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まじくんママのぷち旅ぶろぐ

トミーズツアー旅の編集人がつづる「四季の京都」周辺とたまに帰る「ふるさと富山」のお出かけぶろぐです。

奈良を視て楽しんできました(8)東大寺戒壇院

2008年09月12日 | 奈良

先日(6日)、まじくんと再び奈良へ行ってきました。まずは、金堂(大仏殿)と大仏さまなどの様子を前ブログでお伝えしました。

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その後、前日ブログでお伝えしたとおり、おそば屋さんで昼食をとり、そのお店の前の道を通って東大寺戒壇院(かいだんいん)へ行きました。お店を出て「まじくん、あの戒壇院まで行くよ。」もう、帰りたい・・・。」もう一つだけ、戒壇院だけ見せてね。すぐだから。」と、なだめ、歩き始めました。

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到着すると「おかーさん、階段ついたし、帰ろ・・・。」「階段じゃなくて戒壇院!こないだ行ったお寺【前ブログ】の和尚さんが作った戒壇だよ。」「おぼうさんが階段作らはったの?」じゃなくて・・・うーん。(><)」

ガイドブックなどで何度も出てくる「戒壇」・・・「戒」を授けるという僧にとって重要な儀式のための戒壇というのはわかるものの、イメージがわかず(^^;)なんか、階段登りながら儀式なのかな?なんて、漠然と思っていました。まじくんが言うように、この階段なのかも???(写真右上)

とりあえず、拝観料(大人500円・小学生300円)を払って中に入りました。戒壇院は、唐から来日した鑑真和上が天平勝宝6年(754)、大仏殿前で聖武天皇らに授戒をされ、その翌年に建立したお寺です。創建当時は、金堂、講堂、軒廊、僧坊などの伽藍がありましたが、3度の火災にあい、今の建物は享保18年(1733)の再建です。

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堂内の中央には、多宝塔があり、四隅には国宝の四天王が安置されています。(堂内は撮影禁止です)多宝塔は、再建の時に作られたとされ、中には鑑真和上が来日の際に唐からもってこられた釈迦仏、多宝仏(模造)を祀っています。2体とも約25センチのかわいらしい仏様です。

多宝塔の周り(四隅)に建つ四天王は、もともと銅造のものでしたが、現在のものは塑造(そぞう)で、東大寺の中門から移されたものといわれています。塑造とは、木で組んだ心材に粘土を貼り付けていく方法で天平時代に流行しました。自由に肉付けできるために写実的な表現が可能ですが、壊れ安いのが難点です。「鬼さん、踏まれてはる、なんで?」と、邪鬼を踏みつけた像に近づくまじくん・・・触らぬように、静かに!と職員さんがつかず離れずでした。(^^;)

P1150124_2 さて、問題の「戒壇はどこに?」本堂へ入っても私の疑問は続きます。中には階段らしきものもないし、出口で職員さんにたずねました。すると戒壇は、先ほど堂内に入った時に、3段登られたでしょ?(須弥壇みたいになっています)あの多宝塔のまわりに、受戒する人が並んで、僧になる儀式を行うのです。ここで受戒された人は、当時の国家公務員つまり国僧となります。だから、このお寺の門には菊の御紋がついてます。」とのことでした。なーるほど。(@@)

ちなみに、奈良時代の日本では、僧侶を任命する権限は朝廷がもっていて、受戒の儀式は、仏前で自らが誓う自誓受戒という方式でしたが、文明の中心地だった唐では、3人の戒師から7人の証人となる僧の立会いの下で、戒律(自らを戒め心身に良い習慣をみにつけるための決まり事)を授ける儀式が行われていました。

ところが日本では10人の僧が揃わず、唐から戒師を招くこととしました。その招きに答えたのが鑑真で、弟子たちが拒否する中で「それならば私が行こう」と決め、それに従った20数名の弟子たちとともに来日を試みたとのことです。その来日の苦労に関しては、唐招提寺【前ブログ】にて触れています。

ふむふむ、やっと戒壇の事がなんとなくわかりました。やはり、階段じゃないですよねー。鑑真さんは現場監督じゃないのよね。(^^;)

なお、余談ですが、当時の受戒は、男性が250項目、女性は348項目だそうです。女性の方がはるかに多いです。もともと僧の世界が男性中心だったのに加え、女性の方が煩悩が深いと考えられていたからだそうです。でも、348項目もしちゃいけないことがあったら、逆になにすりゃOKなの?って気分になりますね。(><)ちなみに、お坊さんにならなくても、在家信者で5項目の戒律・・・不殺生、不邪淫、盗みをしない、嘘をつかない、お酒を飲まない、です。これだけでも、守るのに自信ないかも。(^m^;)

次は、戒壇院から歩いて10分ぐらいの「依水園(いすいえん)」をご案内します。でも・・・雨が降り出しました(T0T)

東大寺 http://www.todaiji.or.jp/


奈良を視て楽しんできました(7)おそば屋さん

2008年09月11日 | 奈良

先日(6日)、まじくんと再び奈良へ行ってきました。まずは、金堂(大仏殿)と大仏さまの様子を前ブログでお伝えしました。

大仏殿には、お土産がおいてあります。南大門から中門への参道にも露店がありますが、同じようなものが大仏殿の回廊においてあります。(見ていてもお店の人が声掛けてこないので、こちらの方がゆっくり見れるかも?)

