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原水爆禁止世界大会へ声明ーオリバーストーン

2013-09-13 23:55:37 | 平和・9条

アメリカの映画監督オリバー・ストーン(66)さんと、アメリカン大学準教授のピーター・カズニック(64)さんが日本を訪れ、8月の原水爆禁止2013年世界大会への声明を発表していました。全文を紹介します。

68年前、米国はまさにこの広島で、核時代の幕を開けました。米国の指導者たちは、原爆投下前に戦争が終結しないよう、急いで原爆を完成させたのです。 トルーマンはソ連が参戦しようとしているのを知っていました。彼は8月8日の夜中に始まるソ連の満州侵攻が、日本を降伏させることを知っていました。米国諜報部は数か月にわたってそのことを報告していましたし、米国が傍受していた日本発の通信文もそう告げていました。鈴木貫太郎首相は、なぜ日本がそんなに早く降伏せねばならないのかと尋ねられて、「ソ連は満州、朝鮮、樺太のみならず、北海道も占領してしまいかねず、これは日本の土台を崩壊させる。われわれは米国と交渉できるうちに戦争を終結せねばならない」と述べました。このことをほとんどの米国人と日本人は教えられていません。

  「もうひとつアメリカ史」ドキュメンタリー映画・出版プロジェクトの中で、私たちは、冷戦下、そしてソ連崩壊後の米国のふるまいを正当化しようとするいくつかの神話を暴きました。第一に、米国民は、ヨーロツパでの戦争に勝利したのは米国であると教えられてきました。 しかし教養ある人ならだれでも、チャーチルが言ったようにドイツ軍の「腸を引き裂いた」のはソ連だったということを知っているはずです。大戦の全期間を通じてソ連軍ドイツ軍200師団と交戦しましたが、米軍が戦ったのは英軍と合わせても10師団に過ぎませんでした。ソ連は大戦で2700万人の犠牲者を出しました。米英軍の犠牲者はそれぞれ30万人を少し超える程度でした。ソ連がナチスを打ち破っでいるあいだ、米英軍は北アフリカと地中海地域をうろついて大英帝国の利益に肩入れしていただけなのです。

 二番目が、冷戦を始めたのはソ連だという考えです。本当は、米国に主な責任があるのです。大統領就任から数日のうちに、ハリー・トルーマンは前任者のフランクリン・ルーズベルトの政策を劇的にくつがえし、ソ連を、合意を破った侵略者であり信頼できない相手だと扱うようになりました。 しかし本当は、ソ連の指導者らは、自国の安全保障を強化し荒廃した国土を再建したいと望んでいたため、西側との友好的関係を維持するために必死だったのです。

そして3つめは、私たちの今日の話にもっとも関わることですが、1945年の広島、長綺への原爆投下は正しかったという、誤った危険な神話です。原爆投下は、米軍が本土上陸することなしに日本を降伏させ、それにより、50万人以上の米国人の命とそれをけるかに上回る日本人の命を救ったというものです。よって原爆投下は米国の戦後世界での優位性を予兆するものとなり、正しかったと。こんな素晴らしいものを手に入れた米国は、1963年までに核兵器を3万発も保有するようになったのでした。あまりに素晴らしいので、日本はそれ以来ずっと米国の核の傘の下にいるというわけです。ソ連は必死になって追いつこうとしました。まもなく核大国は広島型原爆150万発分に相当する核兵器を保有するに至りました。ダモクレスの剣は人類の上に吊るされているのです。軍拡競争を開始した米国は、人類の死刑執行人になったのです。それは今も続いています。

 トルーマンは、日本が終戦の道を探っていたのを知りながら、原爆の使用を決定したのでした。彼は傍受された7月18日付けの電報について、「和平を求める日本の天皇からの電報」と書き残しています。彼は、自分が地球上のすべての生物を絶滅させかねないプロセスを開始したことを知っていました。それがまだ起こっていないのは単なる偶然に過ぎません。 トルーマンは、もし米国の戦後計画を邪魔するなら、ソ連もまた広島・長崎と同じ目にあうぞというシグナルを送っていました。そして、原爆投下前から日本が必至に降伏の道を探っていたことを誰よりもよく知っていたソ連の指導者たちは、広島・長崎の市民と同じく、標的は自分たちであることをただちに理解したのです。
 

しかし、米国の指導者たちもまた躍起になって広島・長崎への原爆投下は正しかっただけでなく、倫理的にも正当化できるのだと世界に信じ込ませてきました。実際のところは、戦争中に5つ目の勲章を得た軍の高官7名のうち6名が、原爆使用は軍事的に不必要だった、あるいは道徳的に非難されるべきものだったと述べたことが史実として残っています。ダグラス・マッカーサー将軍は戦後の日本をほぼ一人で統治した人物ですが、もし米国が天皇制の維持を約束していたら、3ヵ月も早く5月には日本は降伏していたはずだ、と述べています。実際、米国は結局それを許したのでした。

しかし米国は製造した原爆を実験したかったのであり、それ以降ずっと原爆投下を正当化してきたのでした。もし最初に原爆を使ったのが米国ではなくナチスだったとしたら、世界は核兵器をどう見ることになっていたか想像してみてください。核兵器は禁止され、その本質通り、絶滅兵器として糾弾されていたことでしょう。まさしくそれが今日私たちに課せられた課題なのです。私たちは、人々を核兵器で武装するのではなく、第二次世界大戦終結の真の歴史についての知識で武装せねばなりません。そうすることで、私たちは核兵器の本質をそのまま理解し、地上から廃絶することができるのでしょう。そして私たちは、沖縄からの米軍撤去をけじめ、アメリカ帝国のほかの罠も取り除かねばなりません。

 

 


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