ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

エイモスの陽だまり

2008-10-12 02:11:59 | 北アメリカ


 ”Get Way Back : A Tribute to Percy Mayfield ”by Amos Garrett

 エイモスと言えば、私なんかの世代にはちょっとした伝説のギター弾きで。
 あの頃。というのは70年代の初め頃の話なんだけど。
 あの頃、私小説系フォーク歌手とでも言えばいいのか、髭面でフォークギターを抱えて、放浪とか孤独なんかについてのパーソナルな歌を歌うシンガー・ソングライターたちの音楽がちょっとしたブームだった。

 で、皆は誰も聴いたことのないようなマイナーな歌手のアルバムを”幻の名盤”と噂しあい、探し回ったりしていたものだった。
 そして、そんな”幻の名盤”にやたらと参加してギターを弾きまくり、伝説の名手の呼び名をほしいままにしていたのがエイモスだった。
 ”通好み”の激渋歌手連中に彼のギターのプレイがことのほか好まれたのか、それともエイモスをゲストに迎えてアルバムを吹き込めば自身の作品が伝説化すると歌手連中が考えたのか。ってのは後になって思いついたジョークだが。

 実際、そんな事情をとっぱずして聴いてみても、エイモスのギターはユニークだった。ブルースの弾き方が根っこにありそうだなとまでは想像がつくものの、彼の奏でる間奏のフレーズはどこから発想を得たのかと唖然とするような奇天烈な音の選び方をしていて、ヒラヒラと舞うその音は、まるで天上の音楽が降ってきたような、カラフルな”極楽”のイメージがあった。どこからあんな音の選び方を思いついたのだろう。そういえば”星空ギター”なんて呼び名もあったなあ。

 その後。時代はさまざまに変わってもエイモスはマイペースのまま、地味な歌手たちの後ろで不思議な味わいのギターを奏で続けて来た。
 その間、来日した彼のプレイに直に触れる機会もあり、それまで気ままなアドリブと思ったそのプレイが、実はきっちりと構成が考えられた”演奏”であることや、彼は実は左利きであり、が、左利きの人がよくやるようにギターを逆に構えたりせず、普通に抱えていること、高校時代に吹いていたジャズ・トロンボーンから多くの演奏上のヒントを得た、などという事を知ったりもした。

 ・・・どうも、穏やかな性格の職人的ギター引きである彼の話を書いてみても、あんまり劇的な盛り上がりと言うものがないが。
 エイモスは人のバックでギターを弾くだけでなく、自分名義のアルバムも何枚か出して来ていて、これはその最新作。彼がこれまでも何度かその作品を取り上げてきている、リズム&ブルースの歌手であり作曲家である、Percy Mayfieldへのトリビュート・アルバムである。

 今、ジャケの解説を読んでいてそのPercy Mayfieldが、昔、レイ・チャールスの唄でヒットした”旅立てジャック”の作者であると知り驚いているのだが、とりあえず私は、Percy Mayfield自身の唄は聴いたことがない。と思うんだが、どこかで知らずに耳にしているのかも知れない。
 このアルバムを聴く限りでは、Percy Mayfieldとは渋くて味わい深い作風のR&B作家、との印象を受けるが、それはエイモスが歌い、演奏しているからそんな感じになっているので、Percy Mayfieldご本人は、もっと生々しいパフォーマーだったのではないか、なんて気もする。

 それはともかく。このアルバムの5曲目に”The Country”って唄が入っているのだが、こいつが、ままならない人生のさまざまな局面を経験して来た、もう若くはない一人の男が故郷に還り木漏れ日の中を散歩している、みたいな風景が浮かんでくる曲で(曲内容は、必ずしもそのようなものではないのだが)これを聴いているうちに、エイモスはPercy Mayfield作の曲ばかり取り上げたこのアルバムを作ることで、心の故郷に還ったのではないかなあ、なんて思えてくるのだった。

 ジャケ写真を見れば、70年代、私がはじめてエイモスを知った頃の素朴なカナダのギター弾き青年の面影は遠く、頭髪も白くなり、かつ後ろに後退し、顔には皺が刻まれ、もうすっかり”老人”と化した男が一人、穏やかな笑みをたたえている。

 収められているのは、安らぎに満ちた唄と演奏。ギターのフレーズはやはり不思議の面影が漂うものだが、かってのように奇天烈な響きはない。そのようなプレイが出来なくなったのではない、する必要がなくなった、そんな感じの”普通さ”に満たされている。
 ああ、逆に言えばエイモスにも彼なりの”若さゆえの野望”なんてものがあったのだろうな、なんて当たり前のことに気がつき、微笑ましいものを感じたりする。

 こんな風に森の木立の日差しの中を自分なりに歩いて行く。それだけのこと。