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スヌーピーの鹿バージョンがありました。色いあい、雰囲気がとってもかわいいのですが、けっこういいお値段でした。通常のお土産にくわえ、ご当地限定キャラクターもたくさんありました。大仏さんに腰かけてる目玉おやじ欲しかったんだけど・・・まじくんに「それ買うなら、まじくんの好きなおもちゃも買ってもらうでー。(;一一)」と、脅かされちゃいました。(T0T)

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東大寺で、絵を描いたりしてのんびり過ごし、気がつけば1時を過ぎてしまいました。この後、二月堂へ行きたかったのですが・・・お腹もすくし、周辺には食べるところもないので、とりあえず、中門を出て  西(369号線方面)へ歩きました。 細い道を歩くと突き当りに、なんだかおいしそうなお蕎麦屋さんが見えました。そば処「よし川」です。

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写真右上の道の先には、戒壇院が見えます。古い平屋の小屋みたいな感じの建物ですが・・・中は新しそうなお店です。まじくんは、映画村のセット?本物?などと言っておりました。通り過ぎようかと思いましたが、気になったので入ることにしました。

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ざるそば(880円)と、天ざる(1,630円)を頂きました。器はご主人手作りの焼物だそうです。おそばは手打ちの細めんで、ぼそっとした感じでした。揚げたての天ぷらやそば湯がおいしかったです。

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お昼時には行列もできるらしいですが・・・自分でそば打ちをする前ブログ】ほど、そば好きのまじくん、半分ほど残してしまいました。子供は正直かも?(^m^)

この後は、唐招提寺【前ブログ】でご紹介した鑑真和上が建立された戒壇院をご案内します。次のブログにて。


奈良を視て楽しんできました(6)東大寺2

2008年09月10日 | 奈良

先日(6日)、まじくんと再び奈良へ行ってきました。まずは、金堂(大仏殿)の様子を前ブログでお伝えしました。

金堂へ入ると、すぐに、ご存じ奈良の大仏さんとご対面です!どこのお寺の堂内も撮影禁止が多い中で、こちらの大仏殿は撮影OKです。・・・とは、いうものの恐れ多くて、なかなかカメラを向ける気にはなりませんね。(^^;)

大仏殿の御本尊「盧舎那仏」は、天平15年(743)、聖武天皇の発願により造られたもので、完成したのは9年後です。座高は15メートル、鋳造に使われた銅は500トン!メッキに使われた金は440キロもあったといわれています。2度の火災にあい、頭部は江戸時代に再鋳するなど大幅に補鋳され、創建時より1メートルほど低くなったそうです。

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建物の中心に大仏さんが座られているので、360度大仏さんを見ることができます。横へまわって、光背(後光を表したもの)を、見上げたまじくん「あの仏さん、観覧車に乗って遊んではるん?」と一言!(^m^)確かに、観覧車に見えなくもないですよね。光背についているのは浄土に遊ぶ飛天だとしたら・・・遊んでるっていうのは間違いじゃないのかな?でも、光背の仏様は飛天ではなさそうですね。どっしりしておられます。

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大仏さんの向かって右後方にある柱に、四角い穴が開いています。(写真右下)なんのために開いている穴なのか不明だそうですが、この穴は大仏さんの鼻の穴と同じ大きさで、ここを通り抜けると幸せになるとか、厄除けや子供のおねしょが治るなどの言い伝えがあります。そういえば、はるか昔、中学の修学旅行の時にくぐり抜けた記憶が・・・。楽々くぐり抜けるまじくんに続き、私もくぐってみました。多少苦戦しましたが、ちゃんとくぐることができました。大人の女性は勿論、男性も細身の方はくぐれます。まじくんのように腹ばいでなく、体を横にして両手からくぐり、肩幅が通って、おなかが引っ掛からなければ、大丈夫だと思います。

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まじくんは、ぐるっと大仏さんの周った後、大仏さんの絵を描きました。大きな右手が印象的です。実際の大仏さんの手の大きさは約2.5メートルあります。でっか!(@@)右手は、施無畏印(せむいいん)という印を結んでおられ、まじくんには「ダ~メ!」ってしているように見えたそうです。施無畏印は一説には説法を聞く人の緊張を解くポーズといわれているので「ダ~メ!」でなく「まぁまぁ、落ち着いて・・・」って感じかな?

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堂内にあった、創立時の模型です。当時は、東西に七重塔がそびえ立っていたそうです。高さは100メートルもあったそうで・・・すぐ近くの興福寺前ブログ】の五重塔(50.8m)や東寺の五重塔(55m)の2倍あります。今から1200年以上も前、どうやって、つくったんでしょう・・・。(@Д@)相輪(屋根のてっぺんの飾り)の高さだけでも23.3m・・・クレーン車もないのに、どうやって乗っけたん(・・?)

