まりっぺのお気楽読書

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ポルトガル王ルイス1世妃 マリア・ピア

2010-06-03 22:21:26 | ポルトガル王妃
ふたつの顔を持つ王妃
ルイス1世妃 マリア・ピア・デ・サボイア


1847~1911/在位 1862~1889


マリア・ピアはイタリア王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世と
王妃マリーア・アデライデの王女です。

        

15歳の時に9歳年上のルイス1世と結婚しました。

若くして外国に嫁にやられた娘には、気を紛らわすものが必要よね?
というわけで、マリア・ピアはパーティー、舞踏会、マスカレードに明け暮れます。
贅沢大好き!でオシャレにも目がありませんでした。
一晩の舞踏会で3回ドレスを替えたという記録が残っています。

たかが3回といっても、今とはお衣装の造りが違うものねぇ…
ティアラやアクセサリー、手袋から扇まで全て変えたはずよ。

ポルトガル議会は、王妃の過度な出費について審議したほどです。
しかし、マリア・ピアは「王妃にいてほしいんじゃないの? だったら当然の支出でしょ」
と答えたそうでございます。
言えたら気持ちがいいでしょうねぇ

他方、マリア・ピアはオシャレ同様チャリティーに夢中で
ほとんど政治には興味を示しませんでした。
お人好しで気前がよく、“ 慈善の天使 ” “ 貧しき者の母 ” とも呼ばれていました。
やっていることが両極端ですねぇ。

サルディーニャ公ジョアン・カルロと諍いを起こした時には
「私が王なら撃ち殺してやる!」と公式に言ったそうで、勇ましい方だったようですね。

1889年、ルイス1世が亡くなり未亡人となった後も、マリア・ピアはアクティブに活動。
社交界でも活躍し宮廷の中心人物でした。
王と王妃が不在の間に摂政も務めました。

しかしいくら気丈な女性といっても、やはり母親…
1908年に息子のカルルシュと孫のルイスが殺害されると急激に衰えを見せ
その後公の場には姿を現さなくなりました。

カルルシュの後を継いだマヌエル2世が革命で廃位されて第一共和制が始まると
生まれ故郷のイタリアへ帰り1911年に亡くなりました。

贅沢三昧とは裏腹なチャリティー精神…このタイプの王妃、王女は多いですよね。
本心から、義務感から、流行、名声欲しさと理由はいろいろありましょうけど
何もしないよりはまし…ですよね。

              
              ドレスのデザインが変わりましたね

(参考文献 デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)

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