まりっぺのお気楽読書

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ポルトガル王ミゲル1世妃 アデライデ

2010-05-31 23:35:37 | ポルトガル王妃
婚活の時はそばにいてほしい・・・
ミゲル1世妃 アデライデ・デ
        ローウェンシュテイン=ウェルトハイム=ローゼンベルグ


1831~1909/在位せず

ちょっと順番が前後してしまいますけど…

ミゲルは王子の時に母后カルロッタ・ジョアキナとクーデターをおこして追放になり
その後マリア2世から王座を奪いました。

ミゲルは超保守派で、王座につくと憲法を廃止して絶対王政で統治しようとしました。
しかし、リベラルなペドロの帰国で自由主義戦争がおこってミゲルは敗戦、
全ての権利を剥奪されて再びウィーンへ追放の身になります。

その間ずっと独身だったようですけど、49歳の時20歳のアデライデと結婚しました。

アデライデはハプスブルク帝国のレーヴェンシュタイン公女です。

          
なんで年ごろの若い娘を追放中の、しかも若くもない男性に嫁がせるかね? と
不思議に思いません?

追放中とはいえ、ミゲルは絶対王政主義と保守派のシンボルみたいになってまして
保守派の王家はけっこう手厚くもてなしたみたいです。

結婚後、一家はアデライデの故郷に身を寄せていたみたいで
1666年にミゲルはバーデンで亡くなっています。
アデライデには6人の幼い子が残されました。

ここからアデライデの活躍が始まります。
生家の名とブラガンザ家の名を借りて、子供たちに立派な縁談を与えますよ!
ほぼ10年の月日を費やしています。

娘たちの嫁ぎ先は、ブルボン=スペイン家、ハプスブルク家、ヴィッテルスバハ家、
ナッソウ=ルクセンブルク大公家などそうそうたる家柄です。
息子ミゲルはトゥルン=ウント=タクシス家から妃を迎えています。
二人目の妻はアデレイドの姪マリア・テレジアです。

名家とはいえ追放された父を持つ子女としてはすごくいい縁談!
残っている王家でお相手の奪い合いという状況の中、すごく頑張ったと思います。
こんな方だったら仲人も安心して任せられるわね

なぜか分らないんですけど、イギリスのワイト島で亡くなっているのよね。
1909年でしょう? ドイツはまだ王国だし…亡命じゃないですよね?
子供たちの嫁ぎ先でもないし…病気療養とかかしら?

ちなみに、イギリスは自由主義戦争でペドロ側について
最終的にミゲルを敗退にいたらしめた国でございます。

(参考文献 デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)

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3 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-04-11 07:15:03
この婚活活動の結果、現在ベルギー・ルクセンブルク・リヒテンシュタインの3カ国の現君主は3人とも彼女の玄孫だったりするんですよね(ベルギー…四女の曾孫・ルクセンブルク…四女&末娘の曾孫・リヒテンシュタイン…次女の曾孫)。あとハプスブルク編に出てくる最後の皇后ツィタも彼女の孫ですし。目立たないけれど彼女も何気に欧州のグランドマザー?な感じがします
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Unknown (Unknown)
2011-04-11 07:54:41
すみません訂正…ルクセンブルクの現大公、末娘からは曾孫ですが、四女からだと曾孫でなく玄孫にあたりました(現大公の母がベルギーの現国王の姉)…失礼しましたm(__)m
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こんばんわ (まりっぺ)
2011-04-11 23:49:25
Unknownさま、こんばんわ

けっこう昔のことになりますが、25ansという女性誌でセレブたちのパーティースナップを紹介するコーナーがあって、けっこうブラガンザ家とか、トゥルン=ウント=タクシス家の末裔(女子)が載ってまして気になっていたんですよね。
当時はブラガンザ家は知っていたけど、ポルトガルは王制じゃないのに…なんて思ってまして。

でもベネルクス方面で脈々と続いていたなんて、アデライデの婚活が今に生きているわけですね。

政略結婚は可哀想な気もしますが、家が生き延びるためには必要不可欠なことだったのかもしれないですね。
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