この後は、おいしいランチをご紹介します。

東大寺 http://www.todaiji.or.jp/


奈良を視て楽しんできました(5)東大寺1

2008年09月09日 | 奈良

先日(6日)、まじくんと再び奈良へ行ってきました。今回は、東大寺の大仏を見てきました。奈良へは何度も出かけていても、東大寺を訪ねるのは、5年ぶりぐらいだと思います。東大寺の南大門のすぐそば駐車場(1,000円)へ車を停めました。

東大寺は、奈良時代に建立された総国分寺で、平城京の東の大寺であることから、東大寺と呼ばれるようになりました。全身は金鐘寺、のちに金光寺という寺でしたが、聖武天皇の発願により大仏(盧舎那仏)を本尊とする大伽藍の造営が計画されました。天平勝宝4年(752)には大仏開眼の法令が営まれています。現在は華厳宗の大本山です。

駐車場を出るとすぐ南大門です。神様の使いといわれている鹿がたくさんいました。境内の鹿は、人慣れしていて、落ち着いているように見えましたが・・・。

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しかせんべい(150円)、鯉のえさ(100円)が売られていました。鯉のえさは無人販売で、まるで鹿がお店番しているかのように、お店に張り付いていました。(^m^)

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鯉のえさは長い棒麩で、鹿も食べます。まじくんは、鯉にえさをやりながら、鹿にも迫られて、大きな鏡池に落ちそうでした。 落ちなくてよかった・・・。(^^;)

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拝観料(大人500円 小学生300円)を払って、中門をくぐると・・・金堂(大仏伝)がどーんと見えます。すばらしい!\(◎o◎)/この開放感、この迫力!さすが世界一の木造建築です。創建以来、2度兵火にあっているそうで、今の建物は江戸時代に建て直されたものです。こんなに大きいのに、創建時の3分の2に縮小されているそうです!

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この迫力に思わず「絵描きたい!」と、まじくん・・・中門に腰かけて描き始めました。出来上がった絵は、鴟尾(しび:屋根の金色の飾り)が印象的な、竜宮城のような絵です。写真ではわかりにくいですが、大仏殿の壁にうっすらと残る「あおによし・・・青色と丹色」前ブログ参照】も塗られていました。

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このあとは、大仏殿内部をご紹介します。いよいよ大仏さんと対面です!次のブログにて。

東大寺 http://www.todaiji.or.jp/ 


奈良を視て楽しんできました(4)元興寺(極楽坊)

2008年09月08日 | 奈良

しばらく、お盆前にまじくんと出かけた奈良をご紹介しています。奈良は、2010年の平城遷都1300年祭にむけて、注目されています。先に、法隆寺薬師寺唐招提寺をご案内しました。

F1000066_2元興寺(がんごうじ)は、蘇我馬子が建立した日本で最も古いお寺の飛鳥寺前ブログ】が、平城京遷都にともない飛鳥から移転してきたお寺です。

奈良時代には、猿沢池の南に広大な寺地を持ち、金堂、講堂、宝塔、僧坊が立ち並んでいましたが、都が京に移った後は、衰退していきました。室町時代には伽藍のほとんどが焼失し、焼け残っていた五重塔と観音堂も幕末に火災で焼けてしまったそうです。

現在、元興寺の寺号を残すのは、極楽坊とよばれる、もともとは元興寺の僧坊のひとつだったものと、塔跡にある華厳宗の元興寺とがあります。

今回は、極楽坊へ行ってきました。極楽坊とよばれるのは、奈良時代の元興寺の高僧、智光が残した極楽曼陀羅が、鎌倉時代に祀られて極楽坊とよばれるようになったそうです。国宝の本堂(写真左上)は鎌倉時代のもので、禅室(国宝)と1棟だったものを曼荼羅堂として独立させたものです。西面の屋根瓦は天平時代特有の重ね葺き(行基葺き)で葺かれており、今も飛鳥の地から運ばれた瓦が一部使われているそうです。(写真左下)

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中世以来庶民の信仰を集め、境内から無数の石仏民俗資料が発見されています。収蔵庫には、奈良時代の国宝の木造五重小塔や木造阿弥陀如来坐像・智光曼陀羅図・庶民信仰資料などが多数保存され、公開されています。

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境内には、たくさんのがありました。ちょうど今頃は咲いているでしょうか?満開になると、きれいでしょうね。

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元興寺は、奈良らしい静かな落ち着いたお寺です。なお、江戸時代末期から明治にかけての面影を今に伝える「ならまち」は、元興寺の旧境内を中心とした一帯です。今回は真夏の暑い中、しかも不覚にもカメラを忘れ、携帯電話の写真での撮影だったので、今度また訪ねたいです。

拝観料:大人400円 中高生300円 小学生100円 駐車場無料

元興寺 http://www.gangoji.or.jp/index

この後は、一昨日出かけた【前ブログ】、東大寺をご案内します。今度はカメラ忘れませんでした。(^^;)


奈良を視て楽しんできました(3)唐招提寺

2008年09月05日 | 奈良

しばらく、お盆前にまじくんと出かけた奈良をご紹介しています。奈良は、2010年の平城遷都1300年祭にむけて、注目されています。法隆寺、薬師寺から唐招提寺へ向かいました。薬師寺から唐招提寺までは車ですぐです。ゆっくり歩けば15分ぐらいだと思います。

F1000060_4 唐招提寺(とうしょうだいじ)は、聖武天皇の招きで唐から渡ってきた鑑真和上(がんじんわじょう)が、天平宝字3年(759)に、平城京にあった新田部親王の邸宅を賜って創建されたお寺です。平成10年(1998)には、金堂を含む唐招提寺の伽藍建築が世界文化遺産に登録されています。

