まりっぺのお気楽読書

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ポルトガル王ペドロ2世妃 マリア・ソフィア

2010-05-24 23:44:36 | ポルトガル王妃
王に尊敬の念を抱かせた若き王妃
ペドロ2世妃 マリア・ソフィア・デ・ネウブルゴ


1666~1699/在位 1687~1699

マリア・ソフィアの父親はプファルツ選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルム、
23人のお子を持つパワフルな両親のもとに生まれました。
すごいよね! 子供手当、満額なら59万8千円? 働かなくていいんじゃなくて?

エレオノーレは神聖ローマ皇帝レオポルト1世に、
マリアナはスペイン王カルロス2世に嫁いでいます。

       

21歳で39歳のペドロ2世と結婚したマリアは
上記の姉妹たちに似ず(?)とても優しく慈愛に満ちた人だったそうです。
前妃マリア・フランシスカの忘れ形見イサベル王女とも良好な関係を築きました。

慈善に熱心で、孤児や貧しい人たちには宮廷で診察の機会を与えていました。
フランシスコ派の学校の設立にも寄付を惜しみませんでした。

かなり年上のペドロでしたが、マリアには尊敬の念を持って接していたそうです。

しかし、そんな人格者にもついてまわる小姑問題
イングランド王チャールズ2世の死後帰国していたカタリナとは
しきたり等の面で気が合わず度々ぶつかったご様子です。

丹毒と思われる熱のため、33歳の若さで亡くなりました。
誕生日のわずか3日前でした。
ペドロ2世は、その後再婚していません。



              
家系はすごい
ジョアン5世妃 マリア・アナ・デ・アウストリア


1683~1754/在位 1708~1750

父は神聖ローマ皇帝レオポルト1世で母はエレオノール、ということは
義母マリア・ソフィアは叔母で、ジョアン5世は従兄弟です。

弟に神聖ローマ皇帝カール6世がいまして、女帝マリア・テレジアの伯母にあたります。

            

ジョアン5世時代のポルトガルは、ブラジルで発見された金鉱の富をバックに
大層な贅沢を謳歌した時代でした。
ジョアン5世は絶対王政でポルトガルを統治して、他の欧州諸国に負けじと
壮麗な宮殿や記念碑などを建てられました。

一方、1701年から始まったスペイン継承戦争で、ポルトガルはハプスブルク家につきましたが
1714年にブルボン家の勝利に終わりました。

敵だった国が隣国を治めるとなったらうかうかしていられないですね。
そんなわけで、長女バルバラはスペイン王フェルナンド6世に嫁ぎました。

1742年、ジョアン5世が病のために統治ができなくなるとマリアは摂政になります。
息子ジョゼ1世の即位にともない表舞台から身を引いて、4年後に亡くなりました。
心臓はウィーンに運ばれハプスブルク家の霊廟に葬られました。

              
               同じ人とは思えないので載せてみた

(参考文献 デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)

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