ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

謎の台湾演歌男

2007-12-07 03:28:07 | アジア


 ”漢家の張四郎”

 以前から、いつかは記事にしなけりゃなあ、とは思いつつも形にならなかった物件に関しての話題です。古くなり過ぎないうちに書いてしまいます。
 ここに掲げましたのは台湾の演歌歌手、”漢家の張四郎”のデビュー・カセットです。製作年度は・・・ああ、書いてないや。もう大分前、もしかしたら十年くらいも前に手に入れたのかもしれません。

 収められている12曲はすべて日本の演歌です。”旅姿三人男”とか”無法松の一生”なんてやや古めのものから、さらに遡って”船頭可愛や””大利根月夜”あたりの戦前もの、かと思えば”北酒場”や北島三郎の”祭り”などという、いくらか新しめなものも収められている。
 まあいずれにせよ、我が国の深夜のスナックでは死ぬほどお馴染みの、ベタと言いたくなるような曲目が並んでいるわけです。

 で、それらの歌がこのカセットではすべて、台湾語と日本語、両方の歌詞で交互に歌われている。ここが面白いところ。
 たとえば1番と3番があちらで付けられた台湾語の歌詞で、2番と4番がオリジナルの日本語の歌詞で。あるいはその逆、と言う形です。カセットの背にも、”台日語専輯”なんて書いてあって、どうやらそれが”売り”の一つらしい。

 これはまあ、このカセットを手に入れてくれた人からの伝聞で、何も裏を取った話じゃないんですが、このカセットは発売当時、台湾の田舎で密かに小ヒットしたんだそうです。
 が、なにしろカセット・オンリーというマイナー世界の話ですし、ヒットと言ってもたかが知れている。そしてそもそも日本語の演歌なんか、オシャレな台北のシティボーイ&ガールは見向きもしないだろうから、台湾中央の音楽ジャーナリズムでは話題にもならず、このカセットも、歌い手の”漢家の張四郎”の話題も、歌のネタモトである我が日本に伝えられることもなかった。

 ・・・日本では誰も知りませんもんね、こんなカセット、こんな歌手。
 おそらく、このカセットを買ったのは・・・かって日本が台湾を植民地支配していた時代に何らかの感情を持つ人々、そしてそれらの人々から何らかの文化的影響を受けた人たちなんでしょうね。日本の領有時代を懐かしく思っているなんて断ずるのは問題ですから、そうは書きませんけどね。実際、もっと微妙なものでしょう。

 ともかく彼らは田舎に住み、”カセットのみ”なんて文化状況を感受している。そして、ここに収められている日本演歌の世界を”好!”と感じ、次々にこのカセットを購った。
 歌詞は、すべて台湾語ではいけなかったんですね。日本語でないと気分が出ない。とはいえ、すべて日本語でオーケイ、というほど彼らは外国語に堪能ではなかったから、カセットをかけて一緒に歌えるよう、台湾語の部分も作らねばならなかった。

 それ以上のことは言えません。ともかくこのカセットに関しては何の資料にも出会えず、何か言えばテキトーな推測にしかならないんで。

 ちなみに。台湾においては、ここまで徹底せずとも、日本の歌が一曲や二曲、アルバムの中に紛れ込んでいるってのは珍しいことじゃないのです。
 台湾語の演歌であるとか、台湾の先住山地民族(戦前は”高砂族”とかよばれました)たちの音楽なんてジャンルの中では、怪しげな発音の日本の懐メロがあるいは切々と、あるいは楽しげに歌われる様に、容易に出会うことが出来ます。

 台湾語の(つまり台湾の支配者階級の使用言語である北京語ではない)演歌や山地民族ポップス・・・そんなものを聴くのは、台湾において決して恵まれた立場にある人々じゃないですね。社会の底辺で働いていたり、少数民族としての軋轢の中に日々を送っていたり。そんな人たちが非常にディープなありようで日本の演歌を愛していたりする。この辺、チェックですね。
 (いやまあ、その一方で日本のアイドルに入れあげる少女たち、なんて風俗も台湾の都会には見受けられますが)

 カセットに話を戻します。主人公の”漢家の張四郎”は、いまどき日本でもなかなかお目にかかれないくらい粋でイナセで男らしい、キリッとした演歌歌手振りで、なかなか聞かせてくれます。
 日本語も上手いものですが、たまに発音が怪しかったりするところがある。非常にうまい外国人の日本語、というレベルでしょうか。
 ともかく予備知識なしに歌だけ聴かされたら外国人の歌う演歌だなんて、ちょっと分からないでしょうね。

 彼が自身で書いたらしい自己紹介文には、”おどうさん是日本京都人”なんて表記があり、このあたり象徴的です。父親を日本語表記する知識はあるが、”おどうさん”と、”と”に濁点をつけてしまった。日本語を教科書からではなく口伝いに習得した、これが証拠とは言えませんかね?

 彼の自己紹介文は以下のように結ばれます。”四郎最懐念日本演歌 欲更熱愛台湾民謡”と。
 彼の実像をもっと知りたいんだけれど、現在までのところ、それは叶わずにいます。その後、カセットはリリースしたんだろうか?日々、どのような活動を?などなど、興味深々なんですけれどね。何かご存知のかた、ご教示いただければ幸いです。