![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/0b/c9ca2c6d081d1da6a81e2ad2d5145b8d.jpg)
フランス王妃になり損ねてラッキーだったかも・・・
ジョゼ1世妃 マリアナ・ヴィクトリア・デ・ボルボン
1718~1781/在位 1750~1777
かなりはしょりますけど、長くなるので覚悟して下さいね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp17.gif)
マリアナはスペイン王フェリペ5世とイサベル・デ・ファルネシオの王女です。
3歳の時に8歳年上の従兄弟、フランス王ルイ15世と婚約してフランスに渡りました。
同時にスペイン王子ルイス(後の1世)とルイーズ・ドルレアンなど
3組同時進行という壮大な縁談でした。
裏を返せば、どんだけ信用が無いんだか…![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/0e/3a168368a27c9e9b2215d2d169eae97d.jpg)
マリアナはパリでルイ14世とルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールの王女
コンティ公妃マリー・アンヌに養育されました。
マリアナはお茶目で可愛らしく宮廷での人気は上々だったのですけど
肝心のルイ15世本人はこまっしゃくれた彼女を嫌って避けていました。
マリアナが5歳の時宰相になったブルボン公ルイ・アンリは
王に嫡子がないまま何かあった時のことを恐れて、年上の相手を模索します。
結局マリアナは7歳の時に国へ帰され、ルイ15世はマリー・レクザンスカと結婚しました。
ここまでで『マリアナの人生~フランス編』は終了です。
スペイン王家では「娘を帰してきやがった!」と怒りが沸き上がりまして
フランスと敵対するオーストリアと同盟を結びました。
一方マリアナの婚約破棄を聞きつけたポルトガルは、すぐさま縁談をもちかけます。
スペインもフランスと戦う以上、後方は安全策をとっておきたいですよね。
縁談は決まり、マリアナが11歳の時に15歳のジョゼと結婚し
その翌日、マリアナの異母兄にフェルナンド(後の6世)とジョゼの姉バルバラも
式を挙げました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/f3/0933cbdb8788eb7e520f20551f7fea37.jpg)
1750年、ジョゼが王に即位します。
その5年後でした、約6万人の死者を出したというリスボン大地震がおこります。
都市は壊滅的被害を受け、大金を失った富裕層はパニックに陥りました。
こんな時こそ王と王妃の腕の見せどころ…だっていうのにっ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp30.gif)
ジョゼ1世は地震の恐怖から閉所恐怖症になり、アジュダの丘の上に避難します。
壁が崩れてきたら恐ろしいとうことで、しばらくテントを張って野外生活をしたらしいよ。
石造りだから、確かに怖いかもしれないけど…
リスボンでは留守を預かっていたポンバル候が権力を握り君主のようになっていました。
マリアナは、ジョゼ1世のポンバル候に対する信頼ぶりが気に入らなかったそうです。
しかし、この時難民対策と都市計画を指揮したジョゼ1世をおおいに助けたのは
ポンバル候だと思うんだけどな…もう少し温かい目で見てあげても…
マリアナはとても生真面目で意志の強い人だったそうです。
ジョゼ1世が時々浮気をして、人々が目の前で噂をしていても堂々としていたらしい…
音楽と狩猟が好きで、スペインの家族と親交を続けていました。
1774年から病のジョゼ1世の摂政を務め、娘のマリア1世即位後も影響力を持っていました。
マリア1世は何ごとにつけマリアナに相談したそうで、おかげでポンバル候は失脚しました。
晩年は兄のカルロス3世のもとを訪れて1年ほど滞在し、
その間に孫や甥、姪の縁談を張り切ってまとめました。
孫ジョアン(後の6世)とカルロス4世王女カルロッタ・ホアキナの縁談もまとめてます。
マリアナが62歳で亡くなった時、マリア1世は伯父のカルロス3世に宛てて
「最大の理解者を失いました」と書き送りました。
幼くしてフランスから追い返された時には、悔しくて悲しかったと思うけど
その方がよかったんじゃないかしら?
