”歡喜來相逢”by 唐山& 碧蓮
売れない田舎廻りの演歌歌手然とした女と、6弦ウクレレを抱えた能天気そうなハゲ&ヒゲのオッサンが古臭い形のマイクを前にしているジャケ写真を見て、これは絶対にコミックソングのアルバムだろうと推察した。
さぞかしバカな唄が収められているのだろうと期待して購入したのだったが、聴いてみれば大笑いを喚起する要素はなく、むしろ台湾における”無名の庶民たち”の息使いや体温をジットリと感じさせるような裏町歌謡デュエット集だったのだった。
まず聴こえてきたのは、薄汚れた都会の裏町風情によく似合うマイナー・キーのド歌謡曲なメロディを、チョーキングを効かせて歌いまくるエレキギターのイントロだった。臭いイントロと思ったが、それでもこのアルバムの中では結構頑張ってナウいつもりを演じてみせたアレンジだったのだと、すべてを聴き終えてから気がついた次第。
すでに若くはなく、ままならぬ浮世の定めを身に染みて知ってしまった男女が場末のスナックでカラオケのマイクを握って、そのまま夜を明かそうという勢いである。
外れクジばかりを引いて生きて来た、根っから負け犬体質の二人。つまりはごく当たり前の、世界中どこにでもいる”砂のごとき大衆”の中の一人と一人。
二人は別に惚れ合った恋人って訳じゃない、たださっき別の店で知り合って、妙に気が合うのを感じてこの店に流れ、互いの知っている曲を探り合いながらヤケクソのごときノリで歌い続けている。夕刻から降り始めたしのつく雨は、いまだ店の窓ガラスを濡らし、夜半に至っても止む気配もない。
あのですね、さっきから臭い文章ばかり書いているとお感じになるかも知れませんが、いや、このCDを聴きながら書いていると、どうしてもこういう文章になっちゃうの。そういう音楽なのだとご理解ください。
ことに4曲目辺りからもう、これでもかと言わんばかりのド演歌が連発なので、その辺が苦手の人にはダメですな、これ。それも、もう日本では聴けなくなってしまったような昭和30年代調の古臭いド演歌。スルメ臭い屋台で流し込む二級酒の味わい。
コミックソング集では?と言う初期の期待は裏切られてしまったけれど、この”着古した肌着に袖を通す”みたいな感触は悪くない。
”生きていてもどうもこの先、ろくな事はないかも知れないな”と、”でも、何とかここまでやって来たじゃないか”の狭間で、何とかつじつまを合わせて生きて行く庶民の哀感が、降り止まぬ雨のようにすべてをしっとりと濡らす、古ぼけた盛り場の一叙景。その雨にこちらも濡れたまま、幸せにする事の出来なかった人のことなど思い出してみるのも、また。
それにしても台湾て所は、こんな古臭いド演歌のアルバムをいまだ新譜としてリリースし続けているんだねえ。日本の演歌関係者は、こんなの聞いたらどう感じるのだろう?昔の日本の演歌の圧倒的影響下にある”外国の音楽”の現状を。
昔メカケが勝手に生んでしまった子どもの成人した姿に、予期せぬ時と所でふと出くわしてしまった、みたいな気分になるんじゃあるまいか?