ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

爆発したマグレブ・オモチャ箱

2009-03-16 01:04:01 | イスラム世界

 ”Ould Bladi” by Cheba Maria

 この人は何年か前にチュニジア民謡の「SIDI MANSOUR」をライ・ミュージックにアレンジしてアラブ圏でヒットさせていて、そのアルバムは持っていたはずなんだけど、どこを探しても見つからない。気に入っていたアルバムだから売り払うはずはないし、どこにもぐりこんじゃったのかなあ?まあ、所有する音盤の数が多過ぎるのが問題と言うのは分かっているのだが。

 で、その当時の彼女は”モロッコ出身のライ歌手”という紹介のされ方をしていた。このアルバムでもその実力を遺憾なく発揮し、野太い声でマグレブ風情のヤクザなコブシを全開に吠えまくっている。
 それにしても、今回の作品はどう紹介されるんだろう?ライももちろんありだが、レッガーダ調破格路線もありの異種格闘技を繰り広げているのであって。

 打ち込みのリズムもあれば手打ちのパーカッションも暴れまくり、民俗楽器が鳴り渡るかと思えばシンセが駆け抜け、パワフルなリズムナンバーの合間には、グロッケンシュピールの響きも可憐なインストまで忍び込ませてある。音楽のスタイルも極ごとにコロコロ変わり、いやもちろん私に詳細な解説なんて出来るはずがないです。

 意外だったのは、ほぼマリアとは連名の扱いで参加しているDJ YOUCEFなる人物の存在。聴く前は「なんだこいつは」と邪魔になりそうな気がしていたのだが、逆だったのだ。彼のとぼけたベルベル語(?)のラップなど始まると、「待ってました!」と声をかけたい気分。
 どちらかと言えば本格派の歌唱を聴かせるCheba Mariaのような人はむしろ、このような良い意味で滅茶苦茶なサウンド展開の中では、ともすれば浮いてしまう可能性もあるのであって、そこを彼は上手い具合に彼女を大混乱のど真ん中に誘い込む道化師の役割を演じているのではないか?

 などといっている間にもCDを何度も聞き返してしまっていて、しかも繰り返すほどにこのアルバムを聴くことの快感の度合いも増すのである。
 力強いリズム、意表を衝くサウンド展開、そして何よりディープなディープなCheba Mariaの歌声。それらが渾然一体となって舞い踊るさまはまさしく、”爆発したオモチャ箱”と言えるだろう。一晩中でも遊べる。

北の面影

2009-03-15 04:26:31 | ヨーロッパ


 ”愛を歌う”by Ornella Vanoni

 下は、知り合いのPさんの掲示板で行なった”ある現象”に関する対話の記録です。
 そのうち、ちゃんと記事にまとめようかと思っていたけど、なんとなく面倒で後回しにするうち、このような話し合いがあったことすら忘れてしまいそうな気配が出てきたので、ここに記録だけでも残しておくことにします。
 著作権のこともあり、Pさんの発言分をこちらに持ってくるわけにも行かず、対話のうち、私の書き込みのみの抜粋です。結果、論旨が読み取りにくくなってしまっていますが、いずれ完全版を書くやも知れませんので、長~い目で見てくださいまし。

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マリーナ号 2009年02月09日 04:25
 それにしても、イタリアの、というよりはヨーロッパの、と言いましょうか、女性歌手たちは年を重ねるとどんどんおっかない顔立ちになっていってしまうのはなぜなんでしょうね?アメリカのジャズ歌手なんか、歳をとっても可愛らしい人とかいるのに。
 カンツォーネのコミュでも以前、ヨーロッパの女性歌手の化粧の問題が話題になっていたと記憶しています。ああしたくなっちゃう何かがあるのかなあ・・・

マリーナ号 2009年02月10日 04:27
 あたたた・・・”顔の変遷”の件、そんな難しい宿題を出さないでください。私はいまだ、「なぜなのかな?」と不思議がるだけで、試論さえ思いついていない段階ですので。
 ユダヤ系の問題、その方向では考えたこともありませんでした。そういえばイタリアと言う国、ユダヤ人に関しては寛容な国で、彼らにとっては過ごしやすい時期があったんでしたっけ?そんな歴史書を読んだ記憶があるんですが。
 かの民族のイタリアにおける分布など調べてみると何か見えてくるのかも知れませんけど。(私はむしろ、南の連中の血の問題にばかり興味を持って来ましたもので・・・)

