国民性に、私はまったく脱帽しました。だから、同じように大らかで些細なことに気にかけないソフィア・ローレンさん自身も、一度は目を覆い、困惑しましたが、ネット記事を見る限り、何もその司会者らに強く抗議をしていません。
さらに、”イタリア統一150周年記念特別番組”というとても政治色が強い番組に、女優のソフィア・ローレンさんが出演すること自体、彼女が如何にイタリア国民に深く愛されているかの証左になっています。
しかし、ソフィア・ローレンさんはイタリア国民だけ愛されている訳ではありません。日本にもとても熱烈なファンがいることを知ってほしいです。
ソフィア・ローレンさん、喜寿の誕生日、おめでとうございます。これからも、末永く健やかに御活躍されることを、日本の片隅から、私は祈念しています。
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『誘惑のアフロディーテ』古代ギリシヤ舞踏合唱を狂言廻にしても才人Wアレンらしからぬ判り易い現代恋愛劇

2011-09-19 23:16:00 | 日記
今日の続編日記は、今久しぶりにお茶の間鑑賞している映画『誘惑のアフロディーテ』(1995年製作 ウディ・アレン脚本監督 ウディ・アレン ミラ・ソルヴィーノ主演)のことです。
私はギリシヤ神話の話題をしていて、その神話を時系を超えて現代のニューヨ-クの男女の物語に当てはめたウディ・アレンの恋愛映画をふと思い出しました。ですので、私はその映画『誘惑のアフロディーテ』をレンタル店から借りて、今鑑賞しています。
この映画の冒頭には、ギリシヤ古代円形劇場に仮面を付けた神々らしき男女(私注・コロス:古代ギリシヤの舞踏合唱隊でこの映画の狂言廻し的役目)が登場します。
そして、そのコロスらは、『ギリシヤのアキレス英雄は、血に染まって息絶えた、その原因はトロイのヘネナ、アンティネゴーの父、オディプス王は母と交わった罪から自分の眼をえぐった 彼こそ非情な運命な犠牲者』と語りながら、現代のニューヨ-クのある夫婦、夫ウディ・アレンと妻ヘレナ・ボナム・カーター(2010年『英国王のスピーチ』のエリザベス王女役を好演) の物語を紹介します。
この夫ウディ・アレンは、もらった養子の実の母親を知りたくなって、身元調査してみます。すると、母親は売れないAV女優(演じるのはミラ・ソルヴィーノ:この演技で第68回アカデミー助演女優賞受賞)で今は身を売る娼婦だったのです。
添付した写真は、天真爛漫でとてもセクシーで魅力的なミラ・ソルヴィーノ(左側)とまったく冴えない中年男を演じた才人ウディ・アレン(右側)です。このまったく価値観や年齢の違う二人のやりとりで、ウディ・アレンのウイットに富んだ会話に、私は思わず微笑んでしまいました。
やはり、この映画はウディ・アレンの脚本の冴え(冒頭には悲劇性を匂わせておきながら最後はハッピーエンドになる)に負っているとても元気になるラブコメディです。また、ウディ・アレンは新人女優の演技発掘(この映画でミラ・ソルヴィーノを、『それでも恋するバルセロナ』でペネロペ・クルスを)に長けた名匠だと、私は今回再認識しました。
そして、映画の最後にウディ・アレンとミラ・ソルヴィーノが数年後秋のニューヨークで再会します。お互いに連れている子供が自分の子だとは気づかないまま、挨拶を交わして別れていくシーンで、再びコロスの長(F・マーリー・エイブラハム)が登場して来ます。
彼は『まったく人生とは皮肉なもの 信じがたく奇想天外で悲しくてすばらしい どれも真実!』と語りこの円形劇場から退場します。とても、才人らしからぬわかりやすいウディ・アレン監督の作品です。でも、このような映画が私はとても大好きです。
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『荒木経惟文学全集〈四〉ラブホテルで楽写』新宿風俗景:ビーバー・マリアでアラーキー、マリアのヒモにと

