まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

ポルトガル王ペドロ4世妃 アメリア

2010-05-30 01:01:46 | ポルトガル王妃
ジョセフィーヌゆずりの美しさ
ペドロ4世妃 アメリア・デ・レウシュテンベルグ


1812~1873/在位 (ポルトガル王妃)せず (ブラジル皇后)1829~1831

アメリアの父はナポレオン1世の継子ロイヒテンベルク公ウージェーヌ・ド・ボーアルネで
祖母はジョセフィーヌです。

         

マリア・レオポルディナを失って3年、ペドロは再婚相手を探し始めました。
しかし、我が物顔の愛妾ドミティラはいるし、絶大な人気を博していたマリアへの
酷い仕打ちが噂になっていたせいで、候補選びは難航しました。

相手に選ばれちゃったアメリアは、兄オーギュストとともにブラジルに到着します。
アメリアを一目見たペドロは、その美しさにボーッとしてしまい
彼女を讃えてバラ勲章なるものを作りました。

あ、愛妾ドミティラは、アメリア到着前におヒマを出されていました。
賢明な処置ですね、ペドロ、Good Job!

アメリアも慈悲深かったみたいですけど、控えめな人だったのかしら?
前妃ほど人気もなく、落ち目になった皇帝ペドロの人気は回復しませんでした。

1831年、大規模な反乱がおこり、ペドロは皇帝を退位して皇子ペドロが即位しました。
アメリアはペドロとともにポルトガルへ向かいます。
懐かしのヨーロッパを目に前にした時、何を思ったんでしょうね?

ペドロはポルトガル王座とブラガンザ公位を賭けて
娘マリア(2世)の名の下に、弟ミゲルとの戦いに明け暮れて
勝利した1834年の末に亡くなりました。

アメリアはたったひとりの娘マリア・アメリアの養育と慈善活動に専念し
政治的なことには関わらずに過ごしました。
未亡人になったのは22歳の時でしたが、その後再婚もしませんでした。

1873年、結核のためマデイラ諸島で亡くなりました。

なんでも前妃マリアの人気には、ハプスブルク家出身の王女がやってきた!という
ありがたみも大きく物を言っていたらしいんですよね。
ナポレオンがらみで出世した家の出の娘なんて太刀打ちできるもんじゃありません。
ご本人にはなんの罪も咎もなかろうに、お気の毒なことです。

               
                アメリア王女です。可愛いですね
                特にエピソードが無いので、ここで紹介しておきます


(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家の女たち』
      デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)

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8 コメント

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こんばんは (喜久子)
2010-05-30 02:17:03

 まりっぺ様お久しぶりです。ポルトガル王妃シリーズをして頂いてありがとうございます!毎回楽しく拝見させて頂いています。

 美男で通っていたペドロ4世の王女達は肖像画を見るかぎり皆美人がおおいですね。ヴィンターハルターが描いたフランシスカ王女やマリア2世は発見当時ときめいたくらいですから(笑)
 その中で特にアメリア王女の事がお気に入りなんです。アメリア王女じつは、フランツ・ヨーゼフ1世の次弟のマクシミリアン太公と婚約なさっていたみたいです。しかし残念ながら、結核でマデイラ島で養成中に亡くなられてまって。もし、結婚していたらシシィの義妹に!シシィは義弟の妻シャルロット妃と犬猿の中だったらしいですから、もしアメリア王女だったらどんな関係だったのか?考えてみると面白いです(笑)アメリア王女は写真は残ってないですが肖像画を見るかぎりは美少女なのでシシィとウィーン宮廷を二部する美女合戦が見れたかもしれないです(笑)しかも、シシィはバイエルン王家傍系の公女、アメリアは生粋の王女。史実では出自にいちゃもんをつけたシャルロット妃がシシィを攻撃して姑のゾフィー太公妃が味方した構図になります。役者が変わるだけですかねこれでは(苦笑)。でも、結婚したとしても、マクシミリアン太公とは悲劇的な最後を向かえていたことでしょうね。あと、シシィはフランツ・ヨーゼフや三弟のカール・ルートヴィッヒを虜にしていますがマクシミリアンが惹かれたと言うのはとんと聞かないので、シシィが眼中に入らないほどアメリア王女の事忘れられなかったんだなぁと勝手に思っています!

 長々とすいませんでした。ポルトガル王妃シリーズもいよいよ佳境に突入ですね。マリア2世の記事やシシィの愛娘ヴァレリーの婿になったかも?カルルシュ1世の妃など楽しみです。それでは失礼致します。
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シシィとの対決! (まりっぺ)
2010-05-30 20:11:44
喜久子さま、こんばんわ。

喜久子さんにコメントをいただいたおかげでポルトガルのことを思い出し、楽しく家系図が書けました。

たしかにアメリア王女は早く亡くなっているんですよね。
シシィは特定の人を除いて誰とでも仲が悪いので アメリア王女とも上手くいったかどうか…
お母様の人柄を引いて大人しく控えめだったら上手くいったかもしれませんね。
でももしペドロの血をひいてワガママだったら…どうでしょう?