鑑真和上は、20年間の間、5度にわたって来日を試みたものの暴風や難破、妨害のために失敗し、ようやく6度目に来日されたときは、66歳で度重なる苦難のため失明されていたそうです。以後、76歳までの10年間のうち5年を東大寺で、残りの5年を唐招提寺で過ごされたそうです。

南大門をくぐって、その先に金堂(写真左下)が見えます。現在「金堂平成大修理」が行われています。来年の秋には落慶予定だそうです。8世紀後半の創立で、現存する最大の天平建築です。工事中のため、通常の参道ではなく、庭の中の細い道(写真右下)を通って、もともと金堂にあった仏像を安置している講堂へ向かいました。

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途中に鑑真和上が来日の際に携え来られたという伝説の蓮「奈良蓮」の蓮池があります。とっても背の高い大きな蓮でしたが、残念ながら咲いている花はありませんでした。きれいなピンク色の花です。なお、写真右下は、弁天池の白蓮です。1つだけ咲いていました。

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講堂(写真左下)では、本来は金堂に安置されている、御本尊の廬舎那仏坐像(るしゃなぶつさぞう)や薬師如来千手観音など、どれも3メートルを超える大きな仏像で、国宝です。廬舎那仏の光背(こうはい:後光を表したもの)には、もともと化仏(小さな仏像)が1000体ついていたそうですが、現在は864体です。また千手観音の手も1000本あったそうで、現在は953本あります。まじくんと手を数えてみましたが・・・途中で分からなくなりました。(^m^)

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金堂と講堂の間にある鼓楼(写真右上)は、鑑真和上が唐からもたらした仏舎利を安置しています。毎年5月19日は、梵網会(ぼんもうえ)が催され、うちわ撒き(厄除けの小さいハート形の扇が餅とともに撒かれる)が行われています。

薬師寺や唐招提寺周辺は、奈良の郊外といった感じですが、平城京があった当時は、首都の中心街でした。門前には、駐車場(500円)やお土産店があり、車が1台がやっと通るような細い道ですが、なんとなく賑やかだった雰囲気が残っています。

唐招提寺 http://www.toshodaiji.jp/index.html

この後は、元興寺へ向かいました。先のブログにて。


奈良を視て楽しんできました(2)薬師寺

2008年09月04日 | 奈良

しばらく、お盆前にまじくんと出かけた奈良をご紹介します。奈良は、2010年の平城遷都1300年祭にむけて、注目されています。法隆寺(前日ブログ)に続き、薬師寺へ向かいました。法隆寺から薬師寺までは車で30分ほどでした。

薬師寺の駐車場(500円)に車を止めて、南門まで行く途中に薬師寺の鎮守社「休ヶ岡(やすがおか)八幡神社」があります。八幡神が京都の男山【前ブログ】へ向かう途中に、休憩したという伝説があります。現在の建物は慶長8年(1603)のものです。

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休ヶ岡八幡神社を過ぎ、六条川を越えたところに、薬師寺の南門が見えます。平城京の六条大路に面しており、切妻造りの4脚門で、室町時代の建築で、重要文化財に指定されています。

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南門をくぐると、昭和59年に復興された中門(写真右下)があります。左右には平成3年に復元された二天王像が配されています。調査により、裸形の仁王像ではなく、武装した二天王像だとわかったので、カラフルな武装姿です。

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F1000036_3 薬師寺は、天武天皇が后(後の持統天皇)の病気平癒を祈って飛鳥淨御原宮で発願、持統天皇、文武天皇の2代にわたって飛鳥の地前ブログ】に造営され、平城遷都(710)にともない、現在の地に移されました。

講堂と金堂の前に2基の塔を東西に配し、回廊で囲んだ薬師 寺式の伽藍配置は竜宮城のような美しさで、人々の目を奪ったといわれています。天平2年(730)までは建築をとどめたものの、その後、火災や地震、兵火によって、美しい伽藍も東塔を残すのみで焼失してしまいました。

写真左下の大講堂は正面41m、奥行20m、高さは約17mあり伽藍最大の建造物で、平成15年に復元されました。重要文化財の弥勒三尊像が安置されています。写真右下は、大講堂から見た金堂と東塔(左側)と西塔(右側)です。金堂は、昭和51年に復元されたもので、裳階(もこし:小さい屋根)がついて4階の様に見えます。

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創建当時の唯一の建物である国宝の東塔(写真左下)は、高さ33.6メートルです。各層についた裳階があるため、六重に見えますが、実際には三重です。(携帯写真のためわかりにくくて申し訳ありません)

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F1000050_2西塔(写真右上)は、礎石の上に昭和56年に復興されました。高さは東塔より少し高めです。東塔と比較すると、鮮やかな色に目を奪われます。連子窓(れんじまど)に使われている青(あお)色扉や柱に使われている色を丹(に)色と呼び、奈良の枕ことば「あおよし」を意味します。一方、創建時からある東塔は、度重なる修復のため、蓮子窓が白壁に変えられています。

境内に蓮鉢が置かれていました。花の見頃は過ぎていて、実がたくさんついていました。乾燥した蓮の実を振るとコロコロと種の音がして、まじくんは蓮の実を振って遊んでいました。もしかして蓮の実は、昔は赤ちゃんのガラガラおもちゃにしてたのかも?なんて、思いました。

