”See See Rider”by Eric Burdon & Animals
ネット上の知り合いのE+Opさんがアニマルズの歌っていた”シーシー・ライダー”に関する話を書いておられた。何だか便乗したくなって来たので、下のようなものを書いてみた次第である。私のものはE+Opさんのそれと違って、なんの含蓄も資料的価値もないのだが。
シーシー・ライダー。私はこの曲に最初、アニマルズ盤で接した。だから私にとってこの曲の”正しい演奏”はアニマルズのものである。
ヒラヒラしたオルガンのフレーズをまとわり付かせながら、ドスドスと重いリズムが遠くから、まるで特撮映画における恐竜の接近音みたいに近付いてくる。エリック・バートンのヤクザな叫びが重なる。やあ、いいな、いいな。
間奏の、ヒルトン・バレンタインのキンキンとアタマの芯に響く硬質な、やかましいギター・ソロもはた迷惑でザマミロ気分に心地良くなれた。意味の分らない文章だろうが、まあヘビメタ聴いている青少年のような心境だったわけだ。
ストーンズの場合は”海の向こうのロンドンの不良”だったのだが、アニマルズの不良っぽさはどこか演歌に通ずるような垢抜けなさがあり、そこがカッコ悪くもあり親しみやすくも感じられていた。ゆえに、好んで聴いてはいたがあまり自慢の出来る趣味とは思っていなかった。
プロのミュージシャンでも”アニマルズ好き”を表明していた奴なんて故・鈴木ヒロミツくらいしかいなかったろう。人気はあったバンドだから、もっと支持者がいてもおかしくないんだが。
確かこの曲の前にヒットした”孤独の叫び”って唄は、アメリカ南部の刑務所の労働歌を集めた録音テープから見つけてきた曲の切片をメンバーがアレンジしたもの、と聞いていた。(後にグランド・ファンクがカバーした奴だ)この曲だってルーツを辿ればアメリカ大衆音楽の相当な深みに至る。
でもそんなことには気が廻らずに、単なるポップスとして受け止めて浮かれていたのが神話時代の60年代だ。若く純粋な日々。曲の背景を知る楽しみを見出すのを、智恵の実を食べてエデンの園を追われたアダムとイブに例えたら見当ハズレか?
高校受験の時、私は休み時間に同じ中学からその高校を受けに来た連中と、手拍子打ちながら、何度も何度も”シーシー・ライダー”を歌っていたのを思い出す。
何が面白かったのか、ゲラゲラ笑いながら歌っていた、何度も何度も。
私たちのほぼ全員にとってその高校は滑り止めであり、たとえ受かろうとこんな学校に入ってやるもんか、アホと思われるじゃないか、とバカにし切っていた。
結果。その場にいた者のほとんどはその高校ではなく、第一志望校に入れたのだが、皆、入った高校の校風に馴染めず落ちこぼれ、非行化するか自閉した。私を含めて。
やはりロックは悪魔の音楽と思う。よく分らない結論だが。