マリーナ号 2009年02月11日 04:41
 う~ん・・・それまでナポリのローカルな歌謡文化だったナポリターナが、第一次大戦後あたりから始まったイタリア経済の近代化により、ミラノ辺りを中心とした北部資本に吸収されていった結果、ナポリ方言を捨てて標準イタリア語で歌われるようになり、イタリア全土に広がって”カンツォーネ”となって行った、なんてあたりに何かありそうな気もするのですが。
 で、ナポリなどの南イタリア文化は地中海文化圏につながり、”ミラノ辺りの中心とした北部特有の文化”ってのはどっちかというとヨーロッパの文化の一部としてある。この辺でユダヤ人が噛んできますかね。
 そういえば、たとえばスペインなんかではセファルディなんて名で呼ばれるユダヤ系の大衆音楽がはっきりとあるけれど、イタリアってその辺、よく分からないですね。

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ウクライナのバカ見参!

2009-03-13 02:31:40 | ヨーロッパ


 ”Tralli-Valli”by Verka Serdjuchka

 以前も取り上げたことのあるウクライナの男性、というかオカマのシンガー・シンガーであるヴョールカ・セルデューチカの、私が確認した限りでは最新作であります。もはや奴はウクライナだけではなくロシアでもそれなりの人気を獲得し、アーティストとしては上げ潮のイケイケ状態となっているようだ。

 関係ない話だが、昨年辺りから松浦亜弥の形態模写とかで評判をとっているなんとかいうオカマ芸のタレントがいるでしょう?芸名は忘れたが、なぜか男だった頃の、つまり本名は覚えている。オオニシ・ケンジといった筈だ。
 私はあの男が嫌いでねえ。嫌う理由はややこしいものではありません。ともかく何の番組でもテレビの画面に堂々と、何の遠慮もなしにしゃしゃり出てくるから。あの厚かましさが不愉快だ。

 でもって。困ったことに私は今回、ここに取り上げようとしているヴョールカ・セルデューチカに、オオニシ某と同じ匂いを感じて仕方がないのである。こいつもきっと、厚かましい性格なんだろうなあと、これはもう確信に近いものを感じているのだ。
 タレントとしての個性が非常に近しいのではないか?なんか似たような匂いを発しているのだ、両者は。

 このアルバムも、ジャケの写真だけ見ているとなんの愛着も感ずることは出来ない。そこにはブクブク太った厚化粧のオカマ野朗が人を馬鹿にし切った表情で、ニンマリ笑っている画像があるだけだからである。
 が、そこに収められた音楽の内容はというと、これがなかなか好ましい出来上がりなので、気分は複雑なのである。そうでなけりゃあこんなCD、ソッコーで中古店に叩き売ってやるんだがなあ。

 まず、全編で聴かれる手打ちのドラムスが心地良い。ドスドスと打ち込まれるシンプルでいて重たいリズムにのり、いつものスラブ風といっていいのだろうか、哀愁漂うマイナー・キーのメロディに風刺と諧謔一杯(なのだろうと推察する。ウクライナ語など一字一句も解しません、私は。申し訳ないが)の歌詞を乗せて歌いまくる。こいつも世の中おちょくり気分でいっぱいの浮かれた男女のコーラス隊を従え、セルデューチカの歌唱は実にはつらつとしていて、ロシア民謡風パンクロック表現の一つの結実、なんて謳ってみたくなるのだ。

 スラブ情緒一杯のアコーディオンの響きと、ちょっぴりクレズマーっぽいホーンセクションが東欧気分をいやがうえにも盛り上げ、ワイルドなエレキギターのカッティングがパンクの残滓の香りを漂わせる。このアルバムではときおり、ジャンゴ・ラインハルト調と言うべきか、ジプシー・ジャズっぽいアコースティック・ギターのソロが聴かれるようになっていて、これもセルデューチカのエキゾティックな個性によく合っていて、”当たり”と言えよう。

 ともかく、これまで聴いてきたセルデューチカのアルバム中、もっとも好ましい音作りといっていいのではないか。
 それでいて演奏時間は30分ちょっと、というあたりも人を馬鹿にしていて、いかにもセルデューチカ気分である。こんなもん、ミニアルバム扱いで売れっつーのよ。値段だけはフルアルバムでやがって。

 まったく、ろくなもんじゃないですな。さあ、とっとと次のアルバムも出してみろ。負けずに聴いてやるから。

”Tralli-Valli”(2006)

1. Intro "V smysle nachalo"
2. Ljubi menja
3. Khorosho krasavitsam
4. Beri vse "Chto u menja est"
5. Trali-vali
6. Plakat ili radovatsja
7. A ja smejus
8. Scenka
9. Pomada
10. Kievskij vokzal
11. SMS-ochka
12. Sama sebe
13. Scenka
14. Khorosho krasavitsam (video-klip)
15. Trali-vali (video-klip)

