ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

門口の芸、街頭の芸の面影

2007-01-16 02:46:05 | いわゆる日記

 月曜日の”徹子の部屋”に俳優の小沢昭一が「漫才」ではなくもっと古い門付け芸である「万歳」の衣装を身にまとって出演していた。かっては正月ごとに家々の戸口に現われては新年の寿ぎなど行なって”ご祝儀”を持っていった、万歳や獅子舞などの思い出を語っていた。

 そういえば、私にも幼い頃の記憶に、そんな門付け芸人たちのかすかな面影が残っている。ほんの幼い頃の記憶なので、定かなものはあまりないのだが。
 万歳がやって来た記憶はないのだが、獅子舞は、毎年やって来ていたように記憶している。二人組でやって来て、我が家の玄関で派手に舞い踊ったはずだ。そんな芸人連中の発するエネルギッシュな、というより荒々しいと言ってよいような雰囲気に飲まれ、芸の物珍しさに気が惹かれはするものの、ちょっと引いて見ていた覚えがある。

 後で街に出ると、表通りで二組の獅子舞が見物人の輪の中で”ショー”と言いたいような規模の芸を披露していた。街の人々も、物珍しさに惹かれはするが、なんとなくいけないものを見るような、微妙な間合いで見つめていた。

 一体彼らはどこからやってきていたのか。私は、木枯らしの吹き抜ける街の周囲に広がる山々のそのまた向こう、なんて漠然としたイメージを抱いてはいたが。もう少し年端が行くようになると、「あれはヤクザの人がやっているんだ」などと予想したが、それも当たっているのかどうか。

 同じように街の通りで”蝦蟇の油売り”の芸も見た記憶があるが、あれは特に正月ではなかったかも知れない。例の、「一枚が二枚、二枚が四枚」と切れ味を試した日本刀で自分の腕を切りつけ、「ほーら、こんな傷もこの蝦蟇の油軟膏を塗れば、ピタリと治る」とか言って怪しげな薬を売りつける。これは正月の獅子舞や万歳とは別系統の芸であるのか。

 私が特に気に入っていた街角の芸は、龍の絵描きだった。書道に使う筆で紙の上にスラスラと達者に龍の絵を描いて、その場で売っていた。いや。とは言ってもあのようなものが、どれほど売れたものか?龍の絵は出世を象徴する縁起物としての価値はあったろうが、商売として成立するほどの売れ行きはあったのだろうか?
 ともあれ私はその芸人がやって来ると、その見事な筆使いに見入って飽きる事がなかった。特に、筆をグイグイと紙に押し付けて龍の鱗に覆われた皮膚を表現して行く辺りが素晴らしく、何とか真似して同じ絵を描けないかと思ったのだが、もちろん、そうは行かなかった。

 沖浦 和光氏の「日本民衆文化の原郷―被差別の民俗と芸能」という本に、被差別の人々が困窮する暮らしのせめてもの足しとするために、そのような芸を行なう次第など記述されているのだが、そうなると私の”門付け芸人=ヤクザ視”は、とんだ言いがかりとなってしまうが。とはいえ、私の育った地方は近隣にそのような被差別の集落などがあったとは聞いていないし、どのような人々であったのかは、やはり曖昧なままだ。

 その後。私が小学校の高学年に至る頃だったろうか、ある年、やはり獅子舞がやってきたのだが、例年と違ってそれは獅子の被り物を手に持った一人だけの舞い手だった。その態度もいつもの「お祝いさせていただきます」みたいな、一応は謙虚な姿勢ではなく、どことなく「一人だが、文句あるか?」みたいな険悪なものがあった。
 そして彼は、祝儀を受け取ると獅子の頭を被る事もせずに、それをただ二度ほど手先で振り回しただけで、「はい、おめでとうございました」とだけ言って玄関を出て行った。

 あれ、ずいぶん手抜きだな、と私は子供心に呆れつつ、ふと「もうこれで正月に獅子舞が来たりはしなくなるんだろうなあ」などと思ったものだった。
 特に根拠もなくそう考えただけだったのだが、実際、その年を最後に正月を祝う獅子舞が街にやって来ることもなくなり、街頭の芸人たちを見ることもなくなっていった。あの頃、とうに日本は、高度経済成長に向けて走り出していた。



