*** 社会のあり方を変えてゆこう ***
社会には守らなければならないルールがあります。それを教えるのは親の務めです。
しかし従来のルールには、間違ったルールもあります。時代により改めるべきルールも。
かつての社会には左利きは悪いことという考えがありました。それゆえに「矯正」と呼んで、左手使いを右手使いに改めるように指導するのが当たり前のこととして行われてきました。
しかし次第に状況は変わってきました。左利きを悪いこととみなす考えは否定されて、左利きを「矯正」しない傾向になってきました。
それでもまだ社会全体には、左利きに配慮する余裕がありませんでした。
それゆえ左利きには不都合なこと、不便なことがいろいろあります。
ところが、これらは現状においてもちょっとした配慮があれば、かなりの程度改善されるのです。
そのためには左利きの視点を持ち、社会のあり方を見直す必要があります。
これからは、右利きのみならず左利きの人にも暮らしやすいように社会の構造を変えてゆきたいものです。
一朝一夕にはできないでしょう。しかし、だからといって手をこまねいていないで、できることから改善してゆけばよいのです。
左利きに対する視点を持つ方法として、たとえば、100マス計算で問題の列を左右に配置したものを使う、といったことです。
これを使って勉強する際に、大人がちょっとした説明をするだけで、子供たちに別の立場の人の存在―左利きの存在を知らしめることができます。違う立場の人に対する配慮を持つように教えることができるのではないでしょうか。
そういう視点を身に付けた子供たちは、右利き偏重の道具や機械などに疑問を持つようになるかもしれません。
ニンテンドーDSという新しいゲーム機には、左利きモードがあると聞きます。これも同じ効果を与えるのではないでしょうか。
確かに左利きのお子さんがこの世に一人だけで、今後生れる可能性がないというなら、その子だけを特別扱いして、その子だけを変えればことは済むかもしれません。
しかし左利きの人は全人口の平均一割はいるといわれています。
これからも左利きの子供さんは生れ続けます。
また左利きになる要因の一つに「病理的成因」といわれるものがあり、たとえば高齢出産や出産時のトラブルといったことが原因のひとつであるとされています。昨今いわれる出産年齢の高齢化が左利きの子が生れる確率を上げているかもしれません。
これからこの世に生を受ける左利きの子供たちのために、左利きの子であっても生きることに苦労のない社会をつくることは大人の責任だと思います。
今、社会ではバリアフリーやユニバーサルデザインといった言葉が盛んに使われるようになりました。
実際に街を歩いてみても歩道には点字ブロックが埋め込まれていたり、建物にはスロープが用意されていたりします。
しかし、かつて障害者は健常者から排除されて生きていました。
世の中は健常者に暮らしやすいようにできているので障害者は苦労する。そこで彼らだけを隔離するのが良いという考えもありました。またその昔は、障害者は世間に出してはいけない、人に見せてはいけないもののように扱われてきました。
もはやそのような考えは否定されています。
障害者もまた健常者と同様の権利を有する一人の人間として扱われるようになりました。
健常者や障害者という言い方さえ不自然に聞こえる世の中になりつつあるように感じます。
同様に左利きも、右利きの人と同じ一人の人間としての権利を有することは明らかです。
左利きだからという理由だけで、社会的に様々な困難に合わなければならないというのは理不尽です。
障害者に優しい世の中に変えて行こうというのと同じレベルで、左利きにも優しい世の中にしなければいけないと思います。
*(関連記事)
2004.12.08 左利きを右手使いに変えさせる理由
*
左利きの子の左手使いを右手使いに変えることを指して、「利き手(左利き)の矯正」といった呼び方があります。私はこの用法は誤りであると考え、左利きにおいて「矯正」という言葉を使用しないように皆様にお願いしています。
(参照)2004.11.26「利き手(左利き)の矯正」という言葉の使用について
※本稿は、ココログ「レフティやすおのお茶でっせ」より転載して、gooブログ◆左利き同盟◆に参加しています。