降り止まぬ雨の台湾

2009-03-12 03:07:56 | アジア


 ”歡喜來相逢”by 唐山& 碧蓮

 売れない田舎廻りの演歌歌手然とした女と、6弦ウクレレを抱えた能天気そうなハゲ&ヒゲのオッサンが古臭い形のマイクを前にしているジャケ写真を見て、これは絶対にコミックソングのアルバムだろうと推察した。
 さぞかしバカな唄が収められているのだろうと期待して購入したのだったが、聴いてみれば大笑いを喚起する要素はなく、むしろ台湾における”無名の庶民たち”の息使いや体温をジットリと感じさせるような裏町歌謡デュエット集だったのだった。

 まず聴こえてきたのは、薄汚れた都会の裏町風情によく似合うマイナー・キーのド歌謡曲なメロディを、チョーキングを効かせて歌いまくるエレキギターのイントロだった。臭いイントロと思ったが、それでもこのアルバムの中では結構頑張ってナウいつもりを演じてみせたアレンジだったのだと、すべてを聴き終えてから気がついた次第。

 すでに若くはなく、ままならぬ浮世の定めを身に染みて知ってしまった男女が場末のスナックでカラオケのマイクを握って、そのまま夜を明かそうという勢いである。
 外れクジばかりを引いて生きて来た、根っから負け犬体質の二人。つまりはごく当たり前の、世界中どこにでもいる”砂のごとき大衆”の中の一人と一人。
 二人は別に惚れ合った恋人って訳じゃない、たださっき別の店で知り合って、妙に気が合うのを感じてこの店に流れ、互いの知っている曲を探り合いながらヤケクソのごときノリで歌い続けている。夕刻から降り始めたしのつく雨は、いまだ店の窓ガラスを濡らし、夜半に至っても止む気配もない。

 あのですね、さっきから臭い文章ばかり書いているとお感じになるかも知れませんが、いや、このCDを聴きながら書いていると、どうしてもこういう文章になっちゃうの。そういう音楽なのだとご理解ください。
 ことに4曲目辺りからもう、これでもかと言わんばかりのド演歌が連発なので、その辺が苦手の人にはダメですな、これ。それも、もう日本では聴けなくなってしまったような昭和30年代調の古臭いド演歌。スルメ臭い屋台で流し込む二級酒の味わい。

 コミックソング集では?と言う初期の期待は裏切られてしまったけれど、この”着古した肌着に袖を通す”みたいな感触は悪くない。
 ”生きていてもどうもこの先、ろくな事はないかも知れないな”と、”でも、何とかここまでやって来たじゃないか”の狭間で、何とかつじつまを合わせて生きて行く庶民の哀感が、降り止まぬ雨のようにすべてをしっとりと濡らす、古ぼけた盛り場の一叙景。その雨にこちらも濡れたまま、幸せにする事の出来なかった人のことなど思い出してみるのも、また。

 それにしても台湾て所は、こんな古臭いド演歌のアルバムをいまだ新譜としてリリースし続けているんだねえ。日本の演歌関係者は、こんなの聞いたらどう感じるのだろう?昔の日本の演歌の圧倒的影響下にある”外国の音楽”の現状を。
 昔メカケが勝手に生んでしまった子どもの成人した姿に、予期せぬ時と所でふと出くわしてしまった、みたいな気分になるんじゃあるまいか?

フィリピンの土を耕せ!

2009-03-11 01:48:24 | 時事


 ☆<不法残留>比人夫妻が入管に出頭、アランさんは収容☆

 そもそも、このフィリピン人の両親にとって、そして日本生まれの娘にとって、フィリピンなる国はどのような場所と認識されているのか。ゴミタメか?この世の地獄か?彼らの話を聞いていると、そうとしか思えないのだが。
 恥と思え。申し訳ないと思え。たとえ現状がどうであれ、君らの父祖が、その血と汗と涙をもって守り育てた愛すべき祖国フィリピンではないのか。

 両親に忠言する。日本生まれの娘を盾に安い同情を請う下品な居座り工作はやめて、一刻も早く故国フィリピンに帰りなさい。「日本語しか話せない」と甘えた事を言っている娘よ、君も君の血の故郷、フィリピンに帰り、新しい、そして正しい人生を送りなさい。
 フィリピンの言葉が話せないなら話せるように学習すれば良いだけの話だ。世界中で、多くのこみ入った事情を抱えて育った子供たちの誰もが普通にやっていることだよ。

 君ら家族三人は、故国の同胞と一緒に額に汗しフィリピンの土地を耕せ。そしてフィリピンを日本人がその豊かさをうらやむほどの理想国に、君らの手で育て上げるが良い。
 いつの日か、そんな君らの国を羨み、根性のない日本人が群れをなして訪れ、安易に豊かな暮らしを求めてフィリピンに不法入国を試みるようになるかも知れない。そしたら君たちは「恥を知れ!」と彼らを一喝、シナ海のど真ん中でもいい、叩きだしてやればいいのだ。それだけの話だ。

 どうかね、早くフィリピンに帰りたくてウズウズし始めているんではないのかね、君たちの愛国心は?