薬師寺を訪ねるのは本当に久しぶりでした。以前は復興の真っ最中で、あちこち工事や浄財集めで、正直(--)でしたが、今回は綺麗になってて、本当に竜宮城みたいな感じがしました。竜宮城にしてはものすごーく暑かったですけどね。(^^;)

薬師寺 http://www.nara-yakushiji.com/index.html

この後は、唐招提寺へ向かいました。次のブログにて。


奈良を視て楽しんできました(1)法隆寺

2008年09月03日 | 奈良

しばらく、お盆前にまじくんと出かけた奈良をご紹介します。奈良は、2010年の平城遷都1300年祭にむけて、注目されています。トミーズツアーも奈良の旅が人気です!

自宅(京都南IC)から、奈良までは京奈和自動車を通って1時間ほどかかります。奈良県へ入って、おもちゃ屋さんの看板を見つけたまじくんが「おもちゃ、見るだけやし、見たいなぁ・・・。」「え?だめ!早くお寺行かなあかんし!」「おかーさんも電気屋さんでカメラ見てもいいでー。」「え?カメラ?・・・」ここで、ようやくカメラを忘れたことに気付きました。(@Д@)どうしよう・・・ものすごーくショックでした。

使い捨てデジカメが出たらしいですが、まだ地域限定だし、この時点ではまだ発売前です。カメラ買ってもバッテリー充電しないと使えないし・・・いろいろ考えたり、お店へ寄ったりしましたが、結局、携帯のメモリーと車で使える充電器を買って、携帯電話のカメラで撮ることにしました。めんぼくない。(^^;)

まずは、法隆寺へ向かいました。駐車場は、普通車500円くらいからです。門前のお店利用の場合は、無料になるところもあります。一番近いらしい駐車場(600円)へ停めました。

法隆寺は、推古15年(607)に聖徳太子と推古天皇が創建し、現在の建物は8世紀初頭にほぼ完成したといわれています。世界最古の木造建築物群として世界遺産に登録されており、国宝、重要文化財の建築物だけでも50棟を超えます。

法隆寺といえば、正岡子規の「柿くえば鐘が・・・」の句が有名ですが、門前のお土産店で柿のソフトクリームが売られていました。(250円だったかな?)なお、句碑は、中門の右手(東側)の池のそばにあります

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法隆寺の拝観料は一般1,000円、小学生500円です。まずは、玄関口である総門の南大門(写真左下)をくぐりました。創建時のものは、永享7年(1435)に焼失し、永享10年(1438)に現在の門が再建されました。3年後に再建なんて、力があったですねー。すごい!(@@)

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門をくぐると、きれいな石畳がどーんと広がって、その先に中門(写真左下)が見え、奥の方に五重塔が見えます。この風景、いつ見ても素敵で「あー、奈良に来たなぁ」って思う景色の一つです。京都とは違う開放感を感じます。(私だけ?)飛鳥建築の粋を集めた中門は国宝に指定されています。重厚な屋根にエンタシスの柱、左右に立つ金剛力士像は、日本最古のものです。

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受付を済ませ、五重塔のある西院伽藍(さいいんがらん)から見学しました。私が前回法隆寺を訪ねたのは、昨年の11月、正倉院展が開催されていた時でした。【前ブログ】その時は、修復されたばかりなのか、塔の勾欄(こうらん:手すりの様な部分)がピカピカして、違和感がありましたけど、今回は色が落ち着いていました。なお塔の高さは34.1メートルです。

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ちなにみ、この日(8月13日)は、ものすごーく暑い日でした。こんな時は、回廊のあるお寺はいいですよね。直射日光の当たる境内に出ずに、回廊からゆっくり塔や金堂をを眺めました。なお、回廊は奈良時代のもので、国宝に指定されています。

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拝観料には、西院伽藍内のほかに、大宝蔵院(だいほうぞういん)、東院伽藍(とういんがらん)が含まれています。大宝蔵院は、百済観音堂を中心にして、有名な夢違観音像(白鳳時代)・推古天皇御所持の仏殿と伝える玉虫厨子(飛鳥時代)など、日本を代表する宝物類を多数安置しています。飛鳥・奈良時代の仏像はとっても美しいです。(写真撮影はできません)

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大宝蔵殿の門を出て、東に向かうと、国宝の東大門が見えます。その先の東院伽藍内には、夢殿があります。夢殿は、観音の化身と伝える聖徳太子を供養するための殿堂として、神秘的な雰囲気を漂わせています。ここから、すぐ先には聖徳太子の母の御所をお寺にしたと伝える尼寺の中宮寺があります。(10年ほど前にひとりで市営バスで訪ねた時は、法隆寺と中宮寺で3時間はかかりました)

法隆寺 http://www.horyuji.or.jp/

じっくり法隆寺を楽しみたいところですが・・・この日は、カメラも忘れたし、先を急いで薬師寺へ向かいました。つづく。


奈良:紅葉ウオッチング(法隆寺)11/11

2007年11月12日 | 奈良

昨日、法隆寺に出かけました。

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桜の木の紅葉は、もう終わった・・・って感じでした。今度、桜が満開のころに訪ねたいですね。その時は、じっくりご報告します。

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途中、奈良公園を通りました。雨で写真が撮れず残念でしたが、紅葉がかなり進んでいました。

好評だった正倉院展【前ブログ】も今日で終わりですね。なお、土曜日は今期最高となる1万9852人を記録したそうです。入場者は、土曜日で計21万9189人!今日で何人になるかな?

