ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

日々のブルース

2007-12-18 03:52:00 | いわゆる日記


 ”Sandman”by Harry Nilsson

 知り合いのバッキンガム爺さんさんが、月曜日の通勤の不快さに引っかけて、『アイ・ドント・ライク・マ~ンデー~』なる歌について書いておられた。
 その歌は知らない。が、月曜日の、つまりは週の初めの仕事の世界に帰って行く苦痛は容易に想像がつく。こちらも3年ほど前まではその世界にいたのだし。

 その関係の歌では、私はファッツ・ドミノの”ブルー・マンディ”が親しい。もちろん、あんな50年代のR&Bをリアルタイムで聴いちゃいない、オトナになってから後追いで親しんだのだが。
 ニューオリンズ特有のまったりと撥ねる3連ビートを従えて、ファッツはピアノの鍵盤を叩きまくりながら、暖かくてちょっぴり悲しげないつもの歌を温泉気分で歌っていた。”月曜日は、月曜日は やりきれない♪”と。

 他に曜日関連の歌で印象に残っているのが、クリス・クリストファーソンが創唱した、「日曜の朝がやって来る」だなあ。”日曜の朝、俺は寂しさで死にそうになる。だって日曜の朝は人をやりきれなくさせる何かを持ってるからな”と言う奴。年を重ねるほどにリアルに心にのしかかってくる歌になって来る歌だ。
 実際、あの日曜のやりきれなさの正体ってのはなんなのだろう?本来は楽しかるべき休日なのに、どこか時間や社会の流れから置き忘れられたみたいな、灰色の孤独の影が心の底にシンと忍び寄る。

 親しい人々と愉快な休日を送っていれば、そんな事はないって?
 あなた、人生の機微と言うものを何もわかっておらんなあ。そんな楽しい時間を送っている者の心を、ふとよぎって行く、「こんな楽しい時間を送ってはいても、人間は結局は一人ぼっちだ」なんて、冷たい風のような想いについて話しているのだよ。そんなガラじゃない奴にまで、嫌でも”人生とは?”とか考えさせてしまう、そんなひとときについて。

 それからニルソンの「俺が木曜日に仕事に行きたくない訳」なんて歌もあった。あれの歌詞はどういう意味だったのかなあ?あの歌を含むアルバム、”サンドマン”が出た70年代中頃には、私はもう真面目に英語の歌の歌詞の意味を追って聴いたりしなくなっていた。自堕落に再生装置の前で飲んだくれていただけ。で、そんな自堕落な姿勢にいかにも似つかわしい、レイジーでジャズィーな歌だった。

 その歌の直前には、いかにも大学の真面目なコーラス部みたいな意匠で学生時代の思い出が歌われている。そいつが途中でぶった切られるように終わって、ニルソンのダミ声が「俺が今日、仕事に行きたくない理由は~♪」と始まる、そんな構成になっていた。
 で、これは美しかりき青春時代と、社会に出て以後、泥沼にのたうちつつの宮仕えの日々の対照の妙を皮肉な視点で歌っているのだろうなと見当はついたのだが。

 一方、英国のひねくれロックバンドのキンクスは、アルバム・”マスウェル・ヒルビリーズ”所収の”複雑な人生”なる歌の中で、医者に体調がボロボロだから体に無理をさせるなと言われたのを守り、何曜日と言わず会社に行くこと自体をやめてしまい、ベッドから起き上がることもやめてしまった男の物語を歌う。
 男はもう起き上がることもないべッドの中から部屋の窓の向こうにそびえ立つ大きなビルを日がな一日眺め、暮らす。”人生は複雑だ♪”とコーラスは繰り返される。

 そういえば、あのロシア民謡、”一週間”なる歌。”月曜日に市場に行って~♪”とかいう歌詞を、「一日がかりで風呂を沸かすのもおかしいし、それに翌日入ったって冷めてるに決まってるじゃないか」とか突っ込む人も多いが、そもそもあれはな~んにもしたくない怠け者が「この一週間、何をしていたのだ」と叱責され、苦し紛れに作り話をしている、そんな設定の歌なんだそうですね。

 ところで。経営していた店を3年前に閉じてしまい、今は副業だったはずのアパート経営で食っている私、あの歌のように”月曜日は水道局との交渉で終わり、火曜日は家賃を二世帯分集金して終わり、水曜日は五号室の合鍵を作りに行った”なんて間延びのする日々を送っております。で、クリストファーソンの歌った”休日の孤独”は連日、この身に降り注ぐ。