ルイ15世の浮気はハンパじゃないし、フランスの宮廷夫人って
愛妾に力が及ばない王妃にはすごく冷たいと思うんですよ。
気の強い方には、とても耐えられる環境じゃなかったと思うわ…
(参考文献 デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)
ジョゼ1世妃 マリアナ・ヴィクトリア・デ・ボルボン
1718~1781/在位 1750~1777
かなりはしょりますけど、長くなるので覚悟して下さいね
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マリアナはスペイン王フェリペ5世とイサベル・デ・ファルネシオの王女です。
3歳の時に8歳年上の従兄弟、フランス王ルイ15世と婚約してフランスに渡りました。
同時にスペイン王子ルイス(後の1世)とルイーズ・ドルレアンなど
3組同時進行という壮大な縁談でした。
裏を返せば、どんだけ信用が無いんだか…
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/0e/3a168368a27c9e9b2215d2d169eae97d.jpg)
マリアナはパリでルイ14世とルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールの王女
コンティ公妃マリー・アンヌに養育されました。
マリアナはお茶目で可愛らしく宮廷での人気は上々だったのですけど
肝心のルイ15世本人はこまっしゃくれた彼女を嫌って避けていました。
マリアナが5歳の時宰相になったブルボン公ルイ・アンリは
王に嫡子がないまま何かあった時のことを恐れて、年上の相手を模索します。
結局マリアナは7歳の時に国へ帰され、ルイ15世はマリー・レクザンスカと結婚しました。
ここまでで『マリアナの人生~フランス編』は終了です。
スペイン王家では「娘を帰してきやがった!」と怒りが沸き上がりまして
フランスと敵対するオーストリアと同盟を結びました。
一方マリアナの婚約破棄を聞きつけたポルトガルは、すぐさま縁談をもちかけます。
スペインもフランスと戦う以上、後方は安全策をとっておきたいですよね。
縁談は決まり、マリアナが11歳の時に15歳のジョゼと結婚し
その翌日、マリアナの異母兄にフェルナンド(後の6世)とジョゼの姉バルバラも
式を挙げました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/f3/0933cbdb8788eb7e520f20551f7fea37.jpg)
1750年、ジョゼが王に即位します。
その5年後でした、約6万人の死者を出したというリスボン大地震がおこります。
都市は壊滅的被害を受け、大金を失った富裕層はパニックに陥りました。
こんな時こそ王と王妃の腕の見せどころ…だっていうのにっ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp30.gif)
ジョゼ1世は地震の恐怖から閉所恐怖症になり、アジュダの丘の上に避難します。
壁が崩れてきたら恐ろしいとうことで、しばらくテントを張って野外生活をしたらしいよ。
石造りだから、確かに怖いかもしれないけど…
リスボンでは留守を預かっていたポンバル候が権力を握り君主のようになっていました。
マリアナは、ジョゼ1世のポンバル候に対する信頼ぶりが気に入らなかったそうです。
しかし、この時難民対策と都市計画を指揮したジョゼ1世をおおいに助けたのは
ポンバル候だと思うんだけどな…もう少し温かい目で見てあげても…
マリアナはとても生真面目で意志の強い人だったそうです。
ジョゼ1世が時々浮気をして、人々が目の前で噂をしていても堂々としていたらしい…
音楽と狩猟が好きで、スペインの家族と親交を続けていました。
1774年から病のジョゼ1世の摂政を務め、娘のマリア1世即位後も影響力を持っていました。
マリア1世は何ごとにつけマリアナに相談したそうで、おかげでポンバル候は失脚しました。
晩年は兄のカルロス3世のもとを訪れて1年ほど滞在し、
その間に孫や甥、姪の縁談を張り切ってまとめました。
孫ジョアン(後の6世)とカルロス4世王女カルロッタ・ホアキナの縁談もまとめてます。
マリアナが62歳で亡くなった時、マリア1世は伯父のカルロス3世に宛てて
「最大の理解者を失いました」と書き送りました。
幼くしてフランスから追い返された時には、悔しくて悲しかったと思うけど
その方がよかったんじゃないかしら?
ルイ15世の浮気はハンパじゃないし、フランスの宮廷夫人って
愛妾に力が及ばない王妃にはすごく冷たいと思うんですよ。
気の強い方には、とても耐えられる環境じゃなかったと思うわ…
(参考文献 デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)