”芭蕉布~普久原恒勇作品集~
沖縄大衆音楽界の誇る大物作曲家、普久原恒勇氏の作品集である。
この人の名は田端義夫氏のアルバム、”島唄2”で覚えた。そこに収められていた、普久原恒勇のペンになる2曲が、アルバムを聞き返すうちに段々気になってきたのだった。
何しろその2曲、まったく作風が違う。かたや、スイングジャズ調と言って良いのか、明るい曲調で沖縄賛歌を謳い上げる”泡盛の島(こちらのアルバムには「うるま島」の名で収録)”、もう一曲はコテコテの音頭調島唄といいたい”南国育ち”である。
こちらがイメージする沖縄音楽のイメージを完全に裏切ってのクロマチックの音階、そこに含まれる湿度もほぼ0パーセント、明るく弾むメロディを持つ”泡盛の島”には、「へえ、沖縄にはこんなにも早くから”洋楽風”なポップスを書く作曲家が存在していたのか」と、まだ喜納昌吉あたりからしか沖縄を知らなかった頃の当方としては、認識を新たにさせられたのだった。
が、後者、”南国育ち”は島グチ混じりの歌詞を持つ、一杯機嫌の手拍子が似合う、昔ながらの気のおけない宴会ソング風のメロディである。なんなんだこいつは?一人で伝統の破壊者と守護者の役を演じているじゃないか。
その後、沖縄音楽のCDをあれこれ聴き進むうちに、作曲家・普久原恒勇の作品にあちらでもこちらにも、と言う感じで出会う事になり、そこには沖縄における大ヒット曲と言える作品も少なからずあって、ますます彼の事が気になってきたのだった。
やはり作風の幅は相当に広く、沖縄音楽を意識的に聴き始めたばかりの者には古くから伝わる民謡としか聞こえない曲があるかと思えば、”うるま島(泡盛の島)”の線の、爽やかなジャズ・コーラスのアレンジが似合う曲もあり、といった具合。その他、調べてみれば交響曲の作曲をするかと思えば、三線の教則レコードまで出しているようだ。
その全貌と言うか正体を知りたくなり、探し当てて手に入れたのがこのアルバムという次第である。
普久原恒勇は1932年の生まれ、家業は沖縄音楽専門レーベルである”マルフクレコード”だったというから、これはもうかなわない、と頭を下げるしかないみたいに思える。そして、幼い頃から専門的な音楽の教育も受けていたようだが、ご本人は音楽の道にはさほど興味がなく、はじめは写真家を目指していたようだ。西洋音楽に興味はあったが沖縄音楽にはさほど興味はなかった、などと余裕のスルーぶり。
いやあ、こういうとんでもない仕事をやり遂げる人の経歴なんてものはこんなものだよね。意識することもなしに身に付けてしまっていたんだろうか。あの幅広い活動を可能とする知識とか感覚と言うものは。
このアルバムは普久原恒勇の作品のうちでも、革新的なアレンジがほどこされたものを主に集めているとの事で、聴き進めばなんとも目くるめく音楽的冒険の数々に出会うことが出来る。あるいはボサノバ・ギターと三線が絡み合う中から歌い出される伝統的島唄のメロディがあり、ジョン・レノンの”ラブ”に共鳴する形で書き下ろされた唄があれば、古い八重山の民謡を分解構成させた実験作もあり。
私を驚かせた”沖縄ジャズポップ”調の曲は1960年代、沖縄の新しい歌を作ろうという運動に呼応する形で生み出されたもののようだ。
素晴らしいのは、それらすべてがあくまでも片々たる大衆と共に生きる者の感性から歌い出されている点であり、民衆を離れた実験室の学者の御作品となってはいない点である。複雑な実験は行なわれてはいても、その魂は無名の市井生活者のポジションから外れることなく、いつでも彼らと酒を飲み交わしながら歌いだせる人懐こさを失うことがないのだ。
この文章を書くためにあれこれ調べていて知った事。彼の、もっと知られている作品といっていいだろう、”芭蕉布”という美しいワルツがあるが、この曲は元々は1965年、ハワイの日系三世の歌手、クララ新川のために英語詞を付けられた形で生み出されたそうな。活動のスケールもでかいなあ。
その後、日本語詞が付けられて日本のあちこちで歌い出され、ついには東京は新宿の歌声喫茶「灯」で”50年間に歌われた曲”のベスト2になったという話にも驚く。私はこうして沖縄音楽のCDなど聴き出す以前にはこの曲、耳にした記憶がないのだが。
この”芭蕉布”って、沖縄っぽいところがないようである、みたいな微妙なメロディ展開も面白く、良い曲と思う。気に入っている。
ところでこの曲、女性ばかりが録音しているみたいだが、男性が歌ったら変なニュアンスが出てしまうのだろうか?ちょっと気になるんで、ご存知の方、ご教示ください。ときどき、ギターを弾いて唄っているんでね。
それにしても、こんな人こそ何枚組みかの作品集を出して欲しく思うんですがね、レコード会社のみなさん。