 ○<不法残留>比人夫妻が入管に出頭、アランさんは収容
 (毎日新聞 - 03月09日 12:51)
 退去強制命令を受け、在留特別許可を求めているフィリピン人、カルデロン・アランさん(36)と妻サラさん(38)=埼玉県蕨市=が9日午前、東京入国管理局に出頭した。夫妻には中学1年の一人娘、ノリコさん(13)がおり、「娘は日本で生まれ、日本での生活を望んでいる。一人で残せない」として、一家3人の在留特別許可を求めたが、弁護士によると、入管はアランさんを収容、サラさんとノリコさんは16日まで仮放免を延長したという。
 この日は、入管が認めた10日間の仮放免延長の期限で、入管は「出頭までに帰国日程を決めなければ強制収容する」と通告していた。
 森英介法相は6日の閣議後会見で、ノリコさんには埼玉や東京に叔父や叔母ら親せき3人がいることを挙げ、「養育環境が整えられるなら子供は在留特別許可で日本に残ってもらって構わない。家族を引き離すつもりは全然ない」と話した。ノリコさんが残る場合は「本来は5年間再入国できないが、両親には子供に会うため1年を待たず上陸特別許可を出してもよい」ともしている。
 両親は92、93年に不法入国。06年にサラさんが出入国管理法違反(不法残留)容疑で逮捕され、一家は退去強制命令を受けた。命令取り消しを求める訴訟は最高裁で敗訴が確定している。【稲田佳代】

夕暮れのタンゴ、街角のタンゴ

2009-03-10 03:19:52 | 南アメリカ

 “Mi refugio”by Olivera & Lúquez

 ブエノスアイレスの街角だろうか。歴史ありげな都会の歩道を行く男の後姿がモノクロ写真で捉えられている。ツバ広の帽子を被った彼は、なんだかマグリットの絵画の中の人物めいて、ちょっぴりシュールな雰囲気をかもし出してもいる。
 傾いた陽が歩道に長い影を作り、都会は一日の幕引きにかかろうとしているが、男の背には道に踏み迷い、途方に暮れた者のような孤独の影が染み込んでいる。「日暮れて道遠し」なんて言葉も浮かんでくる。

 などという雰囲気のジャケ写真のアルバムである。アルバムタイトルの意味は”私の隠れ家”なんだそうだ。ジャケ写真の男は夕刻の雑踏に紛れて、彼なりに一人になれる心安らぐ秘密の場所を目指しているのだろうか。

 タンゴの本場、アルゼンチンのジャズマンがときどきタンゴにチャレンジしたアルバムを世に問う。どれも独自の境地を提示してくれて、興味深いものばかりだが、これもその一つ。アルト&テナー・サックスのマリオ・オリベーラとピアノのレオネル・ルケスのデュオ作品で、二人のコンビはこれが3作目だという。
 何しろ二つの楽器の対話のみで構成されるアルバムなので、非常に隙間の多い空間で二人の物静かな会話が交わされる、そんな感じの作品になっている。

 取り上げられているのは「タンゴ・ロマンサ」と呼ばれている、定番メニューのロマンティックな美しいメロディばかり、と言うことである。とはいっても、アルゼンチンタンゴの愛好家でなけりゃ、”お馴染みのメロディ”とは言いがたいものです。というか、たとえば無学な私は収められている曲、特に聴き馴染んではおりません。
 でも、どれも美しい、聴き易いメロディばかりなので、アルゼンチンの人々にはきっと気のおけない昔懐かしい気安さを醸し出してくれるものなのではないか。

 演奏は、ジャズ、タンゴ、クラシックそれぞれの要素が交錯するものだが、特に各要素が火花を散らすでもなし、即興性の強い演奏はその場の雰囲気ごとにさまざまに色を変える。
 どちらかと言えばややルーズで内向きな演奏なのだが、瞑想的な音のたゆたいの中から時に、甘いメロディや明るいリズムがゆらりと立ち上がり中空を漂う、そんな瞬間がどの曲にも何度もある。
 そんな時、灰色の雲の層に閉ざされた空が開き、つかの間日差しが下界に降り注ぐ、そんなイメージが広がるのだが、なるほど”癒し”というのはこんな具合のものなのかなあ、などと思わされたりする。

