もうちょっと前の話になりますが―。
前回書いた記事
2014.10.20 左利きの憂鬱における左手・左利き用カメラの情報
のTwitter告知を見た人から返信をいただきました。
そこに書いたこと、書き切れなかったことなど、まとめてみました。
(まだTwitterの使い方がよく分かっていないので、反応が遅くなってしまったり、ご迷惑をおかけしているかもしれませんが、ご容赦!)
●Twitterに書いたこと
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レフティやすお @lefty_yasuo ・ 10月20日
(私への返信)《右手でシャッターを押さざるを得ない苦しみは、左利きにしか解りませんよね。》
左利きが右手でシャッターの違和感、これはまさに当事者にしかわからない感覚だと思います。
適当な比喩が見つけられないのですが、何とも言えない感覚ですよね。
楽器も同じです。左用の楽器がもっと出てくればいいのに。
そうすれば、気持ちよく素直に楽しめるはずです。
(私への返信)《ただ、デジイチ愛用者のご意見としては、「右手はシャッターを押すだけ、絞りその他の繊細な動作は左手でやらざるを得ないので、実は左利き向きなのでは?」というお話もありました。》
よくある勘違いです。
よ~く考えて欲しいのですが、もし本当にそうなら、どうしてその逆に作らないのでしょうか。
楽器でもそうです。「ギターなど弦を押さえるのに利き手の方が有利だろう」と言いますよね。
実は利き手とそうでない方の手では役割が違うのです。
(先の続きですが)脳科学者の久保田競さんの著作にあります。
点字を読むのは、右利きの人の場合左手の方が優秀だと言います。
大工さんは右手で鉋をかけ、左手でその木肌をなでて確認します。
それは、利き手でない方の手は感覚器官で、利き手は作用の手だというのです。
(続き)だから、利き手でない方の感覚に長けた手で、弦を押さえレンズを調節するのです。
利き手は作用を行う手で、意思や思いを発揮する手です。
シャッターや弦を弾くことが主体的行為で、レンズや弦の調節は補助的行為です。
「利き手は心につながっている」私の持論です。
--
*参考:
2004.09.15 『脳を探検する』久保田競
・『脳力を手で伸ばす』久保田 競 (PHP文庫 2010/6/1)
●ついでに、言っておきたいこと
前回の記事の末尾でも書きましたように、
--
【私の「心のプラカード」】
=左利きなら左手でシャッターを切れ!
心に訴える写真を撮りたいなら、心で撮れる利き手で撮れ! なぜなら、《利き手は心につながっているから》。
もう一つ言えば――
心に訴える音楽を演奏したいなら、利き手で演奏しろ! なぜなら、《利き手は心につながっているから》。
右利きの人はなぜ右手でシャッターを切るのか、なぜ右手で弾くのか演奏するのか、を考えてもらえばわかるはずです。
それが利き手というものなんですよね。
--
私自身、「利き手は心につながっている」が持論です。
多分、片手利きの度合いが低い人から見れば、「?」かもしれません。
偏りの度合いの強い人ならでは、の感覚かもしれませんね。
しかし、多くの人(少なくとも半数以上の人)は共感できるのではないか、と考えています。
●本当にやりたいことと心の満足
だからこそ、もっと左右共用できる製品を、それが難しい場合(ハサミのような片刃構造の刃物類)では左右両タイプを作り、供給して欲しいと思うのです。
そうでないと、心の満足というものが得られません。
もし右利きの人が、左手でしか弾けない楽器があったら、どうでしょうか。
きっと欲求不満を感じるのではないか、と思います。
色つきの絵を描きたいのに、色絵の具が使えなかったら、どうでしょうか。
白黒でもコントラストを工夫すれば、それなりに色の変化を想像させることができるとは思います。
しかし、それは間接的な表現です。
本当にやりたいことではないはず。
心から発する思いを利き手で表現する、それがどんな部門においてもできるような、そんな左右平等な社会になって欲しいものです。
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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
「左手・左利き用カメラの情報Twitterに書いたこと」を転載したものです。
(この記事へのコメント・トラックバックは、転載元『お茶でっせ』のほうにお願い致します。ただし承認制になっていますので、ただちに反映されません。ご了承ください。)
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前回書いた記事
2014.10.20 左利きの憂鬱における左手・左利き用カメラの情報
のTwitter告知を見た人から返信をいただきました。
そこに書いたこと、書き切れなかったことなど、まとめてみました。
(まだTwitterの使い方がよく分かっていないので、反応が遅くなってしまったり、ご迷惑をおかけしているかもしれませんが、ご容赦!)