社会には守らなければならないルールがあります。それを教えるのは親の務めです。
しかし従来のルールには、間違ったルールもあります。時代により改めるべきルールも。
かつての社会には左利きは悪いことという考えがありました。それゆえに「矯正」と呼んで、左手使いを右手使いに改めるように指導するのが当たり前のこととして行われてきました。
しかし次第に状況は変わってきました。左利きを悪いこととみなす考えは否定されて、左利きを「矯正」しない傾向になってきました。
それでもまだ社会全体には、左利きに配慮する余裕がありませんでした。
それゆえ左利きには不都合なこと、不便なことがいろいろあります。
ところが、これらは現状においてもちょっとした配慮があれば、かなりの程度改善されるのです。
そのためには左利きの視点を持ち、社会のあり方を見直す必要があります。
これからは、右利きのみならず左利きの人にも暮らしやすいように社会の構造を変えてゆきたいものです。
一朝一夕にはできないでしょう。しかし、だからといって手をこまねいていないで、できることから改善してゆけばよいのです。
左利きに対する視点を持つ方法として、たとえば、100マス計算で問題の列を左右に配置したものを使う、といったことです。
これを使って勉強する際に、大人がちょっとした説明をするだけで、子供たちに別の立場の人の存在―左利きの存在を知らしめることができます。違う立場の人に対する配慮を持つように教えることができるのではないでしょうか。
そういう視点を身に付けた子供たちは、右利き偏重の道具や機械などに疑問を持つようになるかもしれません。
ニンテンドーDSという新しいゲーム機には、左利きモードがあると聞きます。これも同じ効果を与えるのではないでしょうか。
確かに左利きのお子さんがこの世に一人だけで、今後生れる可能性がないというなら、その子だけを特別扱いして、その子だけを変えればことは済むかもしれません。
しかし左利きの人は全人口の平均一割はいるといわれています。
これからも左利きの子供さんは生れ続けます。
また左利きになる要因の一つに「病理的成因」といわれるものがあり、たとえば高齢出産や出産時のトラブルといったことが原因のひとつであるとされています。昨今いわれる出産年齢の高齢化が左利きの子が生れる確率を上げているかもしれません。
これからこの世に生を受ける左利きの子供たちのために、左利きの子であっても生きることに苦労のない社会をつくることは大人の責任だと思います。
今、社会ではバリアフリーやユニバーサルデザインといった言葉が盛んに使われるようになりました。
実際に街を歩いてみても歩道には点字ブロックが埋め込まれていたり、建物にはスロープが用意されていたりします。
しかし、かつて障害者は健常者から排除されて生きていました。
世の中は健常者に暮らしやすいようにできているので障害者は苦労する。そこで彼らだけを隔離するのが良いという考えもありました。またその昔は、障害者は世間に出してはいけない、人に見せてはいけないもののように扱われてきました。
もはやそのような考えは否定されています。
障害者もまた健常者と同様の権利を有する一人の人間として扱われるようになりました。
健常者や障害者という言い方さえ不自然に聞こえる世の中になりつつあるように感じます。
同様に左利きも、右利きの人と同じ一人の人間としての権利を有することは明らかです。
左利きだからという理由だけで、社会的に様々な困難に合わなければならないというのは理不尽です。
障害者に優しい世の中に変えて行こうというのと同じレベルで、左利きにも優しい世の中にしなければいけないと思います。
*(関連記事)
2004.12.08 左利きを右手使いに変えさせる理由
*
左利きの子の左手使いを右手使いに変えることを指して、「利き手(左利き)の矯正」といった呼び方があります。私はこの用法は誤りであると考え、左利きにおいて「矯正」という言葉を使用しないように皆様にお願いしています。
(参照)2004.11.26「利き手(左利き)の矯正」という言葉の使用について
※本稿は、ココログ「レフティやすおのお茶でっせ」より転載して、gooブログ◆左利き同盟◆に参加しています。