■ 今日、明日と雨のお天気。
午前中の亥鼻橋折り返しのスロージョギング終りころ、雨が降り出し、ひどくなってきた。
家に帰ると、図書館にリクエストした本のうち2冊がOKという。
ぶらぶら歩きで図書館に行く。
途中、マリンピアの河津桜は、雨の中5分咲きくらいで咲いていた。
・ 老いと死から逃げない生き方(中村仁一 1994.2 講談社)
・ 「平穏死」のすすめ―口から食べられなくなったらどうしますか(石飛幸三 2010.2 講談社)
を借りることができた。
2冊とも、著者は特別養護老人ホーム医師である。
パラパラっと開いて、飛ばし読みをする。
読んでみる価値がありそうだ。
■ 晴れの日は、季節の変化を感じながら街中や海辺をスロージョギング、または菜園に行く。
雨の日は、読みたい本を読んだり、その他のことをしたり。
先日の、小豆島・寒霞渓100km完走を機に、少しランにかかわる時間を減らし、他のことに時間を振り向けたい、と思っていた。
会社勤めの現役時は、無茶忙しく、組織の拘束・社会の制約ともに逃れられなかったけれど、仕事を引退したあとの生き方は、自分の自由に決められる。
死に臨む場合の選択、葬儀、墓、埋骨(散灰)も自分の意思で決めておきたい。
ま~、それよりも、自分はまだ比較的健康状態にあるから、死は遠いことなので近づいたころ、それなりに考えればよい。
ということでもないらしい。
図書館の棚から、たまたま引っぱり出して立ち読みした本、これも50年近く町医者をやっていた方の書いた本であった。
ず~っと医者をやるつもりはない、70歳代で半ば隠居状態で書かれた随想であった。
その「あとがき」に、
『… あと十年近く生きていけるということではない。
例えば、寝たきりで … … また認知症で… そんなにひどくなくても痴呆老人となって家族の平和を奪ってしまうことも珍しいことではない。
また何よりも老人の1/3はガンで死ぬ。
だから、余命はあと4,5年と思って最終期の自分の生き方を考える方がよい。
最終期、自分の死を確認し明らめておいて、今やりたいこと好きなことをやる。 …』
とあった。
… 余命4,5年と思って自分の生き方を考える、か。 …。
私は、今満66歳、誕生日が来て67歳になる。
60歳になったころ、5年ごとに新しい目標を立てなんて思っていましたが、
上のことからすると、
今は66~70歳までの命と考えて日々を過ごすことのほうが、より自立した人生を送ることができる。
洗濯、掃除は簡単だし、…毎食の料理がということで、
料理教室に通いだしてから、つい先日から3食の食事は月、金曜日は私が作ると約束されて、どうにかできるようになった。
他の家事少しも独りでできるようになって(現役時は仕事が忙しく、やむを得ず妻に依存していた)、妻から独立、解放されることが、当面一つの目標である。
死ぬまで自分の身の始末ができる状態でいたいもの。
一般的には、自力で動くことや飲み食いができなくなくなるのは、死の寸前の7~10日くらいだという。
そうなったら、定命が尽きた天寿の時と思い、秋の葉がハラりと木から離れるように穏やかに死んでいきたいと思う。
医療には頼らず、決して人工的な延命措置は行わない。
亥鼻橋+α 13k
当月 R=233k S=0k 年間累計 R=796km S=0k