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三田・高輪ー歴史散歩②

2009-11-17 22:50:05 | Weblog
歴史散歩の会は白欧高校のPTAの行事としてはじまり、案内役は当時校長で歴史学会の重鎮でもある萱原昌二先生がボランティアで案内してくれています。
歴史散歩の会は白欧高校の卒業生・PTAであれば誰でも参加できます。


三田の寺町ー荻生徂徠の墓
幽霊坂を下って桜田通りを左手に進むと長松寺である。この境内に荻生徂徠(おぎゅうそらい)の墓がある。江戸中期の儒学者で、将軍家の侍医方庵(ほうあん)の子として生まれた祖練は、独学で儒学を学び、5代将軍綱吉の側用人柳沢吉保に仕え、のち日本橋茅場町(中央区)に学舎を開いた。孔孟の原典を学ぶためには、その中の語句が古代中国の文献でどのように用いられているかを研究する必要があると説いて、朱子学・陽明学に反対する古学派に新風を吹き込んだ。また、赤穂浪士の討人りについて、他の儒学者がその行為を賛美したのに対して、道徳的見地からは忠臣義臣であっても、幕府の禁を破った罪は重いとして切腹を主張し、幕府に採用された。

加藤清正の墓ー覚林寺

桜田通りに出るとゆるやかな坂道がある。名光坂を下りきった右手に覚林寺がある。一般には目茶の岳濯谷さまで親しまれており、表門右側には「清正公大神鏡御鎮座」と刻した大石標が立てられている。1631(寛永8)年に朝鮮の僧日延の開いた寺で、開運の守護神として江戸庶民の崇敬を受けていた。現在でも端午の節句には虎退治で知られる加藤清正の人形が飾られ、強健な子どもの成長を願う人々の参詣で賑わいを見せている。



*加藤清正(1562~1611) 安土桃山時代の武将。幼少より豊臣秀吉に仕え、柴田勝家軍を破った戦いで戦功をあげた七本槍の一人。肥後半国を与えられ、朝鮮半島に攻め込んだ文禄・慶長の役で奮戦し、蔚山の戦いで武名をあげた。
(つづく)

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