追記 第59回正倉院展の期間中の入場者数は、結果24万8389人で、同博物館で開かれた17日間の正倉院展としては、2005年(23万4391人)を上回り、過去最高を記録したそうです。日曜日は1万7462人、最終日は1万1738人です。


奈良:興福寺「秘仏特別公開」

2007年11月04日 | 奈良

先日、奈良の国立博物館で行われている「第59回正倉院展」へ出かけました。【前ブログ】その時に、すぐそばの興福寺も訪ねました。まずは、北円堂の開扉を見ました。【前ブログ

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その後、五重塔の隣にある「東金堂(とうこんどう)」を見ました。(拝観料:300円)興福寺には、金堂が3つあり、現存するのは、東金堂のみで、中金堂は、現在再建中です。(仮金堂というのが別にあります)726年に、聖武天皇が、叔父である元正(げんしょう)天皇の病気回復を願って造立された薬師三尊を安置するためのお堂です。室町時代までは、東金堂と五重塔は、回廊で囲まれていたそうです。

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現在安置されている薬師如来坐像は、1415年に再興されたものです。このほかにも、月光・日光菩薩や十二神将像などたくさんの像が安置されています。

P1060175 その後、国宝館へ行きました。国宝館は、昭和34年に建設され一般公開されています。

ここで注目なのは、阿修羅像を含む国宝の「八部衆像」です。734年創建の西金堂の本尊の周辺に安されていましたが、1717年に金堂が焼失し、その際に奇跡的に救い出されました。通常は4軀のみ展示ですが、今回は8軀すべてが展示されています。

私が気になったのは、聖徳太子の2歳の時の立像です。ほぼ等身大ということでしたが、その高さは68.2㎝でした。まじくんが2歳の時は、もう少し高かったかもしれません。ちなみに阿修羅像の身長は153.4㎝です。私よりちょっとだけ低いです。

その後、今回初めて公開された「大圓堂」へ行きました。(拝観料:600円 国宝館と共通なら1,000円)毎朝の勤行が行われている本坊の一部です。建物の様子は、とても質素な感じでした。お庭には、彫刻家の薮内佐斗司さんの作品が展示されていました。ご本尊の秘仏・聖観音菩薩立像は、部屋の奥に安置されていて、それを庭から眺めるというもので、あまりよく見えませんでしたが、頂いたパンフレットのお写真を拝見すると、かなり美しい観音様です。

興福寺 http://www.kohfukuji.com/

この後は、奈良ホテルのティーラウンジをご報告します。

 


奈良:興福寺「北円堂 開扉」

2007年11月01日 | 奈良

29日、奈良国立博物館の「第59回正倉院展」へ出かけました。【前ブログにて】

近鉄奈良駅から、博物館までは、歩いて10分ほどかかりますが、その途中に奈良公園のシンボルともいうべき「五重塔」のある興福寺があります。(余談ですが、京都の東福寺は、奈良の東大寺・興福寺から1文字づつとっています)。

P1060150興福寺は、天智8年(669)、藤原鎌足の私邸に建てられた山階寺(やましなてら)を起源として、天武朝には飛鳥に移り厩坂寺(うまやさかてら)となり、都が平城に遷された710年に、藤原不比等によって(正倉院ゆかりの光明皇后の父)この地に移されています。隆盛を極めた頃は、現在の12倍ぐらいの敷地があったそうです。

長い歴史の中で、戦火や天災で、度々塔が焼失し、特に1180年の兵火で焼亡しましたが、鎌倉時代に復興しています。江戸時代に大火で中心伽藍のほとんどが焼失しましたが、かろうじて現在残る東金堂・五重塔・食堂・北円堂・三重塔・大湯屋が免れています。その後、南円堂と中金堂(現在再建中)が再建されました。1998年に世界遺産に指定されています。

まずは、例の迫力ある看板【前ブログ】に惹かれ・・・「北円堂(ほくえんどう)」の特別開扉から見ました。10月20日~11月12日まで公開されています。(大人300円)

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興福寺の創建者である藤原不比等の一周忌(721)に建てられた八角円堂で、建っている場所は興福寺の中心部ではないですが、平城京が見渡せる場所にあり、不比等の霊を慰めるのに絶好の場所です。

現在の 建物は、鎌倉時代(1210年頃)に再建されたものですが、奈良時代創建当初の姿をよく残しています。内部の写真撮影はできないので、画像をお届けできませんが、中はとても明るいです。中央に安置されている運慶作の「弥勒如来坐像」(国宝)を見上げると、天蓋から下りる色鮮やかな帳が秋風に揺れ・・・心は遥か天平時代にワープしたような気分です。

また、同じく運慶の作で、日本の肖像彫刻の中で最高傑作とされる国宝「無著・世親菩薩像(むちゃく・せしんぼさつぞう)」の写実的な2つの像も印象的です。このおふたり(像)は、5世紀頃、インドで活躍した兄弟の学僧です。

