ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

「カリブ諸島の手がかり」を読む

2008-10-08 05:11:56 | その他の評論


 「カリブ諸島の手がかり」(T・S・ストリブリング著、河出書房新社・刊)を読む。80年も前に書かれ、忘れられていたミステリー小説である。
 なんでもミステリー界の巨人、エラリー・クイーンがひそかに贔屓にしていた作品とかで、音楽の世界で言えばこの一冊、通にのみ評判の高かった地味な名盤がやっとCD化された、みたいなものなのだろう。

 ノンフィクションばかり読んでいて、小説はホラーものと昔のSFくらいしか読まない当方が柄にもなくそんなものに手を出したのは、それが当時のカリブ諸島を舞台にした作品だったから。
 カリブ海といえば、いつでもワールドミュージック好きを惹きつけて止まない、島ごとにカラフルに移り変わるリズムの宝庫としての”海流の中の島々”である。
 まだハイチくらいしか独立国もなく、そのほとんどがヨーロッパ諸国の植民地支配下にあった頃のカリブ諸島の生活がどのように描かれているか、非常に興味があったのだ。

 読んでみれば期待通り、さまざまな民族の文化が混交し論理と呪術が入り乱れる、大変な矛盾を孕んだ逆パラダイスともいうべき島々と人々の暮らしが、そこには描かれていた。

 当然といえば当然なのだが、当時の価値観でしかものを見ていない作家の筆は、貧困と迷信のうちにのたうつ黒人たちと、その地から搾取した富の上にふんぞり返ってにわか貴族を気取る”白人のダンナ”たちの織りなす歪んだ日々を、当たり前の風景として描き出す。なるほど、こんな具合だったのか。
 そして、その日々を切り裂くように起こる、これもなんだか関節の狂ったような奇怪な犯罪。

 なんとなく行き掛りから事件の解決に当たる羽目に陥るのは、アメリカ合衆国から観光旅行にやって来た一人の心理学者。この人物がまた、颯爽たる探偵像とは程遠いドジぶりを発揮しつつ事件の謎の周りをうろつき、なにやら中途半端な謎解きの提示へと辿りつく。アンチ・ヒーローもいいところだ。
 この、”探偵小説の理想像”の裏を掻き、その意義を問うような作品のありようを、エラリー・クィーンなどは評価していたようなのだが、なにしろミステリーなど読む習慣のない身の悲しさ、どの程度ありがたいものなのか、さほどピンとは来ないのだが。

 などと言っているうち、主人公は捜査の進展にともない、カリブ社会のさらなる闇へと踏み込んで行き・・・そしてついには、「え?そんなのありかよ?」と絶句するような終幕に、読み手は遭遇することとなる。
 その衝撃に足をすくわれたその隙を突いて、小説の底にわだかまる悪夢の姿をしたカリブ社会の湿った喜怒哀楽は、妙にリアルに読み手の心に染み入り、読み手は強力な余韻を抱えて本のページを閉じることとなる。

 なるほど、ユニークな作品もあったもので。これはマニアの支持も分かるなあ。
 これでもう少し、作品の中に音楽の描写があったらねえと、いまさら遅すぎるが惜しく思う次第である。