ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

スコットランドに秋は沈む

2008-10-21 01:26:25 | ヨーロッパ


 ”Stubhal”by James Graham

 どうも浮世の雑事というのですか、いろいろつまんない事に関わらざるを得ない日々が続いています。本来なら今が一番好きな季節なんですがねえ、そいつを落ち着いて満喫出来ないのが残念です。小旅行の一つにも行くあてもなし、と。

 もっとも、古い歌人が”目にはさやかに見えねども”と詠ったような静かで深い秋の訪れなんてものはもう、昔の思い出の中にしかないようです。この頃の季節の移り変わりようと言ったら、昨日、夏の酷暑に音をあげていたと思ったら翌日には木枯しの気配に震えながら街を行く、なんて具合で。
 なんだか四季の中で真夏と真冬ばかりが生き残り、春や秋といった穏やかな季節はどこかへ吹き飛ばされてしまったみたいだ。これもあの、地球温暖化とか言う奴の影がさしているんですかね?

 こんな時代に、何か遠くの方で聞き取れないほど静かで、でも深いものがシンと一つ音を立てて地面に沈んで行く、染み渡る、そんな風に秋が橋頭堡を築く気配にある日ある時にふと気が付く、あの秋の醍醐味を取り戻す方策はないものだろうか?
 と言うわけで今夜はスコティッシュ・トラッドの盤など取り出してみたわけです。秋はスコットランド、そりゃそうだよなあ。”James Graham”なる、現地であればどこにでもいくらでもいそうな名前の青年のアルバム。

 ジャケ写真には、「今どき、こんな奴、いるのかよ」などとからかいたくなる様な地味で垢抜けない印象を与える”スコットランドの田舎の青年”の横顔が写っています。なんか、セピア色に着色して「戦前のトラッド歌手の写真」とか嘘をついても通りそう。
 ジャケ裏の解説によれば、英国BBCラジオが主催したスコットランドの若いトラッド・ミュージシャンの大会における2004年度の優勝者だそうな。

 盤を廻してみると、まるで良質のクリームみたいな柔らかで芳醇な高音が、澄み切ったスコットランド高原のメロディを歌い始めます。あ、この歌い口の甘さは、スコットランド民謡界の偉大なる先達、マイク・マコーマックなんかの流れを引いているのかな、などと想像されます。
 この強力な洗練の具合。素朴な田舎の青年なんかじゃないよ、こいつは。いや、田舎の青年には違いないんだろうけど、こんなに妖しい民謡歌唱のテクニックを若くして操りきるなんて、相当にクセモノの表現者としか思えない。

 全曲、例のケルト民族の残していった不思議な響きの言葉、”ゲール語”の歌詞を持った曲です。そいつがJames Grahamの甘い声で静かに歌い出されると、太古の幻想が遠い霧の向こうに浮ぶ、みたいな独特の幻想味が醸し出され、これはたまりませんな。
 伴奏は、邪魔にならないように配慮したかのような遠慮深さでピアノやチェロが軽く絡む程度で、ほとんど無伴奏に近い感触。これは良い判断ですな。おかげでアルバム全体が淡い彩色のなされたガラスを通して世界を見る、みたいな淡い幻想味で統一されました。

 ああ時は秋。スコットランドに行きたしと思えども、って奴ですな。それにしても、James Grahamはこの次のアルバムとか出していないんだろうか。このアルバムはコンテストの優勝記念に過ぎなくて、唄に関してはアマチュアに徹するつもり、とかそんなんだろうか?
 James Grahamの歌唱による、この秋の国からの便りをもう何通でもいいから、今後も受け取りたく思うんだけど。