魅惑の島によせて

2007-01-15 04:26:19 | 南アメリカ
 ”Isla Del Encanto”by Enrique Chia

 毎度同じボヤキで恐縮だが、私はワールドミュージック・ファンながら、もっとも興味をそそられるジャンルがタンゴだったり、最愛のミュージシャンがハワイのウクレレ名人のオータサンだったりする。かっこ悪いなあ。

 逆に、サリフ・ケイタとかに興味なかったりする。そもそもセネガル・マリ方面の音に、あんまり惹かれないほうだ。こんなんじゃ、もともと数の少ないワールド物のファンの中でもさらに少数派、ほんとにゲットー内ゲットーの住民てとこだよ。

 イージー・リスニング、いわゆるムードミュージック好きってのも、決定的孤立要因(?)だろうなあ。いやもう本気でマントバーニとかが好きなの。
 そんな私であって、だからこのアルバムが日本盤で出たのは「快挙!」とは思いつつも、誰が買うんだろうなあ?と首をかしげてしまうのである。みんな、買ったらいいんだけどねえ、素晴らしいアルバムなんだから。

 ラテンの世界のイージーリスニング・ピアノの巨匠だそうである、エンリケ・チアが、プエルト・リコの音楽を取り上げたアルバム。サルサのファンには、かの音楽の故郷の島として馴染みはあるだろうけど、これはダンス・アルバムではない。

 かの音楽の島が産んだ美しいバラードばかりを集めて、あくまでもロマンティックに情感豊かに演奏したものである。というか、「我が懐かしのサン・ファン」「クチナシの香り」なんて曲名を見ているだけで嬉しくなってしまうなあ。ラファエル・エルナンデス、ペドロ・フローレスといった、19世紀末生まれのプエルトリコを代表する作曲家たちの作品群。

 まだまだ世の動きがのどかだった時代。カリブの陽を一杯に浴びて滋味豊かに育った果実みたいにふくよかな味わいを持つメロディが愛情込めて奏でられる。なんという美しい時代錯誤だろうか!
 断固支持します。ジャケに付されたプエルトリコのコロニアル風味満点の古跡の風景写真も、懐旧の情をそそる。

 この美しき恵みの島、プエルトリコのビスケス島にアメリカ海兵隊の射爆場がある。どうやらそこで劣化ウラン弾の実弾射撃訓練が行なわれている。

 その結果として、ビスケス島の住民における癌の発生率がプエルトリコ本島より異常に高いことが調査で判明し、アメリカ合衆国の”保護領”であるプエルトリコで、大きな反米運動が持ち上がった。
 が、その運動は、突然に起こったあの”9・11”の騒ぎに巻き込まれ、うやむやにされてしまった。現実は何も変わらぬままだ。

 プエルトリコの岸辺に寄せては返す波のように、懐かしい、美しいメロディは奏でられる。魅惑の島が、永遠に夢の拠り所でありますように。祈りの声を空しくさせるのは、我々の罪だろう。
 
 


マグレブ無宿

2007-01-13 04:04:44 | イスラム世界
 ”Diwan 2”by Rachid Taha

 ラシッド・タハ。フランス在住のアルジェリア人であり、80年代中盤に北アフリカの伝統音楽とパンクを融合したアラブロックバンド「カルト・ド・セジュール」のリーダーとしてフランス在住の移民たちの代弁者的存在となった。
 そんな経歴の持ち主なのだが、私はこの「カルト・ド・セジュール」のアルバムに関しては、どのような音だったのかまるで覚えていない。購入した記憶はあるのだから家のどこかにあるはずなのだが。

 いつの頃からか、いわゆるワールドミュージックの文脈で語られる音楽のうち、”どこそこの伝統音楽”とパンクの、あるいはヒップホップの、あるいは云々かんぬんの、といった異種混合の素晴らしさを売り物とした作品にまるで心が動かなくなっていた私なのだった。

 そのような”無理やり作り上げた歴史的大傑作”よりも、現地の人々が日常生活の中で空気を呼吸するようになにげなく愛しているような普通の音楽に惹かれるようになっていた私なのであって。そんな私はおそらく、カルト・ド・セジュールの”北アフリカの伝統音楽とパンクの融合”具合にもあまり馴染めず、聴くのを途中で放り出した、そんなところだったのではないか。

 で、そんな彼の新譜を聴いてみる気紛れを起こしたのは、今回のこの作品は彼がルーツの地である北アフリカの音楽にストレートに挑んだものと聞いたから。それなら”普通の音楽派”の私にも馴染めるのではないかと考えたのである。

