まりっぺのお気楽読書

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スウェーデン王カール11世妃 ウルリーカ

2011-08-26 09:20:53 | スウェーデン王妃
婚家に忠誠を尽くした王妃
カール11世妃 ウルリーカ・エレオノーラ・アヴ・ダンマルク


1656~1693/在位 1680~1693

公正で行動派な熱い心の持ち主カール11世の妃ウルリーカは
デンマーク王フレデリク3世とアマーリエ・アフ・ブラウンシュヴァイクの王女です。

19歳でカールと婚約したものの、スコーネ戦争の時には婚約を破棄して
神聖ローマ皇帝レオポルト1世に嫁がせようかという案が浮上しました。

しかしウルリーカはこれを拒みます。
すでに未来の嫁ぎ先に忠義を尽くす覚悟のウルリーカは
スウェーデンの捕虜たちにも優しく接していました。

しかし、スウェーデンといえば、長々とデンマークと争っていて
お互い多数の死者を出す激しい戦闘をしている宿敵ですよ…
和平の一環とは言え、よく嫁ぐ気になったものですよね。
          
実はカール11世はその前に婚約者がいまして、スウェーデン宮廷で育てられていたのですが
いきなり(カールのではない)子供を産み落としちゃいまして破談になってました。

ウルリーカは美しくて優しい女性で、カールも彼女を愛したと思われます。
亡くなる時に母后ヘドヴィクに「王妃が亡くなってからはずっと不幸だった」と
打ち明けたと言われているし、浮気をした形跡がありません。

でもカールはよそよそしくて人見知りな性格で、上手く愛情表現ができなかったのね。
読み書きが満足にできなかったのでラブレターや詩を捧げるなんてこともできなかったかも…

それになんたって母后ヘドヴィクの支配下から抜け出せずにいました。
反デンマーク派を公言していたヘドヴィクは、相手が誰であれ
息子がデンマーク王女と結婚するということそのものが気に食わなかったわけですね。
ウルリーカが嫁いで来た後も、宮廷での権力は引き渡さず
貴族たちもヘドヴィクの顔色をうかがって、ヘドヴィクを王妃と呼び続けていました。

ですので、ウルリーカは宮廷ではあまりハッピーじゃなかったみたいですが
家庭の方はとても幸せだったようです。
カールベリ城というちょっと小ぶりな城で宮廷のことなんか忘れて過ごすのが楽しみでした。

ダンスや芝居が好きで、女性だけの素人芝居を主催していました。
劇団にはマリア・ケニヒスマルクなんかも参加していました。

政治的なことには口をはさみませんでしたが、一度だけカール11世に
政府に財産を没収された人たちを助けてほしいと頼みました。
しかしカールが聞く耳を持たなかったので口をつぐみ、自分の財産でこっそり援助しました。

他にも孤児院・貧民院・保養施設・未亡人のための施設・貧しい人のための労働施設や学校、
援助基金など多数の施設を設立しました。
それ以外にも自分の財産から、病気の兵士とその妻への援助も行っています。
宮廷では母后ヘドヴィクに牛耳られていたウルリーカは、庶民の間では偉大な王妃でした。

カールは1960年に「自分が亡くなった場合の幼王の摂政はウルリーカに」と宣言しています。
長年反抗できなかったヘドヴィクを差し置いて… Good Job! カール11世。

しかしウルリーカはその3年後、出産の時に亡くなってしまいました。
なんでも、こんな言い伝えが…
ウルリーカの遺体はカールベリ宮殿に安置されました。
そこへウルリーカが大好きなマリア・ステンボック伯夫人が訪ねてきました。
ところがステンボック伯夫人自身も重病で臥せっているはずでした。
カールベリの役人が不審に思って鍵穴からのぞくと…
なんと! 亡くなったはずの王妃と会話してるっていうじゃない
翌日、役人はステンボック夫人がストックホルムを離れていないことを聞くと
ショックのあまり亡くなってしまいました。
でも、恐ろしいけど友情が感じられる美しい話よね 。

カールはその4年後に亡くなりました。
またまたヘドヴィクが摂政を務めます…  つづく

(参考文献 武田龍夫氏『物語スウェーデン史』 Wikipedia英語版)

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