goo blog サービス終了のお知らせ 

とのさま不経済新聞 by 雲葉

「よるのとのさま」から改題(2013年2月1日)

涙の川崎南武線

2014年09月04日 | とのさまの休日
  そんな演歌はありません。 ありませんからね 検索するなよ。m9(・∀・)

  中原電車区で道路沿いの留置線に新車E233系が停まってたので撮ってきました。もうしばらくしたらイヤでも撮れるようになるんですけどね。

  意味不明なエンブレム
  言われても意味不明なイラスト
  車庫を往来する在来車(205系、写真上)と

  新車導入記念として、この車輌であなたの夢を叶えますなんて企画も実施するみたいです(募集は終了してます)。

  遊び心も結構ですけど、その予算をいくらかでも平日夜間の増発に回していただけないものか。それが拙者の夢ですよ。

  マジメに考えるなら昔の101系や103系みたいな色とりどりのツギハギ編成とか。(絶対考えた人いると思う)

  ついでと言ってはですが7月末まで実施されたヘッドマーク編成で、7月1日付記事に掲載していない他の2編成の写真も載せておきます。

  17番編成川崎方(武蔵中原駅にて)
  同、立川方(武蔵中原駅にて)
  34番編成川崎方(川崎駅にて)

ギャラリー雲葉(雪の目蒲線篇)

2014年07月13日 | とのさまの休日
  まだ梅雨も明けやらぬ関東ですが暑さ本番を前に雪景色をどうぞ。撮影日はいずれも1994年2月12日、機材はミノルタα7700iでスノークロスフィルターを使用しています。

  

  冒頭写真と上下の3枚は目黒駅にて。この時点ではすでに7000系は撤退し、せっかく投入された新車1000系も池上線へ転属、7200系が4両編成で出戻って再び中古車の寄せ集め路線になりました。

  

  
  7200系(奥沢にて)

  その7200系も「<__>_>_>」(右が目黒方)という先頭車のみの編成もあり、まるっきり気動車寄せ集めのローカル線という風情でした。

  
  不動前駅から目黒方

  この日もかなりの降雪でしたけど、追突やら屋根の崩落はありませんでした。 しかもあちこち大雪で交通マヒなんて新聞見出しが出るようでも東急線は通常通りでしたね。せいぜい東横線が急行運転を中止したくらい。タフだったんですよ、昔は…。

南武線はどこに行くのか

2014年07月01日 | とのさまの休日
  ぼくらの南武線(笑)にヘッドマーク付き編成が登場しました。方や川崎市制90周年記念(冒頭写真)と、方や「つなげる つながる なんぶせん」というもの。「つなげる~」はワッペンにもなって駅員さんが胸元に付けています。

  

  「つながる」は分かるんですけど「つなげる」がよく分からない。東京から出る放射路線を横に結ぶ連絡線のような役割なのであちこちつながってます。不動産屋の表記なら47路線とつながってることになりそうです。(※下欄参照)

  一方で基本的に川崎と立川との間を行ったり来たりするだけなので、何と「つなげる」んでしょう? 方向幕も線内のものしか装備していませんし。もしや土休日だけでも川崎発大月行きの出現とか、、、需要あるのかな。

  アップで

  さて、そんな南武線にも新車(E233系)の足音が近づいてきました。103系撤退から僅か10年で新車とは大したものでしょう。となると入れ替わりで最初に離脱するのはどの編成か、超マニヤ的な予想を立ててみます。

  ◎32番編成→209系唯一となったインバータ制御装置未換装車
  ○4番編成→国鉄時代製造と民営化後製造車の混結編成(ドア窓の大きさが異なる)
  ▲17番編成→横浜線から移籍の増発用応援編成(正面行き先表示がLED)
  ×50番編成→中間車4両が在籍車輌の中で最も古い(1985年製)

  編成番号は両先頭の窓左上に表示されています。この記事の写真にある「46」がそれです。

  なおヘッドマークは3本の編成に今月末まで装備される予定です。

  それもいいけど、平日の夜、もっと増発できない?


※浜川崎:鶴見線
 八丁畷:京急本線、空港線、逗子線、久里浜線、浅草線、京成本線、押上線、北総線、成田スカイアクセス線
 川崎:東海道本線、京浜東北線(根岸線含む)
 武蔵小杉:横須賀線、湘南埼玉ライン、総武線、成田線、東横線、目黒線、みなとみらい線、トーチカ南北線、三田線、埼玉高速鉄道線、副都心線、西武有楽町線、池袋線、東上線
 武蔵溝ノ口:田園都市線、大井町線、半蔵門線、伊勢崎線、東武日光線
 登戸:小田原線、多摩線、江ノ島線、箱根登山線、千代田線、常磐線
 稲田堤:相模原線
 府中本町:武蔵野線、京葉線
 分倍河原:京王本線、高尾線、都営新宿線
 立川:中央線、青梅線、五日市線、富士急行線
  (他に同名の路線がある場合を除き社名は略しました。また大糸線や内房線などのレアケースも省きました)

ギャラリー雲葉(バス篇)

2014年06月25日 | とのさまの休日
  今回はバスを。

  冒頭写真は愛媛県新宮村(現四国中央市←誰が考えたんだよ)の堂成バス停です。村の中心からさらに4kmほど。車庫に乗務員の宿泊施設まで併設された立派な“駅”でした。この先を少し歩いたところに脇製茶場があります。運転手さんに教えていただき、それ以来今でもお付き合いがあります。かれこれ四半世紀超ですか…。香りが良く、なかなかおいしいお茶だと思っています。静岡茶や知覧茶などクセの少ないお茶に慣れていると違和感があるかもしれません。