2011-09-19 13:10:02 | 日記
今日の日記は、今読んでいる荒木経惟著『荒木経惟文学全集〈四〉ラブホテルで楽写』(1998年平凡社刊)のことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
この著書・写真家の荒木経惟氏(1940年5月25日~)は、私の大学工学部(注:卒業学科は違う)の大先輩です。その彼の業績を知りたくて、この著書『荒木経惟文学全集〈四〉ラブホテルで楽写』を、今私は読んでいます。
この著書は、荒木経惟氏が雑誌に寄稿したエッセイを集大成したものです。そのエッセイ集の中で、雑誌『噂の真相』(1983年4月号~85年3月号)に書かれた『新宿風俗景』の一節「ビーバー・マリア」の記述に、とても強い衝撃を受けました。
以下に、その記述全文(注:著書の意図に従い、匿名等の修正を一切せず、表現は原文のまま)を引用・掲載します。尚、この雑誌『噂の真相』は今は休刊されています。
『第2の美加マドカって噂のマリアってが風林会館うらの「DX歌舞伎町ミュージック」(232・99XX)に出てるってんでちょっと階段をおりてみた。さーいよいよマリアの登場。アナウンスが始まるやいなや6人の男がさっと立ってジャンケンポン愛こでショー。その真剣な表情、指、キンたまげたねえ、こんだけオトナをピーターパンにしちゃうなんて、どんなコなんだろうと期待マンマン。お、出てきたぞー、おっとーう、ボタンの入れ墨、でもう、かわゆーい、前歯がかわゆーい。さっそくニックネーミングしちゃって、ビーバー・マリア。さっさとディスコダンスすましちゃって、さーていよいよ噂の3P本番生板回転ショー(注:原文のまま)のはじまりはじまり、パッパッパッとバッチシ閃写したからね、すんごいですねー、ストロボ光らせてもしぼまないもんね、立派なもんだ、2人ともエライ。あたしもやってほしいね、ビーバー・フェラチオ(注:原文のまま)。んでも、あそこんとこのる度胸ないねえ。美加マドカなっかよりずーっとイイゼ、プロさぜ、ビーバー・マリア。なんてったって選曲がいいやね、「献身」と「秋冬」で3Pさぜ、ったくもー、キンたまらねえぜ。パーラメントがすきなマリアを休憩時間に近くの「あかべこ」に誘ってすき焼き、うまかったねー。トイレついでに勘定すましちゃったマリア、まったくもー、なってコなんだろう、もーこーなったらアラーキー、マリアのヒモになっちゃう、ごちそうさま、マリアさま。』
この雑誌『噂の真相』に寄稿した頃の荒木経惟氏は、まだ若々しい40歳前半の異色写真家です。彼のこの踊り子嬢・マリアを強く応援する熱気が直に伝わってくるような、とても楽しい風俗紹介文です。また、彼が約27年前のストリップ劇場(注:今も現存している劇場)の踊り子嬢も写真撮影していたことを、今回の寄稿で初めて知り、彼に私はとても強い親近感を抱きました。
また、逆に、昔のストリップ劇場の赤裸々な様子を知り、某踊り子嬢の独善的な応援教義を信奉する親衛隊に、この昔の劇場の現状を教えてたくなりました。写真家荒木経惟氏は、ストリップショーに参加する男たちに愛情を込めて、”ピーターパン”と表現しています。その彼の思いには、嫌悪や猥褻感がまったく込められていません。
27年前のストリップ劇場と今の劇場はまったくショー内容は違っています。しかし、それに強く引かれる男たちの思いは、まったく変わらないです。
荒木経惟氏が紹介した劇場で、明日の20日に誕生日を迎える某踊り子嬢の親衛隊に、この荒木経惟氏のエッセイ「ビーバー・マリア」を私は衷心より捧げます。
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『ローマ人の物語〈XV)ローマ世界の終焉』逃げるユスティニアヌス皇帝を叱る皇后テオドラはアマゾン末裔

2011-09-18 16:02:22 | 日記
今日の続編日記は、今再読している塩野七生著『ローマ人の物語〈XV)ローマ世界の終焉』に登場する東ローマ帝国ユスティニアヌス皇帝の皇后テオドラのことです。添付した写真は、その著書の表紙です。
私は、前の日記で、『今回トルコ旅行をして、アマゾン発生地・カッパドキア地方から、このアマゾン伝説に繋がる遺物・出来事・体験に、私はまったく残念ながら遭遇しませんでした。』と書きました。しかし、塩野七生氏の著書に出てくる西暦527年東ローマ帝国の皇帝になったユスティニアヌスの皇后・テオドラのことを思い出して、今再読しています。
そして、このテオドラが伝説の”アマゾン”の血脈を引き継ぐ女性ではと、私は確信しました。以下にこの著書から、テオドラに関する記述を引用・掲載します。
『ユスティニアヌスは、不思議な人であった。・・そのうえ、従来の慣習には捕われない面もあった。テオドラという名の踊り子を愛したのだが、東ローマ帝国では、元老院議員と下層出身の女を禁じている。ユスティニアヌスも元老院議員になっていたのだが、美しく勝気で魅力的な女を妻にするのに、帝国の法律のほうを変えたのである。皇帝になって以後も、同じように行動している。テオドラを、皇帝の単なる妻ではなくて皇帝とほぼ同格の皇后にするのを強行して、重臣たちの眼を丸くさせることになるのだ。・・北アフリカ進攻の一年前に、ニカ(Nika)の乱の名で有名な暴動が首都コンスタンティノープルで起こったときのことです。・・三万もの暴徒に皇宮に迫れて、五十歳になっていながらユスティニアヌスは恐怖に我を忘れた。皇宮の官僚たちの進言で、皇宮を逃げ出すことに決めたのである。その彼の前に立ちふさがったのがテオドラだ。皇后は、逃げ出すとは皇帝たる者の振舞いではないとユスティニアヌスを叱りとばし、ベリサルウスに鎮圧を命じよと言って一歩も引かなかった。・・ビサンチン帝国の歴史上、最も有名な皇帝はユスティニアヌスである。東方(オリエント)色が強くなる一方の東ローマ帝国で、血筋は良いが性格となるとはっきりせず、女らしく温和で子供を生む能力はある女たちならばあふれていた社会で、テオドラのような女に惚れこんだのだから愉快だった。』
塩野七生氏は、同性だからテオドラを選択したユスティニアヌスを”愉快”だと評しています。異性の私には、ユスティニアヌス皇帝の深層心理には、古代ギリシ神話の”アマゾン神話”が生き続けており、アマゾネスにとても強い”憧憬”があったのだと思っています。
だから、古代エフェソスで1か月開催されたアルテミスの祭りに集まった踊り子と同じDNAを持った女性として、東ローマ帝国(注:当然そのエフェソスも領地内)ユスティニアヌス皇帝は、下層出身の踊り子テオドラを自国の法律を変えてまでも、自らの皇后にしたのです。
しかし、現在私が知っているストリップ劇場の踊り子嬢の中で、このようなテオドラのような男まさりの勝気で魅力的な女性は、残念ながら今のところ出現していません。その背景となる時代がまったく違うから、単純に現在と過去を比較できませんが、私にはとても悲しい現実です。
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