 サックス吹きとピアノ弾きの気ままな対話は続いている。都市はいつの間にか夜の闇に閉ざされ。あの帽子の男は何ごともなく彼の隠れ家に行き着けたのだろうか。


本邦ラップ界衰退を祝賀し吟じます。

2009-03-09 04:00:43 | その他の日本の音楽


 下に引用した”日刊サイゾー”の記事によると、日本のラップの世界は今、”HIPHOP冬の時代 生き残りをかけて"泣き"に走るラッパーたち”という状況になっているんだそうですよ。
 死ぬほど頭の悪い歌詞を黒人の猿真似でダラダラ垂れ流す、そんな稼業がこれまで商売になっていたのが異常だったのであって、それが売れなくなったのなら、世の中が正気に戻りつつあると言うことです。喜ぶべき話でしょう。

 で、そっちが商売にならなくなったら苦し紛れにお涙頂戴路線に走ってるっていうんだから、あの連中、もう根っから安易かつねちっこい人生を送るのが好きなんでしょうね。
 うん、そういえば聴いた事があるわ、そんな連中の一人が歌う、お母さんがどうしたこうしたって唄。カビの生えたような感性、と言うのはこういうものを作り出す情動の事だと定義したくなりましたが、最初に聞いたとき。

 こうなるとほんとに愚劣の上塗りで、なんだか嬉しくさえなって来ます。そのうち春が来たらこれも月並み路線の定番、卒業がどうの、桜が咲いてどうしたとか、始めるんですかね?

 そう、この”桜”の問題も、いつか突っ込まねばと思いつつ、やろうと思ったとたんにアホらしさに脱力してしまい、果たせずにいます。いつ頃からなんですかねえ、日本のポップス関係者が春になると揃いも揃って、桜がどうしたこうしたと同じような唄を歌いだすようになったのは?何がきっかけだったのか?
 何でこんなことになってしまったのか、まだ分析できていませんが、昨今「桜」と一言歌いだすだけですべての歌手がアホに見えるようになった、これだけは確かと言えましょう。

 それにしても。バブル状態でちやほやされていた頃には社会への抗議やらぶち上げていたのに、売れなくなったら、カビの生えたようなお涙路線に頼り、一般の人々のサイフにすがろうとする。ずいぶんいびつな話じゃありませんか。
 ラッパー諸君に言いたい。その辺の矛盾について一度考えてご覧よ。ちっとはマシな歌詞が書けるようになるかも知れないぜ。歌詞じゃなくてライムとか言うんだっけか?どうだっていいよ、呼び方なんて。要は中身だ。

 ○HIPHOP冬の時代 生き残りをかけて"泣き"に走るラッパーたち
 (日刊サイゾー - 02月28日 08:10)
 2000年代前半には、数多くのラッパーがメジャーデビューを果たすなど、大変なにぎわいを見せていたヒップホップシーン。独特のファッションなどから「21世紀のヤンキー文化」とも評され、すっかり日本の若者層に定着した感もあった。
 しかし、ここ数年はヒットチャートに顔を出すヒップホップアーティストが減り、メジャー契約を打ち切られるケースも続出するなど一時のブームは終焉の兆し。「ラッパー冬の時代」とも言うべき状況が生まれている。
 そんな中で生き残りをめざすラッパーは、ほとんどの場合、"泣ける歌モノ"路線に走るようだ。アウトロー的なキャラクターでも人気のあったシーモネーターが突如、SEAMOとしてJポップシーンに切り込んだのをきっかけに、甘い歌メロにラップを絡めたスタイルに走るラッパーが続出。もともとハードコアな作風で知られたSpontania(前Hi-Timez)が、女性歌手JUJUをフィーチャリングして"恋心"を歌った「君のすべてに」でヒットを放ったのは記憶に新しい。彼らは路線変更にひとまず成功したケースだが、思い切って"泣ける歌モノ"路線に走ったものの、不発に終わったラッパーも多い。
 一時はJポップシーンの中心に居たRIP SLYME等の人気グループにも、逆風は吹いている。
 RIP SLYMEの場合、大型タイアップがついたシングルを出し続けているが、ヒットらしいヒットは出ていない。その代わりというわけではないのだろうが、メンバーが他のアーティストと組む機会が増え、MCのPESは、森山直太朗やkj(ドラゴンアッシュ)らとともに楽曲「THE LIGHT」をリリース。また、同じくMCのRYO-ZとILMARIは、牧瀬理穂と結婚した"ヒップホップ界のパトロン"NIGOを中心とするユニットTERIYAKI BOYZに参加している。いずれも、音楽的評価はさておき、セールス的にはさほど話題になっていない。
 このほか、コラボといえば聞こえはいいが、"まとめ売り"としか言いようがないユニットも多く、ヒップホップアーティストの売り出しに頭を悩ませるレコード会社の裏事情がうかがえる。
 一方、メジャー以外で活動するラッパーの場合、「他に生業を持っているか、あるいはグッズの通販等で糊口をしのいでいる人が大半で、音楽だけでの活動継続は難しい」(レーベル関係者)という。本場アメリカでは、社会的主張をともなうコミュニティ型音楽として市民権を得たヒップホップだが、日本では今が正念場と言えそうだ。 (玉井光太郎)