 流れ出てきた音を、なぜかあのエンリコ・マシアスの”アラブ回帰作”と比べてしまっていた私だった。

 あのマシアスのアラブ人なりきりぶりに比べると、タハのそれは、それほどストレートな”帰郷”とはいえないようだ。その独特のだみ声も”ロックのヒーロー”のそれであって北アフリカの体温は伝わらず、むしろ移民としての彼の故郷喪失者ぶりがクローズアップされている感がある。

 彼なりの”北アフリカ風の音”を創造してみた音作りからも、ゆったりとくつろげるはずの故郷の土の上で、だが心からは馴染めずに、ここでも移民先のフランスにおける彼の立場と同じような”異邦人”であり続けるしかないタハ自身のとまどいを、どこかに感じられてならないのだ、私は。

 余計な事をやって、不用意な姿を晒してしまったのではないかな、とか嫌味なコメントを書きかけたのだが、しかし、そうしてあらわになった彼の、”見せる予定はなかったナイーブな青年ぶり”の不思議な生々しさに、妙な親近感もまた、感じ取ってしまった私なのだった。

 


夜半の一点鐘

2007-01-11 02:47:47 | ものがたり


 我が青春時代からチューネンにかけての時期といったら、ひたすら酒の海に溺れつつ、これではいかん、これではまったく無駄に限られた生の時間を浪費しているだけではないか、そもそも体が持たない、などと焦燥にかられつつも抗うすべなくまた飲んでしまうといった立派なアルコール依存症の日々を送っていたものだ。まあ、今だって我慢するすべを覚えただけで飲みたい内実はまったく変っていないのだが。

 そんな日々でも、時に休肝日とかいうものを設けなければいかんのではないかと、酒のない夜を過ごすことがあった。そもそもが生来の不眠傾向を脱したいがために夜毎の飲酒が始まったといえなくもない私なのであって、当然、そんな夜に眠りは訪れず、思い切り覚醒したまま虚しく朝を迎えてしまうこととなる。
 ベッドからカーテンの隙間越しに見えるそんな日の朝の空は、どんよりと曇った灰色の上に中途半端な朝焼けのオレンジ色が混じった、実に嫌な色をして明けていった。
 
 無為にそんな空を眺めている冬の朝など、時に遠くあるいは近く、カーンと鐘の音が響くのを聞く事が何度かあった。何かの映画の1シーンで聞いた教会の鐘の音に似ていたが、私の家の近くにそのようなものはない。鐘は常に一つ打ち鳴らされるのみで、連打される事はない。凍りつく朝の空気を震わせて一音だけ響き、消えて行く。かなりの時間を置いて最初に聞いた時とは微妙に方向違いとも思える辺りから、二つ目の鐘が鳴るのを聞く時も稀にあった。

 初めは気にもとめなかった私だが、幾度か眠れぬ休肝日の夜を過ごすうち、鐘の音の正体がだんだん気になって来た。あの鐘はなんなのだ。どこで、どのような者が、何のために鳴らしているのだ。酒なしの冬の夜の、孤独に過ぎて行く時間の手触りに、その鐘の音は妙に似つかわしくも思えて、べッドに横になり眠れぬまま、今聞えた鐘の音の正体についてあれこれ想像をめぐらすのは、ある種、マゾヒスティックな快感もあった。

 そのうち私のうちに妙な幻想が沸いた。すべてのものが寝静まった夜の街を、鐘打ち台を乗せた古びた木製の荷車を曳きながら、辻を曲がるごとにそれを一つ打ち鳴らしつつ、ゆっくりと巡って行く、奇妙な者たちの姿が。

 彼等はことごとく、頭を覆う深々とした頭巾付きの漆黒の長衣を身に纏っているので、その正体を知ることは出来ない。十人ほどのその集団を統べるのは、ただ一人鐘と共に荷車に乗った老人だけである。彼だけが長衣の頭巾を撥ね上げているので顔立ちを窺うのが可能なのだが、乱れた銀色の長髪の下のその顔は、あの懐かしい死神博士、俳優の故・天本英世氏そっくりである。かれは町の辻の決められた場所に荷車が差し掛かると、しわがれた声で「時を知れ!」「見つめよ!」などと、意味の取れない警句のようなものを叫びつつ、一つだけ鐘を打ち鳴らす。他の者たちはただ黙々と頭を垂れたまま荷車を曳いて行く。

