針谷みきおの一言 集まり処「はんの木」情報 

集まり処「はんの木」にてスマホ・パソコン教室3時間千円貸出中コカリナ教室など📱070-5458-6220へ

東京大空襲戦災資料センター

2009-11-20 23:38:07 | Weblog
昨日に続いて、東京大空襲戦災資料センターの見学についてです。今回、東京大空襲の実態について、空前の被害状況を知らされました。センターでははじめに戦後NHKが米軍から入手した資料にもとづいて作成した23分のビデオを見ました。


東京大空襲を体験した人から地図をみながら話を聞きました。

東京の初空襲は、空母から発進したB25爆撃機によるものであった。    
東京空襲が本格化するのは、マリアナ基地が完成し、そこからB29爆撃機による空襲が始まる1944年11月24日以降であり、ポツダム宣言受諾が公表される直前の1945年8月15日未明まで空襲があった。
東京の本格的な空襲は次の3期に分けられる。  


死体の山となっている写真

空襲について、米軍の資料にもとづいてわかった話に戻しましょう。
第1期は、1944年11月24日から1945年3月上旬までで、白昼高高度から主に航空機工場などを目視で精密爆撃した時期である。軍需工場への精密爆撃といっても、実際には周辺の住宅地をも空襲している。中島飛行機への爆撃を第1目標とし、それが爆撃できない時は、第2目標とした区部の市街地爆撃をした。第2目標の区部市街地爆撃は、1944年11月27日、1945年1月27日、2月19日、3月4日などにおこなわれた。また、1945年2月25日には、次の時期に実施される区部の市街地焼夷弾爆撃の実験的な空襲がおこなわれた。2月26日からは、空母から発進する小型爆撃機による空襲も東京におこなわれるようになった。       
第2期は、1945年3月10日から5月26日までで、夜間低高度で焼夷弾を大量に投下し、区部の市街地を焼き払う爆撃である。
全国的には大都市の市街地を焼き払う空襲は6月15日まで続いた。この間の4月16日~5月11日には、沖縄戦の関連で、九州にある。


当時の民家で空襲を受けるようになって装備した電灯などは暗くしています。

第3期は、これ以降8月15日までである。全国的には6月17日以降、中小都市の市街地を焼き払う空襲が実施された。東京では8月2日に八王子が空襲された。この時期にも軍需工場への精密爆撃は続いている。また、いずれの時期にも、東京を目標としない爆撃の時でも、本来の目標を爆撃できないで、臨機に東京を空襲したことや、余った爆弾を東京に落としたような空襲もあった。         
東京に空襲があった日は、99日である。


参加者46名で記念撮影

足立区が空襲された資料がありました。
①1944年11月24日 第1目標 中島飛行機工場 第2目標 東京市街地
これが最初の足立区内での空襲(米軍の資料による)死者224名
②12月27日 目標は同じ           死者51名
③1945年(昭和20年)1月27日 目標同じ 死者539名
④ 同 2月19日 目標同じ          死者163名
⑤ 同 2月25日 第1目標 東京市街地    死者195名
⑥ 同 3月4日  第1目標 中島飛行機工場  死者650名
⑦ 同 3月10日 第1目標 東京市街地  死者83793名
⑧ 同 4月13日 第1目標 陸軍造幣地域  死者2459名
⑨ 同 5月25日 第1目標 東京市街地   死者3242名
こうしてみると米軍は広島、長崎同様空襲後の調査を克明にしていたことがわかります。二度と繰り返してはならない戦争です。そのためにも憲法九条を守り抜きましょう。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