![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/5b/41f4acfbc383f779a90eee1084a9b44a.jpg)
王家の流れを変えた再婚
ヘンリー5世妃 キャサリン・オブ・ヴァロア
1401~1437/在位 1420~1422
早すぎる死を迎えたヘンリー5世の妃キャサリンは
フランス王女でありながら、不幸な少女時代をおくりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/29/94341b143f7365464a61de7358d662ba.jpg)
彼女の父シャルル6世は精神異常があり、度々発狂していました。
そこで国政の主導権を巡って、フランスは内乱状態に陥ります。
母であるイザボー・ド・ヴァビエールは有名な悪妻で、愛欲と浪費にあけくれ
キャサリンら子供たちは食べ物に困って修道院にあずけられたこともあったそうです。
(王様の子よ
)
キャサリンが13歳の時、ヘンリー5世との縁談が持ち上がりますが
これはイングランドの助力を得るため、アルマニャック派から
ヘンリーに申し入れたものでした。
ブルゴーニュ派も、ブルゴーニュ公の娘キャサリンの縁談をもちかけていましたが
ヘンリーは(王女)キャサリンを選びます。
持参金や領土などを巡って交渉が決裂したことで、ヘンリー5世がフランスへ侵攻し
圧勝するなどの紆余曲折がありましたが、両国の間で講和が結ばれた1420年
19歳になっていたキャサリンは屈辱的な条件とともにイングランドへ嫁ぎます。
自分の国を打ち負かした王の妻になるなんて・・・
戦利品みたいに扱われ、姉リチャード2世妃イザベルがヘンリー4世に受けた
酷い仕打ちの思い出もあります。
幸せいっぱいの花嫁ではなかったと思うなぁ・・・![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
1年後に皇太子が産まれますが、その9ヶ月後
ヘンリー5世はフランスに出征中急死してしまい
1歳にもならない息子がヘンリー6世として即位します。
キャサリンは摂政にはなりませんでしたが、幼い王の王太后としてフランスへも帰されず
再婚禁止の決議まで出されてしまいます![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp30.gif)
しかし、ヘンリー5世の死後3年ほどで、キャサリンは“王太后付納戸係秘書”である
オウエン・テューダーと愛し合うようになり、秘密裏に結婚、4人の子供をもうけました。
納戸係ってなに?
衣装とか帽子、宝石に靴、これだけですごくたくさんの部屋がありそうですよね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp27.gif)
これが後々、ランカスター家 VS ヨーク家の争いに、テューダー家まで加わり
王位継承がしっちゃかめっちゃかになる要因になります。
キャサリンはオウエンと愛し合うようになってから
息子のことはほったらかしだったそうです。
彼女が本当に愛したのはオウエンてことですかね?
自分を物のように扱った王より、身近で守ってくれる納戸係の方が
彼女に幸福を与えられたのかもしれません。
おまけ
キャサリンの墓銘は、息子ヘンリー6世(ランカスター家)の頃には
『ヘンリー5世妃』としか入っていなかったのに
孫であるヘンリー7世(テューダー家)の頃に
『オウエン・テューダーと結婚』と加えられました。
死んでからもゴタゴタに巻き込まれて・・・![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp30.gif)
おちおち休んでいられないですね。
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』)
これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね
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ヘンリー5世妃 キャサリン・オブ・ヴァロア
1401~1437/在位 1420~1422
早すぎる死を迎えたヘンリー5世の妃キャサリンは
フランス王女でありながら、不幸な少女時代をおくりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/29/94341b143f7365464a61de7358d662ba.jpg)
彼女の父シャルル6世は精神異常があり、度々発狂していました。
そこで国政の主導権を巡って、フランスは内乱状態に陥ります。
母であるイザボー・ド・ヴァビエールは有名な悪妻で、愛欲と浪費にあけくれ
キャサリンら子供たちは食べ物に困って修道院にあずけられたこともあったそうです。
(王様の子よ
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キャサリンが13歳の時、ヘンリー5世との縁談が持ち上がりますが
これはイングランドの助力を得るため、アルマニャック派から
ヘンリーに申し入れたものでした。
ブルゴーニュ派も、ブルゴーニュ公の娘キャサリンの縁談をもちかけていましたが
ヘンリーは(王女)キャサリンを選びます。
持参金や領土などを巡って交渉が決裂したことで、ヘンリー5世がフランスへ侵攻し
圧勝するなどの紆余曲折がありましたが、両国の間で講和が結ばれた1420年
19歳になっていたキャサリンは屈辱的な条件とともにイングランドへ嫁ぎます。
自分の国を打ち負かした王の妻になるなんて・・・
戦利品みたいに扱われ、姉リチャード2世妃イザベルがヘンリー4世に受けた
酷い仕打ちの思い出もあります。
幸せいっぱいの花嫁ではなかったと思うなぁ・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
1年後に皇太子が産まれますが、その9ヶ月後
ヘンリー5世はフランスに出征中急死してしまい
1歳にもならない息子がヘンリー6世として即位します。
キャサリンは摂政にはなりませんでしたが、幼い王の王太后としてフランスへも帰されず
再婚禁止の決議まで出されてしまいます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp30.gif)
しかし、ヘンリー5世の死後3年ほどで、キャサリンは“王太后付納戸係秘書”である
オウエン・テューダーと愛し合うようになり、秘密裏に結婚、4人の子供をもうけました。
納戸係ってなに?
衣装とか帽子、宝石に靴、これだけですごくたくさんの部屋がありそうですよね
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これが後々、ランカスター家 VS ヨーク家の争いに、テューダー家まで加わり
王位継承がしっちゃかめっちゃかになる要因になります。
キャサリンはオウエンと愛し合うようになってから
息子のことはほったらかしだったそうです。
彼女が本当に愛したのはオウエンてことですかね?
自分を物のように扱った王より、身近で守ってくれる納戸係の方が
彼女に幸福を与えられたのかもしれません。
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キャサリンの墓銘は、息子ヘンリー6世(ランカスター家)の頃には
『ヘンリー5世妃』としか入っていなかったのに
孫であるヘンリー7世(テューダー家)の頃に
『オウエン・テューダーと結婚』と加えられました。
死んでからもゴタゴタに巻き込まれて・・・
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おちおち休んでいられないですね。
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』)
これさえあれば、あなたも英国王室通
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