ジントーヨーBLUES・普久原恒勇の世界

2009-03-08 01:52:34 | 沖縄の音楽


 ”芭蕉布~普久原恒勇作品集~

 沖縄大衆音楽界の誇る大物作曲家、普久原恒勇氏の作品集である。
 この人の名は田端義夫氏のアルバム、”島唄2”で覚えた。そこに収められていた、普久原恒勇のペンになる2曲が、アルバムを聞き返すうちに段々気になってきたのだった。
 何しろその2曲、まったく作風が違う。かたや、スイングジャズ調と言って良いのか、明るい曲調で沖縄賛歌を謳い上げる”泡盛の島(こちらのアルバムには「うるま島」の名で収録)”、もう一曲はコテコテの音頭調島唄といいたい”南国育ち”である。

 こちらがイメージする沖縄音楽のイメージを完全に裏切ってのクロマチックの音階、そこに含まれる湿度もほぼ0パーセント、明るく弾むメロディを持つ”泡盛の島”には、「へえ、沖縄にはこんなにも早くから”洋楽風”なポップスを書く作曲家が存在していたのか」と、まだ喜納昌吉あたりからしか沖縄を知らなかった頃の当方としては、認識を新たにさせられたのだった。
 が、後者、”南国育ち”は島グチ混じりの歌詞を持つ、一杯機嫌の手拍子が似合う、昔ながらの気のおけない宴会ソング風のメロディである。なんなんだこいつは?一人で伝統の破壊者と守護者の役を演じているじゃないか。

 その後、沖縄音楽のCDをあれこれ聴き進むうちに、作曲家・普久原恒勇の作品にあちらでもこちらにも、と言う感じで出会う事になり、そこには沖縄における大ヒット曲と言える作品も少なからずあって、ますます彼の事が気になってきたのだった。
 やはり作風の幅は相当に広く、沖縄音楽を意識的に聴き始めたばかりの者には古くから伝わる民謡としか聞こえない曲があるかと思えば、”うるま島(泡盛の島)”の線の、爽やかなジャズ・コーラスのアレンジが似合う曲もあり、といった具合。その他、調べてみれば交響曲の作曲をするかと思えば、三線の教則レコードまで出しているようだ。

 その全貌と言うか正体を知りたくなり、探し当てて手に入れたのがこのアルバムという次第である。
 普久原恒勇は1932年の生まれ、家業は沖縄音楽専門レーベルである”マルフクレコード”だったというから、これはもうかなわない、と頭を下げるしかないみたいに思える。そして、幼い頃から専門的な音楽の教育も受けていたようだが、ご本人は音楽の道にはさほど興味がなく、はじめは写真家を目指していたようだ。西洋音楽に興味はあったが沖縄音楽にはさほど興味はなかった、などと余裕のスルーぶり。
 いやあ、こういうとんでもない仕事をやり遂げる人の経歴なんてものはこんなものだよね。意識することもなしに身に付けてしまっていたんだろうか。あの幅広い活動を可能とする知識とか感覚と言うものは。

 このアルバムは普久原恒勇の作品のうちでも、革新的なアレンジがほどこされたものを主に集めているとの事で、聴き進めばなんとも目くるめく音楽的冒険の数々に出会うことが出来る。あるいはボサノバ・ギターと三線が絡み合う中から歌い出される伝統的島唄のメロディがあり、ジョン・レノンの”ラブ”に共鳴する形で書き下ろされた唄があれば、古い八重山の民謡を分解構成させた実験作もあり。
 私を驚かせた”沖縄ジャズポップ”調の曲は1960年代、沖縄の新しい歌を作ろうという運動に呼応する形で生み出されたもののようだ。