P1060139この北円堂に対して、江戸時代に再建された南円堂(なんえんどう)があります。今は、西国三十三ヶ寺観音巡礼の第9番札所となっていて、西国巡礼の人で賑わっています。こちらは、今回は開いていませんでした。なぜか10月17日のみ開帳していたらしい・・・。こちらにも、国宝の彫刻が安置されています。

南円堂の左後ろの方には、三重塔があります。こちらも国宝で、内部には東西南北に極彩色で描かれた4千体の仏様の板絵があるそうです。毎年7月7日に特別開扉されています。これは、見たい・・・。

興福寺の国宝彫刻は17もあり、日本の国宝彫刻の14パーセントも占めるそうです。

興福寺 http://www.kohfukuji.com/kohfukuji/index.html

この後は、宝物殿をご紹介します。有名な阿修羅像を間近に見ることができました。【先ブログ


奈良:正倉院展へ行ってきました!(2)

2007年10月31日 | 奈良

昨日、奈良国立博物館で行われている「第59回 正倉院展」へ行ってきました。午前中に訪ねると、結構な人・・・結局、午後2時ごろ、15分待ちで入ることができました。(詳細は前ブログにて)

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正倉院の宝物のいわれは、前のブログに書きましたが、聖武天皇の愛用の品を納めたのが始まりで、美術的価値の高いものもたくさんありますが、日用品などもあり、いわゆる「美術展」とは少し違います。

「全部見るのに、どのくらいの時間がかかりますか?」と、よく聞かれますが・・・それは、なんとも答えにくい質問です。

例えば、「白布」が出陳されています。その名の通り白い木綿布なのですが、これは当時各地から納められた税の品です。これを見て「ただの古い黄ばんだ布」と思うか?「こんな昔のものがよく残っているな!」と驚くか?「これを納めたのはどんな国のどんな人だろう?どうやって運ばれたのだろう?」と思いを馳せるか?人によって様々な見方があるので、その品を眺める時間も様々です。さっと見る人、横目で見る人、食いつくように見る人・・・とりあえず、一通り(地下ミュージアムショップも含め)見るのに、90分ほどかかるかな?

陳列は、寵愛の宝物、楽器、武器、文房具、仏具、染織物、各地から納められた品、文書・経典などのコーナーに分かれています。私が興味を持ってみたのは、文書です。書かれた紙は時を経てるものの、墨色の鮮やかさに驚きます。そういえば、今回は出陳されていませんが、正倉院には、聖武天皇と光明皇后の直筆の品もあり、筆跡からお人柄を想像すると、聖武天皇は生真面目で根気強い人、光明皇后は男勝りでひたむきな人だそうです。

P1060222地下のミュージアムショップで、まじくんのお土産に、「知ってる?正倉院」という子供向けの本を買ってきました。(1冊250円:大阪読売サービス株式会社

正倉院のことが、子供だけじゃなく大人にもよくわかります。漫画家の里中満智子さんも執筆されています。

ふりがなもふってあるし、まじくん喜ぶかも!・・・と、さっそく家に帰り、まじくんに見せると「漢字、読めへん(T0T)!」「なんで?ふりがなふってあるでしょ?」「全部にふってへん!」

あ・・・気がつかなかった。なんで、全部にふってないのだ。(ーー?)次号からは、全部にふりがなふってくださーい。

この後は、興福寺をご紹介します。次のブログにて。

奈良国立博物館 http://www.narahaku.go.jp/


奈良:正倉院展へ行ってきました!

2007年10月30日 | 奈良

今日は、奈良国立博物館で行われている「正倉院展」へ出かけました。今年で59回を迎える正倉院展は、宝物70点が出陳され、うち17点が初めての出陳です。(初出陳のものは明記されています)

まじくんを保育園へ送り、京都から近鉄で40分!近鉄奈良駅に着いたのは、10:30頃で、歩いて15分の会場へ向かうと・・・結構な人!?たぶん、みんな正倉院展を見に行くのでしょうか?そこで、途中の迫力ある看板(写真左下)に惹かれて・・・まずは興福寺の北円堂から見ることにしました。興福寺は、本坊の大圓堂を初めて特別公開し、ご本尊の秘仏も初公開するなど見どころがいっぱいです。(詳細は後のブログにて)

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興福寺を見終わると、ちょうどお昼頃・・・今なら空いているかと、正倉院展へ向かうと「待ち時間は45分!」長い行列ができていました。係の方に状況を聞いてみると「このあとお昼過ぎは、まだまだ増えるかも。今朝の9:30頃はガラガラだったんだけど」との事でした。

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すぐそばにある休憩所では、お弁当(売ってます)を食べたりしながら、待ってる人もいっぱいいました。うーん・・・じゃぁ、昼食がてらその辺を散策しようと、ブラブラ。京都ではまだまだ紅葉していませんが、この辺りは、すでにきれいに色づき始めています。

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昼食(実は奈良ホテルにてとりました。後のブログにて)を終えて、再び会場へすると「待ち時間は、15分!」これならということで、しっかり見てきました!