美の追求者シシィは自分より美しい人がやってきたら不機嫌になったかもしれないし…妄想は膨らみますね。
昔の貴族のエピソードを知ると、そういうことがあるから面白いですよね。

今からマリア2世をアップいたします
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こんにちは (ケイコ・オカモト)
2010-07-12 08:26:21
まりっぺ様、お久しぶりです。

アメリア王女は、マクシミリアン大公と婚約していたんですね。初めて知りました。
マクシミリアンは後にメキシコで悲劇的な最期を遂げますが、彼をメキシコ皇帝に誘ったのがナポレオン3世、彼はナポレオン1世の甥ですが、同時にジョセフィーヌの孫でもありますよね。(つまり母のアメリアといとこ同士)
マクシミリアンはフランツ・ヨーゼフの弟ですが、実はナポレオン1世の孫ではないか、という説もあるようですし、フリードリヒ大王の時もそうですが、真相はともかく何か人間の因縁めいたものを感じずにはいられません。

又長々とごめんなさい。
これからも楽しみにしてます。
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こんばんわ (まりっぺ)
2010-07-12 23:30:38
ケイコ・オカモト様
こんばんわ

マクシミリアンをメキシコ皇帝にすることは、ナポレオン3世よりウージェニーの方が熱心だったみたいです。
まったく夫婦揃って時代を読み間違えていたとしか言えませんよね。
おかげでふたりはしばらく欧州の王家から白い目で見られちゃったようです。
特にハプスブルク家に…

ナポレオン2世の子説、ドキドキしますね!

当時の噂って、手紙や日記などを中心に伝達されているので信憑性がある気もするし、妬みや嫉みによる中傷も多そうな気がするし…迷いますよね。
わたくし的にはゴタゴタがあってくれた方が面白いのですけれど。
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そういえば (Unknown)
2011-02-19 10:11:10
このアメリアと上記のマリア2世の夫の一人オーギュスト両名の姉に当たるジョセフィーヌという女性はスウェーデンの王妃になっているんですよね(しかし相手のオスカル1世の母が彼女たちの祖母に婚約者だったナポレオンを略奪されたデジレ・クラリーというのも皮肉ですが)。
スウェーデンも結構王室の歴史が長いので、『スウェーデン王妃』特集もぜひ。
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こんにちわ (まりっぺ)
2011-02-20 13:40:11
こんにちわ

王侯貴族の縁談て不可解なものが多いですよね。
自分が婚約破棄された相手と兄弟姉妹が結婚したり、子供が自分との縁談を断った相手の子供(時には本人)と結婚したり…
結婚も政策のひとつだったのでしょうが、なんだか目先の状況でコロコロ相手を変えられてしまうというのも可哀想ですよね。
庶民で良かった…

スウェーデンは本当は神聖ローマ皇后のあとにしようと思って準備はしてあるのですが、王女シリーズをやってみたら楽しくなっちゃって…次にしようかどうしようか迷っております
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意外な繋がりが (ケイコ・オカモト)
2011-11-11 17:09:08
こんにちは。

まりっぺ様、お久しぶりです。
このところ忙しくて読む暇がなかったのですが、久しぶりに読んでみたらたくさん書いてあったのでびっくりです。
(知らない人ばかりなので、また勉強になります)
改めて読み直してみて
マクシミリアンとアメリア王女が結婚して、シシィの義妹になっていたらどうなっていたのかな、と私も興味深いです。
アメリア王女の母方の祖母はシシィの母やその夫フランツ・ヨーゼフとマクシミリアンの母と姉妹になり、母のアメリアはシシィやその夫、マクシミリアンとはいとこ同士になるんですよね。

何だかこうやってみてみると、偶然かもしれないけど、意外なところでナポレオンやその縁者との繋がりが発見できるなあ、と思ってしまいます。
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こんばんわ (まりっぺ)
2011-11-16 23:54:04
ケイコ・オカモトさま、こんばんわ
お返事がとんでもなく遅くなってしまってすみません。

昔の王家の破談になった婚約には「およ!」というものが多くて、もし結婚していたらどうなったかしら?と考えるだけでもわくわくしますよね。

私はボナパルト家を成り上がりの一発屋だと思っていましたが、このブログを始めてから、けっこう後々まで続いたのね…と感慨深くなっているところです。
肖像画スタイルの流行によるものかもしれませんが美人さんが多いですよね。
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