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足立区議会自民、公明が憲法推進決議に対する反対討論

2017-06-22 23:31:30 | 平和・9条

6月22日、自民党提出の「国会における憲法論議の推進と広く国民的議論の喚起を求める決議案」に対して、私が日本共産党足立区議団を代表して行った反対討論のビデオを紹介します。

ビデオをみるには画像の再生ボタン(赤色)もしくは下記のアドレスをクリックして下さい。

https://youtu.be/BaSjaIA9c6g

討論の全文は以下の通り。

 ただいま議題となりました自民党提出の「国会における憲法論議の推進と広く国民的議論の喚起を求める決議案」に対して、日本共産党足立区議団を代表して反対討論を行います。

 本決議案は一般論として憲法論議を推進することは当然のことであるように装っていますが、提出者の自民党は安倍首相自身が2020年までに憲法改定をめざすことを表明し、改憲草案をたたき台として発表しており、そのねらいは単に国民的論議を喚起するものでないことは明白であります。

わが党が決議案に反対する第一の理由は、自民党安倍政権が、憲法9条改定に手をつけ、世界に誇る「平和主義」を亡き者にしようとする企てのいっかんだからであります。

5月3日、安倍総理は、憲法9条に第3項を設け、自衛隊を明記する、2020年までには施行できるようにしたいと宣言しました。だいたい、内閣総理大臣が、こうもあからさまな憲法改定を、期限まで決めて宣言することが許されるでしょうか。

安倍首相の発言は、すべての公務員に「憲法を尊重し擁護する義務」を課した、憲法99条に反する憲法違反の発言といわなければなりません。

安倍首相は、「9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」とのべています。これは、単に存在する自衛隊を憲法上追認することにとどまりません。文字通り無制限の海外での武力行使を可能にすることになります。

これまで政府は、自衛隊を合憲としたものの、9条2項の制約から、それを「自衛のための必要最小限の実力組織であって、戦力にあたらない」と説明してきました。「戦力にあたらない」ことを建前としたため、海外派兵、集団的自衛権行使、国連軍への参加はできないとしてきました。

安保法制=戦争法によって、集団的自衛権行使の大きな穴が開けられましたが、それでも政府は、それを「限定的」だと説明し、武力行使を目的にした海外派兵はできないという建前を続けざるをえませんでした。9条2項は、安保法制=戦争法をも縛る力となって働いているのであります。

ところが、別の項目を立てて、自衛隊が明記されたら、どうなるでしょう。たとえ9条2項が残されたとしても、それが死文化=空文化されてしまいます。なぜなら、別の項目で自衛隊の存在理由が書かれれば、それが独り歩きし、自衛隊の役割がとめどもなく拡大することは避けられないからです。

この狙いをあけすけに発言しているのが、自民党議員の多くが加盟している日本会議の政策委員で、安倍首相のブレーンをつとめてきた伊藤哲夫氏です。伊藤哲夫氏は「憲法第九条に三項を加え、『但し前項の規定は確立された国際法に基づく自衛のための実力の保持を否定するものではない』といった規定を入れること」(『明日への選択』昨年9月号)と提案。さらに同センターの小坂実研究部長は、「『戦力』の保持を禁じ、自衛隊の能力を不当に縛っている九条二項は、今や国家国民の生存を妨げる障害物…。速やかに九条二項を削除するか、あるいは自衛隊を明記した第三項を加えて二項を空文化させるべきである」(同誌昨年11月号)としています。

それが安保法制=戦争法を「合憲化」するだけでなく、この法制のもとでもできないとされてきた集団的自衛権の全面的行使、武力行使を目的にした海外派兵を可能にすることになることは、明らかではないでしょうか。

国民の目、耳、口をふさぐ秘密保護法、モノ言えぬ監視社会をつくる共謀罪、安保法制=戦争法に続く憲法9条改定の企て―「海外で戦争する国」への暴走を、これ以上続けさせるわけにはいきません。

 反対の第二の理由は、決議案が内外の諸情勢に大きな変化が生じており、我が国の直面する諸課題に的確に対処するため、憲法審査会が設置され憲法論議が始められているとして憲法改定の方向性を示していますが、NHKが今年5月の憲法に関する世論調査で、アメリカの同時多発テロ事件の翌年の前回2002年は58%でしたが、今回の調査では前回を15ポイント下回り、「改正する必要はないと思う」と答えた人は、前回より11ポイント増えています。特に憲法9条を変える必要かでは「必要」25%「必要ない」57%となり、2002年の前回との比較では「改正する必要があると思う」と答えた人は5ポイント減り、「改正する必要はないと思う」は5ポイント増えているのです。