 素晴らしいのは、それらすべてがあくまでも片々たる大衆と共に生きる者の感性から歌い出されている点であり、民衆を離れた実験室の学者の御作品となってはいない点である。複雑な実験は行なわれてはいても、その魂は無名の市井生活者のポジションから外れることなく、いつでも彼らと酒を飲み交わしながら歌いだせる人懐こさを失うことがないのだ。

 この文章を書くためにあれこれ調べていて知った事。彼の、もっと知られている作品といっていいだろう、”芭蕉布”という美しいワルツがあるが、この曲は元々は1965年、ハワイの日系三世の歌手、クララ新川のために英語詞を付けられた形で生み出されたそうな。活動のスケールもでかいなあ。
 その後、日本語詞が付けられて日本のあちこちで歌い出され、ついには東京は新宿の歌声喫茶「灯」で”50年間に歌われた曲”のベスト2になったという話にも驚く。私はこうして沖縄音楽のCDなど聴き出す以前にはこの曲、耳にした記憶がないのだが。

 この”芭蕉布”って、沖縄っぽいところがないようである、みたいな微妙なメロディ展開も面白く、良い曲と思う。気に入っている。
 ところでこの曲、女性ばかりが録音しているみたいだが、男性が歌ったら変なニュアンスが出てしまうのだろうか?ちょっと気になるんで、ご存知の方、ご教示ください。ときどき、ギターを弾いて唄っているんでね。
 それにしても、こんな人こそ何枚組みかの作品集を出して欲しく思うんですがね、レコード会社のみなさん。

奄美ロッキン・デルタブルース!

2009-03-06 02:57:44 | 奄美の音楽


 ”ゆりうた” by 山田武丸

 先日来、仕事上の問題が発生していたり、その他大きな事から小さな事まで、どうもゴタゴタばかりで、日々、何もかも上手く行かない。そんなこんなですっかり落ち込んでいて、自分の周囲に灰色のバリヤーを張り巡らせてやっと息を継いでいる現状である。
 と言う次第で、今、手元にあった未聴のCD群の中から一番地味そうなものを取り出して聴いてみているところだ。あえて、更なるディープな感情のドツボに追い込んでくれるような音楽を選び、逆カタルシスを得ようという算段である。

 選び出したのは、奄美の島唄の歌い手、山田武丸氏のアルバムである。奄美北部の龍郷町秋名という場所で一番の唄者として知られているという。CD発売元のJABARAレコードの資料には、”昭和60年、氏が当時保存会長をつとめていた、秋名集落の神霊を招き寄せる祭祀「平瀬マンカイ」が重要無形民俗文化財の指定を受けた”とある。
 このアルバム、ご高齢(大正5年生まれ)の武丸氏の歌声を残しておきたいと思い立ったご子息が昭和57年、奄美北部の唄者たちを集め、唄遊びをした時の記録である。

 奄美の伝統として行なわれてきた歌遊びの現場にマイクを置いて録音されたものゆえ、ノイズも多く、また唄者たちの話し声から咳払いまで入ってしまっている。
 これを、”それが島の唄遊びの昔ながらの雰囲気をよく伝えている”などと言ったら「調子の良い事を言うな」と叱られたって仕方がないだろう。当方はあくまで余所者で、唄遊びの何たるかも、まだ分かってはいないのだから。

 こちらの感じたところをそのまま記せば、まずは凄まじい臨場感を感じ取り、聴き進むうちにそれがいつしか、その場にい合わせ、歌い交わす奄美の唄者たちを包む良い湯加減の空気の流れと意識されていった、と言うところか。
 昔馴染みが気ままに集い、歌い慣れた郷土の唄に声を合わせる。島の唄者たちの歌声が夜の中に流れ出して、暗い海を超えて行く、そんなイメージが広がる。
 と言ったところで、このレコーディングが夜間に行なわれたものかどうかも私は知らないのだが。

 竹丸氏の歌声は渋く重い、相当に迫力あるものだ。”強く高音域に伸びる”ことで評判だったとの事だが、確かに強力なバネの弾みのようなものを、その歌声の芯に感ずる。大地を鞭打つように叩き込まれる重心の低いリズムと、ワイルドに粘りまくる鋼の喉。
 よく奄美の島唄をブルースに例える人がいるが、冒頭の数曲など、ほんとにミシシッピー・デルタブルースそのままのノリである。
 そう聴いてしまうのである、根が古いタイプのロック小僧である当方などは。それでいいのかどうか。まあ、「何も分かっておらん!」と叱られたって、そう聴こえてしまうのであるから仕方がないと居直っておこう。

