不幸な王を愛した王妃
カルロス2世妃 マリア・ルイサ・デ・オルレアンス
1662~1689/在位 1679~1689
ヨーロッパが激しい争いと変化を繰り返していた17世紀後半
フランス王ルイ14世と王弟オルレアン公フィリプ1世は、再びスペインとの関係強化が
重要だと考えて、カルロス2世の妃をフランス王家から嫁がせようと考えました。
けれどもルイ14世の王女たちは夭逝してたので
オルレアン公の娘だったマリア・ルイサが嫁ぐことになったのです。
たぶん、カルロス2世が精神的に稚拙で、見た目もあまりよくない…というか
一種異様であるという噂は届いていたはずで、マリア・ルイサの説得には
ルイ14世自らがあたりました。
マリア・ルイサはオルレアン公の大のお気に入りで、伯父のルイ14世にも大切にされ
とても幸せな少女時代を送りました。
また、幼い頃には宮廷に父方の祖母アンヌ・ドートリッシュや
(亡命中の)母方の祖母イングランド王チャールズ1世妃アンリエッタ・マリアがいて
たいそう可愛がれていました。
そんな箱入り娘が17歳で異国の地へ嫁ぐのです。
しかも相手は “ 悪魔に魅入られた王 ” などと呼ばれている人物です。
大変な決心だったでしょうね。
カルロス2世は性的に不能だといわれていましたが、マリア・ルイサに会うなり
夢中で愛するようになって、その情熱は死ぬまで続きました。
けれどもスペイン宮廷のうるさいしきたりと、世継ぎが生まれないことへのプレッシャーで
マリア・ルイサは見るからに衰弱していきました。
フランスから随行して来た使用人たちは、王妃が不当に扱われていると
スペイン王家を非難したほどです。
マリア・ルイサはカルロス2世と揃って祈祷に出かけたりしましたが
やはり子供に恵まれず、あまりにも幸せだったフランスへのホームシックもあって
過食に陥りかなり太ってしまいました。
1689年、乗馬の後急に腹部の激しい痛みを訴えたマリア・ルイサは
その夜のうちに亡くなりました。
母后マリアナによる毒殺説もあります。
マリア・ルイサは死に際してカルロス2世に
「陛下はきっと次の妃をもらわれるでしょうが、私のように陛下を愛する人は
いないでしょう」と言ったとされています。
しかし、これはスペイン側の立会人が言っていることなのでね…
もしかしたら、ふたりの間には愛が存在していたかもしれません。
けれども、孤独でどうしようもない毎日を慰めてくれたり
母后や宮廷内の圧力から守ってくれる力がカルロス2世に備わっていなかったということが
ふたりにとっての悲劇だったのだと思います。
愛だけでは乗り切れないことって、けっこうありますからね
(参考文献 佐竹謙一氏『浮気な国王フェリペ4世の宮廷生活』
岩根圀和氏『物語 スペインの歴史』 Wikipedia英語版)
カルロス2世妃 マリア・ルイサ・デ・オルレアンス
1662~1689/在位 1679~1689
ヨーロッパが激しい争いと変化を繰り返していた17世紀後半
フランス王ルイ14世と王弟オルレアン公フィリプ1世は、再びスペインとの関係強化が
重要だと考えて、カルロス2世の妃をフランス王家から嫁がせようと考えました。
けれどもルイ14世の王女たちは夭逝してたので
オルレアン公の娘だったマリア・ルイサが嫁ぐことになったのです。
たぶん、カルロス2世が精神的に稚拙で、見た目もあまりよくない…というか
一種異様であるという噂は届いていたはずで、マリア・ルイサの説得には
ルイ14世自らがあたりました。
マリア・ルイサはオルレアン公の大のお気に入りで、伯父のルイ14世にも大切にされ
とても幸せな少女時代を送りました。
また、幼い頃には宮廷に父方の祖母アンヌ・ドートリッシュや
(亡命中の)母方の祖母イングランド王チャールズ1世妃アンリエッタ・マリアがいて
たいそう可愛がれていました。
そんな箱入り娘が17歳で異国の地へ嫁ぐのです。
しかも相手は “ 悪魔に魅入られた王 ” などと呼ばれている人物です。
大変な決心だったでしょうね。
カルロス2世は性的に不能だといわれていましたが、マリア・ルイサに会うなり
夢中で愛するようになって、その情熱は死ぬまで続きました。
けれどもスペイン宮廷のうるさいしきたりと、世継ぎが生まれないことへのプレッシャーで
マリア・ルイサは見るからに衰弱していきました。
フランスから随行して来た使用人たちは、王妃が不当に扱われていると
スペイン王家を非難したほどです。
マリア・ルイサはカルロス2世と揃って祈祷に出かけたりしましたが
やはり子供に恵まれず、あまりにも幸せだったフランスへのホームシックもあって
過食に陥りかなり太ってしまいました。
1689年、乗馬の後急に腹部の激しい痛みを訴えたマリア・ルイサは
その夜のうちに亡くなりました。
母后マリアナによる毒殺説もあります。
マリア・ルイサは死に際してカルロス2世に
「陛下はきっと次の妃をもらわれるでしょうが、私のように陛下を愛する人は
いないでしょう」と言ったとされています。
しかし、これはスペイン側の立会人が言っていることなのでね…
もしかしたら、ふたりの間には愛が存在していたかもしれません。
けれども、孤独でどうしようもない毎日を慰めてくれたり
母后や宮廷内の圧力から守ってくれる力がカルロス2世に備わっていなかったということが
ふたりにとっての悲劇だったのだと思います。
愛だけでは乗り切れないことって、けっこうありますからね
(参考文献 佐竹謙一氏『浮気な国王フェリペ4世の宮廷生活』
岩根圀和氏『物語 スペインの歴史』 Wikipedia英語版)
物語 スペインの歴史 中央公論新社 このアイテムの詳細を見る |