つまり、安倍政権になってから改憲の国民世論は大きく低下していることは明白です。自民党が提出した決議案にはこうした事実から目をそむけ、強引に改憲をすすめようとするねらいがあるからであります。

それは通常国会での安倍内閣のとった態度に共通するものがあることを指摘しないわけにはまいりません。国会質疑における安倍総理の態度はあまりにもひどいものでした。都合の悪い質問には「印象操作」と言って答えない。議員の質問に興奮して恫喝(どうかつ)まがいの答弁を行いました。

そのうえ、共謀罪の審議で、与党は法務委員会の審議を打ち切り、本会議に「中間報告」を提出し、強行採決しました。憲法にかかわる重大な法案について、このような乱暴なやり方をしてきたことは許されないことではありませんか。

 共謀罪は最大の問題は、何を考え、何を合意したかが処罰の対象となる―内心を処罰するということです。それは、具体的な行為があってはじめて処罰するという刑法の大原則を根本から覆すものです。思想や内心の自由を絶対に「侵してはならない」と定めている憲法19条に反する違憲立法にほかなりません。

 政府は、「共謀罪」法案をごり押しするために、国民を欺くうそをいくつも重ねてきました。

 一つは、「テロ対策」といううそです。さらに「一般人は対象とならない」といううそです。

 5月18日、国連人権理事会が任命した特別報告者、ジョセフ・ケナタッチ氏から、「共謀罪」法案が、プライバシー権や表現の自由への「過度の制限」になると強く懸念する書簡が、安倍総理に届けられました。ところが、日本政府は、ケナタッチ氏から寄せられた質問に一切答えないまま、「強く抗議する」という問答無用の態度をとりました。日本政府は、国連人権理事会の理事国に立候補したさいに、「特別報告者との建設的な対話」を公約したはずです。国際公約をほごにしてはばからない安倍政権の態度は、世界の恥というほかないではありませんか。

 「共謀罪」法案をめぐって、「かつての治安維持法の再来になる」との危惧が強く寄せられています。それは決して杞憂(きゆう)ではありません。金田法務大臣は、治安維持法について「適法に制定され、適法に執行された」と言い放ちました。それならば、治安維持法による弾圧、拷問で犠牲になった多くの人々―作家の小林多喜二の虐殺も、創価学会初代会長 牧口常三郎氏の獄死も、「適法」だというのでしょうか。

 国民をうそで欺き、国際社会からの批判にも耳を貸さず、憲法違反の「共謀罪」法案を強行しようとする勢力が現憲法の3原則を今後も維持されなければならないといっても国民は信用できるはずがありません。

 それにくわえて「森友」「加計」疑惑が大問題になっています。疑惑の核心は、安倍総理が「腹心の友」とよぶ加計学園理事長との関係によって、公平公正であるべき行政がゆがめられたのではないかということにあります。「岩盤規制に穴を開ける」と称して開けた「穴」が、加計学園しか通れない「特別の穴」であったことが問題となっているのです。

 「総理のご意向」「官邸の最高レベルが言っている」と明記された文書が明るみに出され、前川喜平前文部科学事務次官が、文書は省内で共有されていたと証言し、疑惑はいよいよ決定的になりました。

 決議案に反対する第三の理由は、憲法改定のたたき台としている自民党改憲草案の内容です。

自民党安倍政権がすすめる改憲には、重大な問題があります。

憲法改定は、法律で十分対応できない、憲法を変えないと解決できない事情があることを証明して初めて議論になります。自民党は、他国が改憲をしているとか、アメリカから押し付けられた憲法だからという情緒的改憲論しか打ち出せず、改憲のまともな必要性は証明されていません。

さらに、緊急事態条項は、権力の「集中」、手続きの「省略」、諸権利の「制限」の3点セットで、立憲主義の「存立危機事態」を生み出しかねない劇薬です。執行権力に権限を集中し、国民の権利を包括的に制限するもので、常に濫用(らんよう)の危険を伴います。

