ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

こりん星の面影を台湾に探る

2010-01-09 03:40:03 | アジア

 ”MY CHINESE LOVER”by 左安々

 台湾のポップスについて調べていたら、左安々なんて懐かしい名前に出会い、おおおお、元気でやっていたのかあ、などと同窓会気分になってしまったのだった。
 左安々といえば、私がアジアのポップスを聴き始めた頃に台湾でアイドル歌手としてデビューした、確かシンガポールの華人社会出身の少女だった。当時、私は彼女のデビュー曲、”MY CHINESE LOVER”のビデオ・クリップを見て、一発で彼女のファンになってしまったのだった。

 その、擬古調中国歌謡とでもいうのか、わざと古めかしく作られたメロディがいかにも似合いのなんともうららかな歌声がなごめたし、そのルックスも、どこかポヤンと回転数の遅れる感じがのどかでよろしかった。
 つまり彼女、今にして思えば台湾版の小倉優子とでも言いたくなるような個性だったのだが、この話は10数年前に遡るのであって、左安々のほうがゆうこりんより先輩なのである。
 当時、さっそく左安々のアルバムなど集めてみたものだ。声が半分、ただの息となって漏れ出てしまうような発声法(意味が分るだろうか?)も、いかにも正統派アイドルらしい頼りなさで、ジャケ写真で野原の雑草の下でカエルと並んで雨宿り、なんてこりん星的メルヘン意匠も楽しめた。

 が、そのうちこちらの感性がもう少しディープな民俗派ポップスを欲するようになって来た。左安々への興味はひとまずこっちへ置いといて台湾演歌でも聴こうか、などとしているうちに彼女のことはすっかり忘れてしまい、気が付けば彼女の噂もさっぱり聞かなくなっていたのだった。
 アルバムのリリースもなくなっていたし、現地生活の長い音楽リサーチャー氏に尋ねてみても、「左安々?どうしてるんでしょうね?」という始末。まあ、彼女のことは忘れてしまうしかなかったのである。

 で、10数年の歳月を挟んで見つけた左安々の消息を、中国語の記事から読める漢字を拾いつつ解読してみると、どうやら彼女はアイドル歌手としてはさほどのものでもないキャリアを経て裏方の仕事と言うか、アイドルの歌う曲を作曲する側に廻っていたようだ。有名どころでは台湾のアイドルグループである S.H.E の楽曲のいくつかは左安々の仕事であったようだ。
 いろいろ検索してみると、すっかり貫禄を増した左安々が”作曲家の先生”然としてゲストで登場して来るテレビ番組の映像などあり、そうそうそうなんだよ、この女とは昔、いろいろあってね、うん、元気そうだ。幸せでいてくれたらいいんだけどねえ、などと知った風な事を言って感慨にふけってみたりするのであった。くだらねーなー。

 うん、まあそれだけの話なんだけどね、それにしてもいい曲だった、いいビデオ・クリップだったねえ、”MY CHINESE LOVER”は。

 ”MY CHINESE LOVER”の試聴はYou-tubeにはなく、またやっと見つけたこれも音楽だけで映像は失われており、関係ないアニメなど付けられている。映像を使えない事情でもあるのか、残念なことである。
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 ●試聴・”MY CHINESE LOVER”