まりっぺのお気楽読書

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神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世妃 マリア・ヨーゼファ

2010-01-11 23:19:47 | ハプスブルク帝国の妃・皇女
女性として可哀想すぎる
ヨーゼフ2世妃 マリア・ヨーゼファ・フォン・バイエルン


1739~1767/在位 1765~1767

愛妻マリア・イザベラを亡くしたヨーゼフは「人生は終わった」と言って
再婚したがらなかったのですが、母君マリア・テレジアが許すわけないじゃんか!
てなわけで、亡き妻の妹マリア・ルイサにしつこく求婚しました。
でも彼女はすでにスペイン王太子カルロスとの結婚が決まっていてNG。
ハプスブルク家には、かえって良かったんじゃないですかね

そこでまたいとこにあたるマリア・ヨーゼファと結婚することになりました。
マリアの父カール・アルブレヒトは、女帝の夫フランツ1世が皇帝になる前に
一瞬ハプスブルク家から皇帝位をもぎとってカール7世として即位した人です。
ヴィッテルスバハ家は、夢再び!と考えていたかもしれませんね。

めぼしい花嫁候補は、みんな結婚したり婚約してた…という説もありますが。

結婚するとすぐにフランツ1世が亡くなり、ヨーゼフは神聖ローマ皇帝に即位します。
実権は女帝が握っていたわけですけれど。

        
この結婚、お察しのとおり大変不幸なものでした。

ヨーゼフはまったくマリアに興味を示さないばかりか
「ちびだし、でぶだし、歯並び悪いし…」と、なんと本人に書き送ったらしいですよ
口で言われるならまだしも、手紙だよ!! 書き記して届ける… 根性悪い。

マリアは女帝から「早く世継ぎを!」とプレッシャーをかけられていましたが
ヨーゼフがマリアと同じ部屋で寝るのを断っていたものですから
さっぱりその兆しはありませんでした。

さらに、ヨーゼフはマリアに会うのも拒んでいて
お互いの部屋が繋がっているバルコニーを分けてしまおうとしたほど…
シェーンブルン宮殿ですよ! バルコニーぶった切るってどうよ?

結婚から2年後、マリア・ヨーゼファも前妻マリア・イザベラ同様天然痘で亡くなります。
ヨーゼフは一度も見舞いに行かなかったし、葬儀にも参列しませんでした。

ヨーゼフはその後再婚していません。
しなくていいさ! 相手が可哀想だからね。

1778年、ヨーゼフはバイエルン選帝侯マクシミリアン3世が子供を遺さなかったことから
バイエルン領に対して権利を主張します。
理由は、妃マリア・ヨーゼファがマクシミリアン3世の妹でバイエルン公女だから。
生きている時には妻として見なかったくせに、なにさ !

いかんね、書けば書くほど怒ってきちゃいますね。

結局ヨーゼフの申し立てはバイエルン継承戦争に発展しましたが
ハプスブルク家はイン川流域をちょっぴり手に入れただけでした。

マリア・ヨーゼファはヨーゼフより(2歳だけど)年上で
女性らしさやさしさに欠けていたとも言いますが
こんな仕打ちを受けたらやさしい気持ちなんか持てないですよね?

よしんば性格があまり良くなかったとしたって、酷い扱いだと思いません?
女性にやさしくしてほしかったら、同じようにやさしくしなさいよって思っちゃうわ!

趣味とか仕事とか、他に打ち込めるものがあったら
もう少し状況も違っていただろうに…

(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家』 Wikipedia英語版)

ハプスブルク家  講談社


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