 もし夜の街を歩いていてそのような荷車の一行を見てしまったら、彼等に悟られぬうちに逃げ出すべきである。その、荷車の男たちにとっての、おそらくは聖なる行為を目撃した者に慈悲は用意されていない。黒衣の者たちはあなたの姿を認めるが早いか、腰に挿した山刀を躊躇なく抜き放ち、あなたを捕らえ、その首を撥ねるであろう。

 酒びたりのいくつもの夜が、時たま、本当に時たまの眠れぬ休肝日を挟みながら過ぎていった。鐘の正体は分からぬままである。そのうち鐘のことも気にならなくなり、というよりまともに休肝日を設ける事もいつしか諦めてしまい、休みなきアルコールの海遊泳によって夜を浪費するようになった私は、例の鐘を聞く機会もなく、その存在も忘れてしまったのだった。

 そんなある日。深夜、良い具合に酔っ払った私は、吹き付ける木枯らしにコートの襟を合わせつつ家路をたどっていた。あと1ブロックで我が家にたどり着く、といったあたりで私は、あの鐘の音を聞いたのである。それはほんの一つ辻向こうでいつものようにカーンと一つだけ響いた。そして鐘の音の余韻が、私の歩いている道のほうにグイと方向を変える気配、そんなものを感知可能であるかどうか知らぬが、ともかく私はその時、それを感じた。

 あの荷車が辻の向こうから、今、そこの曲がり角を曲がってやって来る。道の片側で行われていた道路工事の現場を示すほの紅い警告灯の灯りが立ち並ぶその通りで、私は立ちすくんでいた。と、巨大な赤色に塗られた物体が、ゆっくりと曲がり角の向こうから姿を現した。それはどうやら消防自動車に見えた。

 私はすべてを悟った。あの鐘の音は、この消防自動車の後尾に下げられた鐘が鳴っていたのだと。おそらく、”火の用心”などを冬の夜の眠りをむさぼる市民たちに呼びかけるためにそれは、遠慮がちに鳴らされていたのだろう。私は道の隅に身を寄せ、消防車を見送った。道端の紅い警告灯の灯りに下から照らされ、消防車の運転席の乗員の顔が、まるでフェリーニの映画の登場人物のように幻想味を伴って暗闇に浮かび上がった。


ロシアのファウスト博士

2007-01-10 02:45:23 | ヨーロッパ

 ”New Faust”by Little Tragedies

 最近、一部プログレ・ファンの間で噂になっている、ロシアのプログレ=ハードのバンドの、4thアルバムだそうだ。
 古書店の奥で埃をかぶっていた”秘儀の書”みたいな装丁の本の表紙画がジャケに使われている。

 タイトルのファウストとは、あのゲーテの著した戯曲、学問への情熱のあまり魂を悪魔に売り渡したファウスト博士の物語をテーマにしたものなのだろうか。音の方はいかにもそんな感じ、暗くて重い塊が2枚組CDにぎっしり詰まって押し寄せてくる。眼前に迫るのは、ドイツの”黒い森”経由、霧のむこうのロシアの大地。陰鬱な作りの音の向こうに、さまざまな想念が浮かんでは消えて行く。

 ハードなギターがソロを取る部分もかなり多いのに、聴き終えた印象として、クラシックのオーケストラを聴き終えたような後味が残る。つまりはハードなロックながら演奏の根にはクラシカルな要素の多く占めるバンドなのだろう。
 元々はエマーソン・レイク&パーマーをアイドルとするキーボード中心のトリオとして出発したバンドだそうである。ちなみにこの作品は、トリオにギターとサックスが加わり、オーケストラが共演している。

 鬱然たるヨーロッパの歴史の闇から文豪ゲーテが紡ぎ出した、ファウスト博士の悪夢の遍歴と救済の物語にインスパイアされた作品は多い。人々が古きヨーロッパを思うときの想いの拠り代としてのフォークロアのごとき存在なのだろう。

 昔々の話になってしまうが、ソビエト連邦が崩壊した80年代末、「これからは社会の激変を体験したソ連や東欧方面から、面白い音が続々と飛び出してくるんじゃないか」などと期待したものだった。が、その時点では期待は空振りに終わった。

 それが、今ごろになって当時の期待を満たしてくれるような動きがロシア~東欧圏で出始めているような感触を得ているのだが、これは私のアンテナの張り具合がマヌケであるがゆえの勘違いだろうか?まあ、マヌケでもいいや、こんな具合に聴き応えのある作品に出会えるのをこれからも待ち続けたい。
 