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正倉院の宝物は、夫の聖武天皇を亡くして、悲しみにくれていた光明皇后が、四十九日の法要のあと「偉大な天皇がお使いになったものをすべて納め、み仏に捧げよう」と考え、愛用の品を納めたのが始まりだそうです。「国家珍宝帳」の皇后のメッセージには、愛用の品を眺めているだけで、昔が思い出されて泣き崩れてしまう、この品をささげることで、聖武天皇が無事に浄土について悟りの世界で暮らせますようにと、書かれているそうです。皇后の深い愛情を感じずにはいられませんが・・・でも、亡くなって49日後にすべて納めるって、早くない?なんて、不謹慎なことを考えてしまいました。(^m^)すいません。

宝物展の詳しいご報告は、明日のブログにて。しばらくお待ちください。

おまけ:奈良公園には、神の使いとされる鹿がたくさんいます。先ほどの待ち時間の看板の写真(左上)を撮ろうと思ったら、「撮って・・・」というばかりに1頭の鹿がやってきました。そのほかにも、ちょっと気になる鹿を発見しました。番犬ならぬ「番鹿?」(写真左下)あとで表札を見たら、自治会長さんの家でした\(◎o◎)/!「水浴びする鹿」(写真左下)自ら池に飛び込み、上る時も、ジャンプして出ていました。

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奈良国立博物館 http://www.narahaku.go.jp/index.html


親子で なら大和路(4)高松塚古墳:現在の様子は・・・

2007年06月08日 | 奈良

先日、まじくんと奈良の飛鳥地方へ出かけました。飛鳥地方とは、奈良県高市郡明日香村一帯を中心に、広くは飛鳥川の流域から大和三山にかこまれた地域の事をいいます。まずは、飛鳥寺、橘寺、石舞台をご紹介しました。(詳細は前ブログにて)

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石舞台から高松塚古墳までは、約2キロぐらいです。高松塚古墳の周辺は自然がいっぱいで、遊歩道や壁画館、飛鳥歴史公園館などがあります。まずは、歴史公園館へ車を停めて、壁画館まで10分ほど歩きました。(拝観料250円 駐車場無料)

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高松塚壁画館の中は、撮影禁止なのでお伝えすることが出来ませんが、壁画の忠実な模写や、副葬品・石室の模型などが実物大で展示されています。壁画の飛鳥美人はとても有名ですが、そのほかの詳しいことをあまり知らなかったので、とても勉強になりました。また、盗掘されていたこともはじめて知りました。(模型は盗掘口も再現されています)考えてみれば、未盗掘ならば、壁画より副葬品などの方が有名になりますね・・・。

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館内には、資料室もあり、書籍やPCでいろいろ調べることも出来ますし、係りの方が説明もしてくれます。ところで、高松塚古墳に埋葬されていた人はだれでしょう?壁画が発見されたのは昭和47年ですが、それ以前、江戸時代の頃は文武天皇(聖武天皇の父)の陵ではないかと伝承されていたそうですが、実際の文武天皇陵はすぐそばにありますし、謎のままなんですね・・・。

壁画館は、高松塚古墳に隣接されています。現在の高松塚古墳の様子は、シートがかぶせられてあり、まったく見ることが出来ません。

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周りは、自然がいっぱいで、果樹園もあります。ぶどうやももなどがとれるみたいです。

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P1030530_1飛鳥地方は、広い範囲に古墳やお寺などが点在しています。1日かけてウォーキングするのもいいですが、レンタル自転車で移動する人もたくさん見かけました。

財団法人飛鳥保存財団 高松塚壁画館 http://www.asukabito.or.jp/


親子で なら大和路(3)石舞台古墳:何の舞台?

2007年06月07日 | 奈良

先日、まじくんと奈良の飛鳥地方へ出かけました。飛鳥地方とは、奈良県高市郡明日香村一帯を中心に、広くは飛鳥川の流域から大和三山にかこまれた地域の事をいいます。まずは、日本最古の大仏様がおられる飛鳥寺、聖徳太子誕生の地橘寺をご紹介しました。(詳細は前ブログにて)

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橘寺から1キロぐらいの所に、石舞台古墳があります。7世紀のはじめ頃に築造されたと推定され、誰のお墓であるかは不明ですが、6世紀後半にこの地で政権を握っていた蘇我馬子ではないかといわれています。蘇我馬子は飛鳥寺の発願者です。

入り口で、拝観料(250円)を支払い、古墳のそばまで歩きます。途中には、桜の木が植樹されていて今の時期はあざみの花が綺麗に咲いています。

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もともとは、上部まで土がかぶっていたそうですが、現在はその土はありません。昭和8年、10年と本格的な発掘調査が行われ、その結果、大小30個の花崗岩で作られていて、天井に使われている石の重さは北側が64トン、南側は77トン、総重量は2300トンもあるそうです。

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玄室の長さは7.8メートルあり、内部に入ることが出来ます。見上げると大きな石の隙間から光が漏れています。今にも落ちてきそうな感じですが・・・大丈夫よね。(^^;)

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石舞台という名前の由来は、昔、キツネが女性に化けて石の上で舞を見せた話や、旅芸人が石の上で演じたとか諸説あるそうです。今は登ることは禁止されていますが・・・登るとなると、なんだか石が崩れそうで、少し勇気がいりそうです。

明日香村観光開発公社 http://www.asukanko.or.jp/

この後は、高松塚古墳をご紹介します。