”ROCHDI & GHANIA”
アルジェリア版のレッガーダか?とも言われる祝祭系ダンス音楽、スタイフィの新作であります。
なんか常に男女のデュオの形で行なわれるみたいですね、この音楽は。音楽の発祥が相聞歌のようなものだったのだろうか?
で、今回のコンビの片割れのGhania女史は以前、別のオヤジとコンビを組んでアルバムを出していて、そいつもなかなかの根性もの(?)だったんだけど、こちらもタンゲイすべからざる・・・
というか、この辺の人たちって出来も不出来もない、フタを開ければ常時、こんな音楽が充血状態で飛び出してくるんじゃないかって気がしないでもない。そんなエネルギーの奔流を感じさせる音楽の響きとなっております。
確かにこの音楽、レッガーダと共通する要素はいたるところに認められます。
特徴的な、前につんのめるように性急に打ち鳴らされる気ぜわしいリズム。打ち込みやら民俗打楽器やらあり。そしてこれもお馴染み、イスラミックな旋律を歌い上げる声はボコ-ダーによって変形され、ロボット声化して、電動コブシがコロコロと砂塵の上を舞う。この喧騒感、猥雑なエネルギーと強力な異世界感覚は確かに、モロッコのベルベルの人たちのレッガーダ音楽と良いライバル関係かも知れない。
レッガーダとの相違点を探してみれば。まずこちらのほうがメロディを歌い上げることが比較的重視されていて、歌謡性が強いような気がします。また、リズムやアレンジのバリエーションもスタイフィのほうが多いように感じられる。
なんていうと、スタイフィのほうが優れた音楽であるかのように取る人もいるかもしれないけど、なーに、乾燥しきった感性で一本調子を演ずるレッガーダのほうが逆にクールでかっこ良い、とも言えるかと。これが今日の感性。とはいってもいずれ、微細な差なんだけどね。
そのロボ声なんだけど、大迫力の女性歌手のGhaniaのパワフルな歌声よりも、やや地味目な今回の相方である男性歌手、Rochdiの声のほうに、より有効に作用している。
これは他の作品においてでも同じなんだけど、女より男のほうが、そして歌唱力があるよりないほうが、より効果的にロボ声を使い切る事が出来るなんて法則は成立しないだろうか?私がこれまで聴いて来たレッガーダ関係を思い起こすと、そう言える様な気がするのだけれど。
これ、以前、中村とうよう氏が言われた、”少数民族の音楽においては、女性歌手はどんどん雄々しくなり、反対に男性歌手は女々しくなる傾向がある”って説と関係ありそうな気がする。まあ、まだ”気がする”ってだけのレベルなんだけど。これは今後の研究課題。
このアルバム、収録時間が49分余と表示されたんで「何だよ、収録可能時間一杯音を押し込めばいいじゃないか、ケチしやがって」とか思ったんだけど、聴きはじめると濃厚な音の連続で、後半に至ってはゲップが出る状態。
そして、使用音階やリズムなど、あと一歩で河内音頭になりそうな雰囲気のある最終曲に到ってはすっかり精神的筋肉痛状態(?)で、やっとのことで聞き終える始末。パワーねえぞ、日本人!いや、私だけか、こんな軟弱者は?