グッバイ、ニューイヤー・ロックフェス

2007-01-08 04:24:03 | その他の日本の音楽

 毎度おなじみ、内田裕也氏の肝煎りで行なわれますニューイヤー・ロック・フェスティバル。今年も行なわれたようで、今、私の前のテレビが中継録画を流しています。

 昨年は、韓国や中国にも会場を設けまして、ますます国際的なロックフフェスに、と言うことだったんだけど、なんか私には日本側のミュージシャンの、韓国や中国のミュージシャンに対する先輩ぶった偉そうな態度が見苦しくて、ちょっと見ていられませんでしたね。どちらかと言えば韓国や中国のミュージシャンのほうが内容のある音楽を聞かせていただけに、なおさら。

 なーにが「中国の連中もうまくなってきたよな」だよ。ロック・ニュージシャンのくせして大日本帝国をカサに着るのかあなたがたは?
 あんな醜悪な権力志向が、"日本のロックミュージシャン"がロックから学んだものなのか?と思うと情けなくて、ロック文化そのものの敗北の証としか思えませんでした。

 さて今年は、アメリカはニューヨークのミュージシャンも出演と。ますますご盛況でご同慶の至りです、ユーヤさん。でも、「日本のロッカーが冷や飯食ってるのに外国のミュージシャンばかりを連れてきやがって」と招聘企業のに殴りこんだのは、若き日のユーヤさんでしたよね。

 なんか、今年のフェスのテーマは”反核”のようで。でもまあ、出演者がカメラとマイクを向けられて、タテマエ通りに「核には反対です」とコメントして、それで一丁上がり、程度の”テーマ提示”では、一体どれほどの社会への訴求力があるんでしょう?
 これも単に箔を付けたいからだけで"反核”の看板掲げただけのように感じられてならないんですが、偏見ですか、私の?

 フェスの音楽面ですが、毎年、70年代だか80年代だかで時の流れが止ってしまったような、カビの生えたような音楽の垂れ流しで、特に論ずべきものは見つかりませんでした。韓国勢の音にある種の新鮮さを感じる瞬間もあったのですが、それは韓国ロックシーンの歴史がまだ浅く、”使い切っていない”せいなんでしょうね。日本勢とアメリカ勢は亡霊の行進としか見えませんでした。まあ、これは大分前からだけど。

 そしてあげくは、”女子十二学房”が出てきてスマップの歌を演奏する。ユーヤさん、これってロックですか?なんて尋ねるのもヤボというものでしょうけどね。

 と言うわけで、グッバイ、ニューイヤー・ロックフェスティバル!



ハングルブルース・メッシン・アラウンド

2007-01-07 01:41:04 | アジア

 あれは”イカすバンド天国”なんて番組が受けていた頃だから、うわあ、もう20年近く前の話になってしまうのか。

 あの番組出身の”人間椅子”ってバンドがアジア音楽祭とかその種のコンサートに出演して、アジア各地のバンドと同じステージを踏んだ、なんて土産話をしているのを、私は行きつけの飲み屋のテレビで見ていたのだった。

 彼らが、その中でも印象に残ったバンドとして挙げていたのが韓国代表のバンド、”新村(シムチョン)ブルースバンド”だった。

 テレビの画面には、背中までの長髪にベルボトムのジーンズ、レスポールのギターを抱えて、という「今はいつだ?1970年代か?」ってな風体をした新村ブルースバンドの面々の写真が映し出され、彼らの曲がほんの数小節、流された。その数小節に非常に深い印象を与えられ、私はいまだにその一瞬が忘れられないのだが。

 流された曲は、いわゆるスローブルースであり、まあ”ブルースバンド”を看板に掲げた連中が演奏して何の不思議もない、むしろありがちなパターンの曲だった。具体的な例を挙げれば、”我が心のジョージア”とかエディ幡の傑作、”横浜ホンキートンク・ブルース”みたいな感じのスロー・ブルース。譜面に書けば何の変哲もない曲だったのだ。私は聴いていてコード進行の予想さえついた。

 だがその曲は、そりゃまあ韓国のバンドなのだから当たり前といえば当たり前なのだが韓国語で歌われていたのだ。そして、これは共演した人間椅子のメンバーも洩らしていた感想なのだが、その韓国語の響き一発で変哲もないブルースは、どう聴いても演歌としか思えないものに変貌を遂げていたのだった。