 アルバム終盤に至り、「座唄」「八月踊り」と、旧暦八月に行なわれる祭り関連の唄が続く。私は勝手に奄美の島唄に、”今に生きる古代日本の響き”を聴きとって悦に入っているものなのだが、これら祭りの音楽はまさにそのような文化人類学上の興味のど真ん中に突き刺さるもので、聴いていると非常に血が騒ぐものがある。竹丸氏の歌声もいつしか、共同体の祭り歌の濃厚な熱気の中に埋もれてしまう。
 と思わせておいて、次に収録されている有名な手踊り歌、「六調」では、とんでもない切り返しが演じられるのだった。

 竹丸氏はアップテンポのリズムに乗り切り、思う存分鋼の喉を披露、囃し方と凄まじい掛け合いを演じて、見事なクライマックスを演出してくれている。こいつはまた、軽薄に「ロックンロール!」などと声をかけたくなる迫力なのであって、途中、フェイドアウトしてしまうのがいかにも惜しい。

 と言うわけで。CDの音楽が止み、70分余の奄美幻想から現世に帰った私は、旅に出かける前と寸分変わらぬ部屋の中で、先ほどは確かに肌に感じたと信じられた南の島の海の残響を探しながら、しょうがない、嫌でも来てしまう明日のことなどまた、思い煩ったりし始めるのだった。
 うん、”一番地味そうなアルバム”なんてとんでもない、えらいスペクタクルを聴いちまったじゃないか、ええ?

巡礼とアウトバーン

2009-03-05 02:45:06 | ヨーロッパ
 ”DER MONCH VON SALZBURG” by Barengasslin

 ドイツのトラッドバンドによる、傑作の呼び名高かったという1980年作のアルバムのCD化であります。とか言ってるが、もちろんリリース当時、このアルバムの存在を知っていたはずはなくて、このCDとその評判記によってこのバンドが、かって存在していた事を知ったわけなんですが。
 聞いた感じはトラッドというより古楽のアルバムと言う感じでしょうか。とはいえ本物の古楽ファンからすれば、これはプリミティヴ過ぎる民謡のアルバムである、となるんでしょうけど。
 いかにもドイツらしい、と言っていいんだろうか、くすんだ色彩の中に整然たる音つくりが律儀に進行して行く、そんな生真面目な印象のアルバムです。

 ジ~ンとハーディガーディの”さわり”のような、セミの鳴き声みたいな通低音が響き渡る空間に簡素なリズムが刻まれて行き、隙間が多目の音空間に素朴な男女の歌声や古楽器のソロが入れ替わり立ち代り登場しては、あくまでもクールな表情を保ちつつ昔語りを語る。そして去って行く。
 そこには、作品構成としてもパフォーマンスの傾向としても、たとえば英国諸島のケルト圏で聴かれるような神秘な霧の立ち込める気配もなく、南のラテン諸国のトラッドのように地中海の潮の香漂う壮大な歴史絵巻を予感させるものもあるわけではありません。劇的なドラマ展開と言ったものは、ここにはない。

 中世ドイツの街道町の旅籠を舞台にした小説を読んだことがあります。商人やら巡礼やらが粗末な宿屋にザコ寝状態で一夜を過ごし、また朝が来れば各々の目的地へと旅立って行く。あの、ヨーロッパの奥の細道みたいな、寒々ととしたモノクロームの哀感が滲む音楽世界です。
 ドイツの大衆音楽っていまだ正体がつかめず雰囲気ものの話しか出来ないのですが、その冬の青空に突き立つ針葉樹みたいなまっすぐなメロディの中には、凍える北風吹きすさぶ大地を生真面目な情熱を胸に秘めて一歩一歩踏みしめて進んで行く、寡黙な若者の横顔が覗えたりします。
 ローマ帝国の栄光とも隔絶された北の貧しい土地で彼らゲルマン人は、地道な自然科学の探求に生きる道を求めた、なんて話も思い出します。そんな無骨な彼らが、その情熱を四角四面の音楽で表しました。方眼紙に定規を使って描いたようなリズムとメロディで。

 いつのまにやらこのアルバムの、訥々としたリズムの繰り返しと激しないメロディの世界が、かのテクノ・ポップの開拓者、クラフトワークの”アウトバーン”なんてアルバムと二重写しになってくるのでした。
 電子楽器によって描かれた、ヨーロッパ大陸を貫く高速道路の旅の、音による模写。あの寓話的とも呼びたいテクノの夢の世界に、このアルバムの中世の街道は直結しているのではないか。
 無機質に見える理科系の夢の結実が過去と未来を貫いて伸びて行く、そんな幻想にしばし酔ってみた、春まだ浅いクソ寒い雨の日でした。