天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

生魚料理・刺身に見る日中の食文化違いが残酷性民族論に発展か?それを解く鍵は劇場演技者女性の食物嗜好

2010-03-07 20:06:44 | 日記
今日の日記は、今私が読み直している『対談 中国を考える 陳舜臣・司馬遼太郎』(1983年文春文庫刊)の「近代における中国と日本の明暗:1974年11月22日 於大阪」で二人が語っている「生魚の料理(刺身)に見る日中の食文化の違い」のことです。前に、司馬さんと金達寿さんとの鼎談は掲載しましたが、陳舜臣さんとの対談は掲載をしなかったです。だから、私は公平性を確保する為、今回は陳さんとの鼎談を話題にします。以下に、長文になりますが、その該当する箇所を著書より引用し掲載します。
『・陳「中国の東北地方は、やはり華北の平原とはずいぶん感じが違いますね。ところで大連では刺身が出たんですよ。昔、日本人がおりましたから、あのころ料理屋の小僧さんだった人が刺身の作り方知ってるんですよ。ところが、30何年前のうろ覚えなわけで、ワサビのことは忘れちゃってるんだね。それを去年行った人に聞いていたものだから、今年は僕達は練りワサビのチューブに入ったの持って行きましたよ。」
・司馬「刺身で思い出したけど、近代中国の知日派の一人の蒋百里は<日本の対外的政治運動というのは陰謀、煽動、ワイロ、オドシ以外の手を知らない>と言ったんだけど、そのエッセイで、日本人の残酷さという問題について、刺身を食うことを例にあげている。今は刺身どころか活きづくりの魚を食ってる、僕は食べられないけどね(笑)。つまり彼によれば、刺身を食うっていうことは、暴力が好きということを内に秘めている、ということになるわけだな。まあ食物と料理法で民族論をやるのは間違いなんだけど。それにしても刺身が大連で生きてるっていうのは面白いね。」
・陳「中国でも、非常に限られた所ですけど、浙江省の寧波(ニンポー)の近くとか、広東のほうの一角とか、刺身を食う所はあるんですよ。」
・司馬「<羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く>っていう言葉があるくらいだから、やっぱり膾はあったわけだね。」
・陳「梅堯臣の詩の中に、船の上で獲った魚をすぐ刺身にして、大根切って、刺身のつまにしたという有名な詩があるんです。」
・司馬「へえ。いつごろ?」
・陳「宋代ですよ。そのころまでは中国に刺身はあったはずなんですよ。その後、大きな疫病があったかなんかで、刺身は食っていかんというので、やめてしまったと思うんですよ。いつから無くなったですかねえ。茶道とか、生け花でも、昔は向こうにあったけれども、いつの間にか無くなって、今では日本がそれを保存しているということですよ。」』
この二人の対談著書を、今私は興味深く読み直しています。その中でも、特に引かれたのは、ある中国人が指摘した「日本人の刺身嗜好と暴力性の相関」についてです。その著書で、司馬さんも書いていましたが、その相関性には私も異論があると思います。
でも、この論理の否定である、「生魚(刺身)が嫌いな人は、内にまったく暴力を秘めていないのか?」との素朴な疑問が生れてしまいました。論理学では、前の言葉と後ろの言葉を否定した論理の場合、これを『裏』と言います。この命題「日本人の刺身嗜好と暴力性の相関」での『裏』は真なのか?との素朴ですが、私にはとても関心のある疑問です。
だから再び、御自身ブログ「Profile」欄に「苦手な食べ物・生魚」と書かれた劇場演技者女性は、御自身の内に秘めた性情で、暴力性をどのように自覚されているか?私は、とても興味が沸きました。「生魚の料理(刺身)に見る日中の食文化の違いが、残酷性の民族論に発展」するのか?の命題を解く「鍵」を、彼女の食べ物の嗜好が完全に握っていると、私が率直に思ったからです。
でも、何のことでも彼女のことに結びつけている現在の私を、完全な深い思い込み状態に陥っていると、私は今強く自己反省をしています。
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