まりっぺのお気楽読書

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スペイン王フェルナンド6世妃 バルバラ

2009-05-15 01:20:20 | スペイン王妃・王女
音楽で愛を育んだ王と王妃
フェルナンド6世妃 バルバラ・デ・ポルトゥガル


1711~1758/在位 1746~1758

ポルトガル王ジョアン5世にはなかなか(といっても3年)嫡子ができず
神に誓いをたててやっと生まれたのがバルバラでした。
ジョアン5世は約束どおり感謝を込めてマフラ修道院を建立しました。

     
後に弟がふたり生まれたので王位後継者からは外されましたが
小さな頃から恵まれた教育を授けられました。

特に音楽は彼女自身大変な力の入れようで、10歳ぐらいから4年間
高名なハープシコード奏者ドメニコ・スカルラッティに師事していました。
バルバラがフェルナンドに嫁いだ時にはスカルラッティがマドリッドまで付き添い
彼女のために『100台のハープシコードによるソナタ』を作曲しています。
100台ってすごいね… 正月の大正琴の競演みたいになっちゃうんじゃない?

スペイン継承戦争からこっち、なにかと敵が多いスペインは
せめて隣国とは仲良くしようと思ったのかしらね?
それともまたポルトガルを狙っていたのかしら?
いずれにしてもフェルナンドと2歳年上のバルバラは1729年に結婚しましたが
スペイン宮廷には我が物顔のフェリペ5世妃イサベル・デ・ファルネシオが君臨して
なんとか我が子を次の王にと頑張っていました。
フェルナンドの嫁が可愛いはずもなく、冷た~い態度で臨んだに違いありません。

バルバラは決して美しい方ではなかったようで、初めて彼女に紹介された時
フェルナンドはショックを隠しきれなかったと(失礼な )言われています。
けれどもバルバラの影響で音楽を学び始めたフェルナンドは、音楽に情熱を注ぐうちに
彼女を深く愛するようになりました。

1746年にフェルナンド6世が即位してバルバラは王妃になりました。
義理の母イサベルはグランハ宮殿へ遠ざけられたのですが
バルバラもあまり宮廷がお気に召さなかったのか
大好きなのアランフェス宮殿で頻繁に舞踏会や音楽会を催しました。

夫婦仲は良かったようなのですが、なかなか子供ができませんでした。
さてはイサベル・デ・ファルネシオの呪いか?

バルバラは若い頃から肥り始めて、喘息に悩まされました。
結局子供は生まれないまま1758年に亡くなりましたが
45歳のフェルナンド6世は打ちのめされてしまって翌年に亡くなりました。
やはりイサベルの呪いなのか

            
                 後年のバルバラ
                     貫禄充分になりまして…


政治には興味無かったみたいですね。
子供が生まれず宮廷ではかなり厳しい立場に立たされたことと思いますが
打ち込めることがあって、何より王に愛されたというのが幸せだったのではないかしら。

(参考文献 Wikipedia英語版)

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