まじくんママのぷち旅ぶろぐ

トミーズツアー旅の編集人がつづる「四季の京都」周辺とたまに帰る「ふるさと富山」のお出かけぶろぐです。

第43回非公開文化財特別公開「安楽寿院」へ行ってきました(1)

2009年01月13日 | 京都市伏見区

ここしばらく寒い日が続いていますね。昨日の全国ニュースで、富山の雪の成人式の様子が流れていました。「成人式に雪なんて、思い出に残ります。」と、晴れ着姿の女性がインタビューを受けていました。そういえば、はるか、ん十年前、私の成人式も雪でした。当時、出来たばかりの八尾町の曳山会館で成人式があり、会館入口まで、べちゃ雪の下り坂を、振袖を着て草履で滑りながら歩いたのを覚えています。・・・というか、それぐらいしか覚えていません。(^^;)まさに思い出に残る雪でした。(><)

さて、雪でお困りの日本海側に比べ、京都市の南は寒いけどいい天気です。時折、風に吹かれて、花びらのように雪が舞っています。今日は、今月10日からはじまった「京の冬の旅 第43回非公開文化財特別公開」の安楽寿院へ行ってきました。安楽寿院の御本尊は、京の冬の旅、初公開です。

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安楽寿院(あんらくじゅいん)は、真言宗のお寺で保延(ほうえん)3年(1137)、鳥羽離宮の東殿を寺に改めたのが始まりです。保延5年(1139)に、本御塔(ほんみとう)とよばれる三重塔が建立され、保元元年(1156)にはその塔に鳥羽上皇が葬られました。現在の鳥羽天皇安楽壽院陵がそのあたりです。

P1020910保元2年(1157)には、皇后の美福門院(藤原得子:なりこ)が自らを葬る予定で新御塔(しんみとう)を建立しましたが、両親より先立ってしまった息子の近衛天皇が遺骨が納められています。近衛天皇は、わずか2歳で即位し17歳で亡くなっています。

結局美福門院は、本人の希望により、高野山で葬られています。当時、女人禁制だった高野山では葬るのに揉めたらしいです。しかし、なんで揉めてまで、高野山に?遠くから、家族を見守りたかったのかな?決して、旦那さんのそばに葬られるのが嫌だったわけじゃ・・・ないよね。(^m^)なお、美福門院は、類まれな美貌の持ち主で、戦略家だったそうです。(肖像画が寺宝として公開されています)

新御塔は、兵火で焼失したものの、現在はその場所に、近衛天皇安楽壽院南陵として多宝塔が建っています。(写真左上)この多宝塔は、慶長11年、豊臣秀頼によって再興されています。(ちなみに、豊臣秀頼は、徳川家康の意地悪(^^;)で、なにかと理由をつけて、たくさんお金を使わされています。)

P1020919_2 このあたり(京都南インター付近)は、その昔は水の豊かな所だったんです。安楽寿院は、阿弥陀堂や不動堂、2基の塔など荘厳な建物が池の畔に建ち並んでいたそうです。水が豊かだった時の話は、城南宮初詣の際に触れています。

なお、鳥羽伏見の戦いの際は、ここは官軍(薩摩)の本営となっています。書院には、その時の歴史資料などが展示されていて、京都SKY観光ガイドの方が丁寧に説明してくれます。書院前には、江戸初期の枯山水庭園が残っています。

この後は、いよいよ、鳥羽上皇の念持仏であったと伝わる御本尊の阿弥陀如来坐像に対面です。胸に卍が刻まれている唯一の仏像です。話が長くなってしまったので(^^;)次のブログにて・・・

京都市観光協会 http://www.kyokanko.or.jp/  


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