ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

天使とギター弾き

2007-12-22 04:18:14 | 北アメリカ


 ”The Heart of the Minstrel on Christmas Day”by Harvey Reid

 日課のウォーキングは、このクソ寒い状態になっても今だ宵の口に続けていて、「馬鹿じゃねーの、こんな夜風に身をすくめながら歩くなんて健康のためにはむしろ悪いぞ、、暖かい日中に歩けば良かろうに」と自分でも思うのだが、なんとなく生活時間の流れがそんな具合になってしまっているので、どうにもならない。

 と言うわけで物好きにも寒風吹きすさぶ夜の街をウインド・ブレーカー羽織って競歩状態で歩いていると、クリスマスの電飾を飾っている家がずいぶん増えてきているのに驚かされる。以前は公の建物や水商売関係で主に飾られていたが、最近ではまったくの一般家庭でも電飾は普通に飾られるようになっているんだなあ。

 そんななか、キリスト教の教会なんて場所における電飾状況はなかなか味わい深い。「一応は飾っておきますが、世間のにわかクリスチャンと違ってこちらは”本気”なんですからね、軽薄な真似はしませんよ」とでも言いたいような、あくまでも簡素な飾り付けに終始している。それが夜闇の中、孤高の姿を屹立させているのが、逆にユーモラスに見えてきたりする。

 そういえば今日、いやもう暦の上では昨夜になってしまうのか、ともかく何時間か前に歩きながら見たのだが、カトリックの教会はいつも通り地味な電飾が輝いていたのにプロテスタントのそれでは、すべて消されていたのだった。あれって宗派により、電飾を消す日とかあったりするのかなあ?そんな深い意味はない?

 どうも私はクリスマスというのが苦手で、クリスマス商戦で儲けようとて街に景気つけの空騒ぎのクリスマス・ソングなど流れてくると、心に墨汁を流し込まれたみたいな気持ちになってくる。

 いや、「クリスチャンでもないのに、キリストの誕生日が何がめでたい」などとありがちな事を言い出す気もない。では何かといえば。その後の人生を生きてみた結果、自分は子供の頃のように無邪気にクリスマスを楽しみにするには、幻滅ばかりを心に抱え込み過ぎてしまった、というような。これだってありきたりか。

 などとブツブツ呟きながら、ひたすらクリスマスが頭上を通り過ぎるのを待つ。毎年の楽しみはただ深夜のテレビで、”明石家サンタのクリスマス”を見て、他人の不幸話に腹を抱える、そのことだけである。

 と言うわけで。アメリカの白人土俗系ギター弾き、ハーベィ・リードのクリスマス・ソング集など取り出す。

 このアルバムで取り上げられている曲は、純然たる賛美歌から大定番・”清しこの夜”を経て”赤鼻のトナカイ”みたいなお楽しみ曲、あるいはベートーベンの”喜びの歌”や”樅の木”などの周辺曲(?)など、「思いついた曲は全部弾いてみました”みたいなゴタマゼかげんが楽しい。

 リードは、ブルーグラス調と言って良いのか、豪快にスイングするフラットピッキングの切れ味も爽やかな生ギターの早弾きと、アパラチア山系で古くから愛されている小型の自動ハープや軽やかなバンジョーの演奏が看板の、つまりはアメリカン・トラディショナル・フォーク系列のプレイヤー。
 ともかく思い切りの良い演奏をするので、ほぼギター等の楽器一本、または自身の演奏の多重録音と言う出来上がりの地味さながらも、ドライブのBGMに最適だったりする。

 そんな彼の演奏するクリスマス・ソングは、素朴な庶民の祈りの心がシンプルにストレートに表出された好盤で、こうなってしまうと宗教上のあれこれは超えて、普遍的な祈りの音楽と感じられ、車をのんびり流しながら聞いていると、彼と心臓のリズムを、タイミングを共有するような、あったかい気分になってくるのだった。さしも、クリスマス嫌いの私でさえ。

 そんな次第でこの先一週間足らず、私はこのアルバムのお世話になるのであろう、今年も。