あれは”イカすバンド天国”なんて番組が受けていた頃だから、うわあ、もう20年近く前の話になってしまうのか。
あの番組出身の”人間椅子”ってバンドがアジア音楽祭とかその種のコンサートに出演して、アジア各地のバンドと同じステージを踏んだ、なんて土産話をしているのを、私は行きつけの飲み屋のテレビで見ていたのだった。
彼らが、その中でも印象に残ったバンドとして挙げていたのが韓国代表のバンド、”新村(シムチョン)ブルースバンド”だった。
テレビの画面には、背中までの長髪にベルボトムのジーンズ、レスポールのギターを抱えて、という「今はいつだ?1970年代か?」ってな風体をした新村ブルースバンドの面々の写真が映し出され、彼らの曲がほんの数小節、流された。その数小節に非常に深い印象を与えられ、私はいまだにその一瞬が忘れられないのだが。
流された曲は、いわゆるスローブルースであり、まあ”ブルースバンド”を看板に掲げた連中が演奏して何の不思議もない、むしろありがちなパターンの曲だった。具体的な例を挙げれば、”我が心のジョージア”とかエディ幡の傑作、”横浜ホンキートンク・ブルース”みたいな感じのスロー・ブルース。譜面に書けば何の変哲もない曲だったのだ。私は聴いていてコード進行の予想さえついた。
だがその曲は、そりゃまあ韓国のバンドなのだから当たり前といえば当たり前なのだが韓国語で歌われていたのだ。そして、これは共演した人間椅子のメンバーも洩らしていた感想なのだが、その韓国語の響き一発で変哲もないブルースは、どう聴いても演歌としか思えないものに変貌を遂げていたのだった。
んん、こりゃなんだ?と私はのけぞったのだった。
私だってそれなりに甲羅を経た猟盤家である。これまでにもイタリア語のブルースやらスエーデン語のブルースなど、妙な代物はいくつも聴いてきたのだが、ブルースが使用言語でここまで別の音楽ジャンルの匂いを発散する結果となった例は知らない。
ともかく、強力なハングル・パワーが、作法通りに作られているスローブルースを当たり前のような顔をしてド演歌に聞こえさせてしまっていたのだ。
あれは一体なんだったのか?もう一度聴いてみたいのだが曲名も分からず、かなわずにいる。韓国に今も”新村ブルース”なるバンド名を掲げたグループは存在しているが、特に面白くもないフォーク系の音楽をやっている、との話も聞いた。それは、あの日私が聴いたバンドの、時の流れに流され変わり果てた姿なのか、あるいはまったく別のバンドなのか、知るすべもなし。
ちなみに”新村”とは韓国の学生街で、日本で言えば、それこそ”御茶ノ水から駿河台~♪”みたいなニュアンスがある場所のようだ。なんて話を聞くと、ちょっと切ないものもあるんだけど。こちらも学生時代、ブルースを演奏することに夢中になっていた時期があり、学生街の楽器屋などを仲間たちとうろついていたりした過去は持ちあわせているんで。
それにしても。もう一度、あのハングル・演歌・ブルースを聴いてみたいものだなあ。演歌に聞こえた、と言ったらバンドのメンバーは怒るんだろうか、面白がるんだろうか、興味も持たないんだろうか。