●Twitterに書いたこと
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レフティやすお @lefty_yasuo ・ 10月20日
(私への返信)《右手でシャッターを押さざるを得ない苦しみは、左利きにしか解りませんよね。》
左利きが右手でシャッターの違和感、これはまさに当事者にしかわからない感覚だと思います。
適当な比喩が見つけられないのですが、何とも言えない感覚ですよね。
楽器も同じです。左用の楽器がもっと出てくればいいのに。
そうすれば、気持ちよく素直に楽しめるはずです。
(私への返信)《ただ、デジイチ愛用者のご意見としては、「右手はシャッターを押すだけ、絞りその他の繊細な動作は左手でやらざるを得ないので、実は左利き向きなのでは?」というお話もありました。》
よくある勘違いです。
よ~く考えて欲しいのですが、もし本当にそうなら、どうしてその逆に作らないのでしょうか。
楽器でもそうです。「ギターなど弦を押さえるのに利き手の方が有利だろう」と言いますよね。
実は利き手とそうでない方の手では役割が違うのです。
(先の続きですが)脳科学者の久保田競さんの著作にあります。
点字を読むのは、右利きの人の場合左手の方が優秀だと言います。
大工さんは右手で鉋をかけ、左手でその木肌をなでて確認します。
それは、利き手でない方の手は感覚器官で、利き手は作用の手だというのです。
(続き)だから、利き手でない方の感覚に長けた手で、弦を押さえレンズを調節するのです。
利き手は作用を行う手で、意思や思いを発揮する手です。
シャッターや弦を弾くことが主体的行為で、レンズや弦の調節は補助的行為です。
「利き手は心につながっている」私の持論です。
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*参考:
2004.09.15 『脳を探検する』久保田競
・『脳力を手で伸ばす』久保田 競 (PHP文庫 2010/6/1)
●ついでに、言っておきたいこと
前回の記事の末尾でも書きましたように、
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【私の「心のプラカード」】
=左利きなら左手でシャッターを切れ!
心に訴える写真を撮りたいなら、心で撮れる利き手で撮れ! なぜなら、《利き手は心につながっているから》。
もう一つ言えば――
心に訴える音楽を演奏したいなら、利き手で演奏しろ! なぜなら、《利き手は心につながっているから》。
右利きの人はなぜ右手でシャッターを切るのか、なぜ右手で弾くのか演奏するのか、を考えてもらえばわかるはずです。
それが利き手というものなんですよね。
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私自身、「利き手は心につながっている」が持論です。
多分、片手利きの度合いが低い人から見れば、「?」かもしれません。
偏りの度合いの強い人ならでは、の感覚かもしれませんね。
しかし、多くの人(少なくとも半数以上の人)は共感できるのではないか、と考えています。
●本当にやりたいことと心の満足
だからこそ、もっと左右共用できる製品を、それが難しい場合(ハサミのような片刃構造の刃物類)では左右両タイプを作り、供給して欲しいと思うのです。
そうでないと、心の満足というものが得られません。
もし右利きの人が、左手でしか弾けない楽器があったら、どうでしょうか。
きっと欲求不満を感じるのではないか、と思います。
色つきの絵を描きたいのに、色絵の具が使えなかったら、どうでしょうか。
白黒でもコントラストを工夫すれば、それなりに色の変化を想像させることができるとは思います。
しかし、それは間接的な表現です。
本当にやりたいことではないはず。
心から発する思いを利き手で表現する、それがどんな部門においてもできるような、そんな左右平等な社会になって欲しいものです。
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※本稿は、ココログ版『レフティやすおのお茶でっせ』より
「左手・左利き用カメラの情報Twitterに書いたこと」を転載したものです。
(この記事へのコメント・トラックバックは、転載元『お茶でっせ』のほうにお願い致します。ただし承認制になっていますので、ただちに反映されません。ご了承ください。)
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