ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

春、イタリア、ペリー・コモ

2008-05-01 02:58:28 | 北アメリカ


 ”Perry Como In Italy ”by Perry Como

 同級生のYが亡くなったという話を書いてから、早いものでもう一月以上が経ってしまった。
 先日、町内会の仕事でYの兄の息子、つまりYの甥にあたる者と一緒になったのだが、彼は町内の青年会の長である人物に「子どもたちも増えてきたんで、町内の”子ども会”を再開しようかと思う」なんて相談を持ちかけていた。なるほどなあ、歳月が行くとはつまりそういうことなのか。

 不景気から街を離れる者も多く、我が町内も住人が減る一方である。子供の数も当然少なくなり町内の子供たちの親睦会である”子ども会”も解散状態だったのが、気が付いてみると町に居残った若干の若者連中の間で子供をもうける者も出始め、いつの間にか町内の子ども会の再興も可能になっていたという訳だ。

 いろいろ思い出を置いて早々と逝ってしまう者あれば、新しく人生に踏み出す者もおり、人々の暮らしは続いて行く。冬が終わればまた春が巡ってくる。なるほどなあ。

 母の心臓の不整脈が軽いドライブに連れて行くと収まると分かってから、時間を見つけては母を車に乗せ、我が町の周縁部に広がる、海を見下ろす別荘地帯などを走っているのだが、そのあたりは今年二度目の春(?)が満開となっている。
 つまり、そのあたりをもう1月の末頃から彩っていた早咲きの桜が散った後、今度はその隣あたりに植えられた遅咲きの桜が今頃、満開となっているのだ。

 年々、この連係プレーが見事に繋がるようになっている感じで、一旦葉桜になった木々が一月足らずで蘇り、もう一度花を咲かせたような錯覚がある。再び桜の花びらでピンク色に染まった山道を車を転がして行くと、春は永遠に続いて行くような錯覚まで覚える。

 アメリカのポピュラー界で長いこと人気を保った、ソフトな歌い口の歌手、ペリー・コモが1966年に世に問うたアルバム、”イタリアの思い出”などは、そんなドライブの際に軽く流しておくとまさに心地良い音楽だ。
 イタリアの血を引く彼が自らのルーツを振り返り、イタリアの民謡や映画主題歌などを集めて歌ったアルバムである。

 何の気負いもなくただ楽しげに父祖の地を思い、歌い馴染んだメロディを歌いついで行く。その歌声は、特に春をテーマに作られた作品でもないのに、毎年、この季節になると聴き返したくてたまらなくなる心地良いトキメキに満たされている。

 イタリアの血が通うメロディというのは、そんな具合に春という季節に実によく似合う。イタリアの人々は、人類の脳の春を享受する部位に共鳴する旋律をこっそり探り当てたのではあるまいか、などとも疑ってみる。

 そういえば我が家のガレージに、いつの間にか例年の如くツバメが巣を作っていた。今日、車を出そうとして、巣から飛び出してきたツバメと鉢合わせしそうになった私である。
 あの連中も毎年、見事に同じ場所に巣を作るが、同じ血筋のものが毎年やってきていて親子代々の申し合わせでそうなっているのか、それともただ連中の本能が安全を求めてそのような場所の選択をしているのか。

 ともあれ。気がつけば光も眩しく、うかうかしているとこのまま夏になってしまいかねない今日この頃である。

”Perry Como In Italy ”
RCA VICTOR LSP-3608 ( TPRS-4219/20 )
May 9 - 19, 1966

Side 1
Souvenir d'Italie
Oh Marie
Cominciamo ad amarci
Love Theme from "La Strada" ( Traveling Down a Lonely Road )
Forget Domani
Anema e core

Side 2
Un giorno dopo l'altro ( One Day is Like Another )
Santa Lucia
E Lei ( To You )
Toselli's Serenade ( Dreams and Memories )
O Marenariello
Arrivederci Roma ( Goodbye to Rome )


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