マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

私の主が執成しを

2023年08月12日 | キリスト教

 

「だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、

否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。」

                                        ローマ 8章 34節 

神の義によれば、私たちは罪ありと訴えられます。けれども、今は、神の義は、キリストを信じる者を義と認めることにおいて現れました。

したがって、私たちを訴えることができるものは、誰一人、何一つありません。

 

私たちが肉の弱さのために、罪を犯してしまっても、キリストは私たちのために弁護され、とりなしをされます。

「わたしは、この者のために血を流しました。この者が受けるべき罪の罰を、わたしが変わりに受けました。」ととりなしてくださるのです。

 

私たちの罪のために死なれただけでなく、神の右の座で執り成しをしてくださっているので、私たちを終わりまで救うことがおできになるのです。

私たちがつまずきそうになっても、それでも立ち上がらせてくれる力と勇気を与えてくださいます。

ですから、見ること、聞くこと、なんであっても、十字架を見上げてください。

 

このように、私たちが栄光の姿に変えられるまでに、苦しみを受けても、また罪を犯してしまっても、神から決して引き離されることはありません。

 

ローマ 5:9-10 
「ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、

なおさらのことです。もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、

彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。」

 

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