自民党の改憲草案は、緊急事態宣言を行う要件を「閣議にかけて」となっています。これでは内閣総理大臣の判断だけで宣言をみとめる専断的な認定になってしまいます。

改憲草案は「外部からの武力攻撃」「大規模な自然災害」とならんで「内乱等による社会秩序の混乱」を緊急事態としてあげています。

帝国憲法は、緊急勅令(8条)、戒厳宣告(14条)、天皇非常大権(31条)など多くの非常事態条項がありました。緊急勅令で治安維持法に死刑を導入しました。戒厳令下の関東大震災で朝鮮人や無政府主義者などが虐殺されました。

日本国憲法は、対外的には侵略戦争への反省から9条を持っています。国内的には、第3章「国民の権利と義務」の、10条から40条までが人権に関する条項ですが、その3分の1の10カ条が、逮捕に対する保障(33条)、拷問の禁止(36条)など、刑事手続きに関する条項です。これらの条項には、戦前の権力の横暴、人権軽視の歴史への反省が投影しています。

日本国憲法の緊急事態条項の不在は、帝国憲法にあった緊急事態条項の積極的な否定を意味する「不

在」なのです。

日本国憲法13条は、「公共の福祉」による人権制約を認めていますが、「公共の福祉」とは、全ての人に保障される人権相互の衝突を調整する原理と理解されてきました。

ところが自民党改憲草案は、「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に書き換えています。さらに「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」(12条)として、公の秩序優先で人権制約することを明確にしました。

「自民党改憲草案」は、「公共の福祉」を「公の秩序」に変えた理由を「基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにした」と告白しています。

他者の人権との調整を超えた「公の秩序」優先で、人権の大幅な制約がまかり通ることになります。秩序の中身は権力者の恣意(しい)的判断で決まる恐れもあります。

人権保障のために憲法が権力を制限するという立憲主義が壊され、国家優先で人権を縛る憲法に転換するのです。

自民党改憲案が全面削除を企てる、97条の基本的人権の永久不可侵規定―。これは、最高法規の章の冒頭に示され、憲法が人権を守る法であるからこそ「最高法規」であることを示す、重要な思想的意義をもつと理解されています。これを乱暴に削除することは、13条の「個人の尊重」から「個」の一文字を削ることとあわせ、個人の尊厳を守るという憲法の本質を踏みにじるものです。

さらに99条の憲法尊重擁護義務の規定に、「国民」を追加し、国民に憲法尊重を義務付けることは、まさに“国家を縛る”法から“国民を縛る”法へ逆転することを意味します。

このように、日本国憲法と近代立憲主義の核心にある「個人の尊厳」を最高価値とする理念を否定しています。「公益」優先で人権を制約し、権力を縛る憲法から国民と人権を縛り付ける憲法へと逆転しています。「憲法が憲法でなくなる」もので、まともな改憲案とはいえないものです。

決議案にはこうした自民党改憲草案の本質とねらいが隠されているのです。

日本国憲法は、第9条という世界で最も進んだ恒久平和主義の条項をもち、30条にわたる豊かで先駆的な人権条項も盛り込まれているものです。

国際的な緊張が高まっているもとで、憲法9条を生かすのかどうかが問われている。北朝鮮の核・ミサイル開発は断じて許されませんが、軍事的選択肢で解決できないことは明らかになっています。

アメリカによるイラク戦争は世界的なテロ組織であるISを生み出し、世界的にテロを拡散させたことをみれば明らかです。

米国のトランプ政権がシリアへの空爆に対して、安倍政権は軍事対軍事の緊張を高める行動を支持、歓迎してきました。とくに、安保法制=戦争法を発動し、自衛艦に「米艦防護」の任務を付与したことは、それ自体が軍事対軍事の緊張をエスカレートさせるとともに、トランプ政権が軍事力を行使したときに自衛隊を自動参戦させてしまう、きわめて危険な行為であります。日本国民の命と安全を守る立場に立つなら、軍事的緊張を緩和し、戦争を起こさない外交での解決に全力をあげるべきです。まさに日本国憲法の立場での外交が求められているでありませんか。

今必要なことは憲法を変えることではありません。くらし、平和、人権、民主主義などあらゆる分野で、立憲主義を守り、個人の尊厳が大切にされる日本を実現させるため、日本社会の現状を憲法の理想に近づけることこそ求められているのです。日本共産党は憲法が生きる新しい政治をつくるために全力をあげる決意を表明して、私の反対討論を終わります。

 


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