ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

海の気配

2008-10-02 02:29:36 | いわゆる日記


 こちらに来襲するはずだった台風も、どうやら九州の沖で単なる低気圧と成り果ててしまったそうで。この数日、降ったり止んだりの雨に阻まれて中断していたウォーキングを再開することにした。

 暦が秋に変わっても、夜の海岸にはお調子者の若者たちが車を連ねてやって来ては、全裸で泳ぐ奴はいるは花火を上げるはカップルは語らうはビーチバレーに興ずるお調子者はいるは野球をやる馬鹿はいるは、といった騒ぎは続いていたのだが、さすがにこう気温が下がってきては、もう砂浜に人影はない。波打ち際に静かに波が打ち寄せるばかりである。

 海を挟んで一つだけ湾の先に浮ぶ小島の集落で燈されている灯がポツンと見えている。漁をしているのだろうか、沖合いに小さな船の明かりがいくつか揺れていた。それらの下で展開されている、見知らぬ人々の日々を思う。互いに関わりあう事もなく行き、死んで行く彼らと私。

 この気候ではいつものTシャツ&短パンでは寒いかもと思ったのだが、気合を入れて早足で歩いて行くうちに汗ばんできて、むしろちょうど良い感じである。
 季節も変わったことだし、これまでとは違うコースを歩いてみようと、そのまま海岸沿いに国道を歩いて行くことにした。道沿いの家々は早いとこ眠りについているが、意外に車の通行量は多く、深夜便のトラックとすれ違う瞬間は結構なスリルを感ずる。

 車ではそれこそ数え切れない回数、通っているこの道だが、こうして歩いてみるのは考えてみれば初めてであって、不思議な気分だ。
 同じ市内とはいっても、深夜まで酔っ払いの姿が絶えることない我が町内と、宵の口から明かりも落とし、道行く人も見かけないこのあたり。

 歩いているうち、妙に甘酸っぱい気分が湧いて来て、なんだこりゃと思ったのだが、いや、その気分がどこから湧いて来るのか実は分かっている。もしそのまま歩き続けることができれば、中学から高校にかけて、ずっと想いを寄せていた×子の家のあたりに到達するのである。
 正確な場所を知っているわけではないが、大体そのあたりらしい。いずれにせよずっと先で、普通に徒歩では行ける距離でなく、中途で引き返すしかないのだが。
 そして、彼女自身はとっくの昔に遠くの町にヨメに行き、その場所にはいないのであるが。

 彼女とは中学高校と6年間、同じ学校に通ったのだが縁がないというべきか一度も同じクラスになった事がなかった。共通の知り合いもなく、結局何の接触もないままに終わった。考えてみれば私は彼女がどんな声をしているのかさえ知らないのだった。

 道の片側に広がっているのは、墨を流したような暗く静かな夜の海である。街のネオンの輝きを反射して一晩中眠らずにいるような私の棲息地帯の海とはずいぶん趣が違い、そうか、幼少期から×子はこのような海を眺めて育って来たのかなどと思い、ふとセンチメンタルな気分になり、そうなった自分に呆れる。いったい彼女に恋していた頃から、どれほどの歳月が流れているというのだ。

 街の景色は、あの頃とはすっかり変わってしまっている。そして同窓生のうち、気の利いた連中は皆、このジリ貧の街を捨てて出て行ってしまっている。思い出のよすがとなるものなど何もありはしない。私にしてからが、事情あってこうして戻ってきてはいるが、一度は捨てた、この町なのだ。もちろん、×子が今、どのような暮らしをしているかなんて、まったく知らない。

 暗い海を見ているうちに、その気分にピッタリの歌を思い出した。といっても、歌詞も
メロディも完璧に忘れている。ただ、それを聴いたときの気分だけが記憶に残り、ああ、
ここであの唄が聴きたいなあと呟いている。実に中途半端な感傷である。

 その曲は”江ノ島エレジー”という古い演歌で、私はオリジナルの菅原都々子のものは知らず、もうずいぶん前に北島三郎がテレビで、ギター一本だけをバックに歌うのを聴いた事があるだけだ。
 過ぎ去った日々の向こうの、海沿いの街の昔の記憶、暗い海と夜闇に漂う潮の香りに関する唄である。
 いずれにせよ、青春時代に好きになった女を思い出す場面に流れて来るには、あんまり似つかわしくない代物であり、この辺のオノレの感性、どうなっているのやら。

 ああ、あの唄が思い出せればな、などと思いつつ私は、そのあたりで180度旋回し、家路を辿った。本当にこのまま歩き続けたら、×子の実家あたりまで歩いてしまうことになる。

 ともかく久しぶりに、しかもいつもより余計に歩いたのだからそのゴホウビにと、今夜は予定の日ではなかったのだが、就寝前に軽く飲んで良いことにする。
 せっかくのウォーキング、これでは体のためになっているのやら分からないが、飲みでもしなければやりきれない、なんだかさしたる理由もないままそんな整理のつかない気分になってきてしまったのだ。

 教訓。夜の散歩のコースはよく考えろ。うっかり余計な思い出に向って歩いてしまわないように。