 んん、こりゃなんだ?と私はのけぞったのだった。

 私だってそれなりに甲羅を経た猟盤家である。これまでにもイタリア語のブルースやらスエーデン語のブルースなど、妙な代物はいくつも聴いてきたのだが、ブルースが使用言語でここまで別の音楽ジャンルの匂いを発散する結果となった例は知らない。
 ともかく、強力なハングル・パワーが、作法通りに作られているスローブルースを当たり前のような顔をしてド演歌に聞こえさせてしまっていたのだ。

 あれは一体なんだったのか?もう一度聴いてみたいのだが曲名も分からず、かなわずにいる。韓国に今も”新村ブルース”なるバンド名を掲げたグループは存在しているが、特に面白くもないフォーク系の音楽をやっている、との話も聞いた。それは、あの日私が聴いたバンドの、時の流れに流され変わり果てた姿なのか、あるいはまったく別のバンドなのか、知るすべもなし。

 ちなみに”新村”とは韓国の学生街で、日本で言えば、それこそ”御茶ノ水から駿河台~♪”みたいなニュアンスがある場所のようだ。なんて話を聞くと、ちょっと切ないものもあるんだけど。こちらも学生時代、ブルースを演奏することに夢中になっていた時期があり、学生街の楽器屋などを仲間たちとうろついていたりした過去は持ちあわせているんで。

 それにしても。もう一度、あのハングル・演歌・ブルースを聴いてみたいものだなあ。演歌に聞こえた、と言ったらバンドのメンバーは怒るんだろうか、面白がるんだろうか、興味も持たないんだろうか。



ニジェール河のサイケデリック

2007-01-06 03:10:45 | アフリカ

 ”Introducing ” by Etran Finatawa

 アフリカはサハラ砂漠のただ中に浮かぶように存在する国、ニジェール共和国の新進グループのデビュー・アルバム。
 遊牧民たちのディープ・ブルースといったところなんだろうか。いかにもハードな砂漠の暮らしに耐えつつ生きて行く人々らしい、どす黒く重たい、タフな音楽が展開されている。

 編成としては、エレクトリック・ギターが二人に民族楽器とコーラス担当が4名という折衷ものだけど、電気楽器はかの地の伝統音楽の流れに忠実に従い、音楽上の革命を起こすなんて気はないようだ。
 反復される呪術的な重みも伝わる複合リズム。土俗的歌声。エレクトリックギターも地道に反復フレーズを奏で、バンド全体が織り成す複合リズム網の一要素に終始しようとしている。

 聞いているとイメージ的に初期のシカゴ=ブルースとか、その辺を想起させる響きがある。音楽的に似ているわけじゃないんだけれど、地面から引っこ抜いてきたばかりの音楽に、荒々しく重苦しい電気ギターの響きが無理やり乱入した結果、音楽的にはイナカ当時の姿のまま、奇妙に今日的な生々しさを獲得してしまっている、その辺りが。

 その生々しさを持ってワールドミュージック最前線へ、と持ち上げたいところだが、実はひとつ注文があるのであって。
 3曲目だったかな、そこにおいてギターが、ある種サイケデリックというかニューロック的というか、そんな世界を予見させる動きをひととき、見せるのだが、それがある種の妖気を放っていて、ちょっと良い感じだったのだ。

 というか、それを聴いて「おっ!」といきり立ってしまった当方としては、その世界をもっと膨らませて欲しいのだ。こちらの血を騒がせた”サイケな予感”は、その一曲だけで収まってしまったのだが、あれ、全面展開してくれないかなあ。

 まあ、彼らがベースとしているのであろう現地の民俗音楽の、ろくな知識もない当方なのであって、まるでむちゃくちゃな要望を出しているのかも知れないが、いや、おいしかった料理は何度でもリクエストする、客としての当然の権利として、勝手な事を言わせていただく。それに、私のような物好きがもっといたとしたら、めっけものじゃないか。



ハングル・アフリーク

2007-01-04 01:39:14 | アジア

 ”Lextacy” by Lexy

 韓国ネタが続きますが・・・

 彼女、レクシーは、韓国で”2大ロング美女”とか言われてるポップスシンガー二人のうちの一人だそうです。どちらも長い足とセクシーさが売り物だそうで。ありがたいことであります。
 そんなレクシーの、これはアフリカ音楽に挑んだ最近作。とはいっても、ワールドミュージック・ファンがいきり立つ必要はないです。それほどディープなアプローチをしているわけではない。

 なんちゃってアフリカといいますか、中ジャケに豹の写真があるんですが、その首に首輪がしっかりしてあって、アフリカの大地じゃなく、ソウルかどこかの動物園で取った写真だなとモロ分かり。アルバムの含む”アフリカ性”も似たようなもの、昔の冒険マンガの中で見られたような、書き割り的アフリカ像が安易に展開されているのでありました。

 1980年、アフリカの音楽を大々的に取り入れた衝撃的なロックでスキモノを騒がせたトーキング・ヘッズのアルバム、”リメイン・イン・ライト”なんて作品がありましたが、あの音作りから芸術性と音楽的深みを抜き去り、代わりに休日の動物園の賑わいなど放り込んでみました、みたいな感じ。でも、この底の浅い書き割りワールドのチープなファンク・サウンドの楽しみ、私は別の意味で好きですね。

 こいつも一つの駄菓子屋系の気の置けない楽しみと申せましょうか。別に感動なんかに誘われないけど、ひとときのリズミックな慰謝を与えてくれるし、インテリっぽい音楽への洞察の変わりに、”セクシーなお姉さん+アフリカの野生のイメージ=もっとセクシーなお姉さん”の法則(?)が発動しまして、打ち出されるファンクサウンドとハングル・ラップのむこうに、なかなかにエッチな雰囲気が醸造されているのであります。

 そんな訳で。
 以前、タモリがテレビで「我々は豹を見ても別にセクシーと感じないのに、豹柄の服を着ている女性はセクシーに感ずる。これは一体、どういうわけだろう?」なんて疑問を口にしていました。
 このアルバムを聞いていると、豹柄のミニドレスを身に付けてステージで腰を振り倒して歌っている”ロング美女”レクシー嬢の姿など浮かんできまして、このタモリの疑問に対する回答が容易に見つけられそうな気がしてくるんでありました。



痛快トロット・アイドル、ノユニ

2007-01-03 00:34:57 | アジア
 ”Love Always Finds a Reason” by NOYUNI

 ノユニ、と読むのでしょうかね、韓国の新人女性歌手のミニ・アルバムです。鮮やかな赤を基調にしたジャケに、ノユニの清楚そうな写真が掲げられ、英語のアルバム・タイトルが記されています。

 こんなのを見たら、さぞ純情なアイドル・ポップスが収められているんだろうと思いますが、聴いてみるとこれがノリノリのディスコ・サウンドに乗って歌われる、韓国で言うところのトロット、つまりはド演歌なんだから驚いたしまう。しかも、すべてアップテンポ。

 ドスンドスンと打ち込まれる快調なリズムと男性コーラスによる豪放な掛け声を従えて、凛々しいを通り越していっそ雄雄しいと表現したくなるノユニの力強い歌声が韓国演歌特有の塩辛いメロディをドーン!と歌い上げます。まあ、えげつない世界ですなあ。あ、これはもちろん、誉めて言ってるんですが。

 このジャケの清純イメージとの落差がほんとに楽しくて、誰彼かまわずつかまえて聞かせてみたくなってしまうんだけど、この時点ですでにこちらの脳内がトロット乗りに感化されてしまっている可能性大。

 注意して聞いてみると、バックのギターなんかも憑かれたように”正調ヘビメタ演歌の世界”みたいな異種混合プレイに没頭しまくりで、それのみに注意を払って聞いていても十分楽しい。この辺のやり過ぎの激走魂が韓国大衆音楽の醍醐味でありましょうなあ。

 ジャケと収められている音楽の落差に妙に受けてしまったのだけれど、韓国の人にしてみれば「何が不思議なの?」ってなものなのかなあ。清純そうな女の子が腹の底からハスキーボイスをゴリゴリに押し出して演歌を怒鳴り上げる。何がおかしいの。普通じゃん。・・・うん、そうかもなあ。

 冬の夜、日本とは一段深さの違う寒波に覆われたソウルの街で、唐辛子のきっちり利いた食べ物を腹に収め、きつめの酒に酔う。そんな、かの地の平均的市民生活には、こんな豪放な”アイドル”も似合いかも知れないのであります。

 それにしても、これが5曲(プラス・カラオケ3曲)入りのミニ・アルバムであるのが残念でならない。フルアルバムだったら、年間ベスト10とかに選出してみるのも痛快だったろうになあ。