  

  同じく愛媛県、こんどは西へ移り河辺村(現大洲市)でのひとコマ。運転手さんに撮っていただきました。場所はです。

  

  撮影日は1988年3月22日とありました。四国ワイド周遊券で2回目の四国一周旅行中で、四国旅客鉄道の鉄道、バス路線全線(高速バスを除く)を制覇しました。厳密に言うと未乗の支線がごく少数あったものの廃止されてしまい“在宅完乗”に近いのですが。今では松山や土佐山田付近に僅かを残すのみのバス網ですが、当時は香川県に観音寺、高知県に窪川、佐川、徳島県に鍛冶屋原、愛媛県に川之江、大洲、伊予日吉といった営業所を持ち、かなりの規模を展開していました。

  

  1990年1月4日、内房線館山駅前にて。ここは今も国鉄バスが数多く残り、未乗路線もあるので制覇しに行きたい所です。でもあまりに近いと宿泊するほどでない、といって1日で終わるかどうか。

  

  何の“列車代行”かというと、奥羽本線福島‐山形間での改軌工事のため列車を2日間全面運休させたときのものです。山形から乗り、米沢までは山形交通が、それ以南はジェイアールバス東北が担当しました。米沢以南は峠を除く各駅へ寄る便のほかに、時刻表にはなかった福島直行便もあったのですがせっかくなので前者へ。11月上旬ということで紅葉が綺麗な箇所もあり、農道のような道を通ったりどこをどう通ったのかさっぱり分かりません。 でも二度とない、忘れ難い旅です。

  

  1998年11月24~29日にかけて東京都が主体となって行なった、蒲田駅と京急蒲田駅とを結ぶシャトルバス実験です。無料とはあってもギャラリーばかりで乗る人は少なかったような。結局は素通りされる商店街が難色を示したそうで、今では一般路線バスが100円の特定運賃を設定しています。

  

  恒例(?)の“おまけ”。 高知県四万十町(旧大正町)の「ミュージックトイレ」です。入るとさとう宗之作曲の「四万十の青き流れ」が流れます。“出したもの”が曲に合わせて流れていくわけではありませんので念のため。「ふるさと創生」の1億円で作ったのかなんなのか。酔った勢いで、というわけではないでしょうが。

ギャラリー雲葉(機関車牽引列車篇)

2014年06月23日 | とのさまの休日
  今回は今や数少なくなった機関車牽引列車です。冒頭写真は廃止が決まったトワイライトエクスプレスです。撮影年月が1990年4月とあり、そのころに関西へ行った覚えはなく、北陸のどこかの駅と思われます。走っている場所が場所ということもあり、乗ることなく終わりそうです。「日本海」は新津から木古内まで乗っているのですが。

  

  こちらは廃止されて久しい「みずほ」です。なぜか撮影年月が入ってませんが記録を調べたら1994年11月29日です。場所は三島‐沼津間のようでした。東京発の九州ブルトレは全く乗っていないのではないかな。

  

  趣向を変えて貨物列車を。場所は予讃線の伊予西条駅だったかな。(あやふや) 1987年8月か88年3月と思われます。このころに四国ワイド周遊券で旅行しており、そのときに撮ったものです。最後尾につながる車掌車も見かける機会はほとんどなくなり、今の子どもたちは知らないのではないでしょうか。形式の「」というのは用務車の頭文字とのことです。

  

  続いて同じく今はなき客車普通列車を。場所は磐越西線です。当時の東北にはまだまだ客車普通列車が数多く走っていて、秋田発新津行きなんてのもあり、6時間40分かけて乗り通したことも。カーブ区間で編成側面を撮る手法を当時の鉄道ジャーナル誌が多用していたため、仲間内では「ジャーナル撮り」と称していました。

  

  こちらは北海道で。小樽‐岩見沢に1往復だけ残っていた客車列車です。客車列車の出発合図は車掌と運転士(機関士)で無線を使ってするのが一般的でしたが、ここでは電車や気動車のような電鈴式(ブザーボタンを押す)が用いられていたのが印象的でした。

  

  同じ列車を後方から。左に立つ車掌さんが無線機を下げていません。

  

  釧網本線の「ノロッコ号」です。“日本一遅い列車”がキャッチフレーズでした。

  

  こちらはたまたま、豊橋駅でつかまえたもの。都営12号線(現大江戸線)に搬入される車輌の甲種輸送を捕らえました。

  

  最後に“おまけ”を。1975年の東京の地下鉄路線図です。都営浅草線、三田線の名前はまだなく、東西線は駅が少ないし千代田線も代々木公園まで。40年近くたち、ずいぶんと変わりました。個人的には「ソーブン堂」の名前も懐かしいです。

ギャラリー雲葉(東急目蒲線篇)

2014年06月17日 | とのさまの休日
  実家へ行ったらちょいと懐かしい写真が出てきました。かなり枚数あるので何度かに分けてご紹介します。何卒ご高覧のほどを。

  なお、ネガではなく印画紙をスキャンしたので褪色もあり、また技術も未熟なのはご勘弁ください。

  冒頭写真は1988年秋から登場した旧3000系の旧塗色です。戦後から昭和40年ごろまで使われてたとのこと。1989年3月の引退までこのカラーで走りました。最後は3000系全車を目蒲線に集めて、それのみで10日間運用するという、もはやスケールとしては最初で最後であろう“引退興行”が行なわれました。といってもヘッドマークなどの飾りつけも一切なく、それはそれで味がありましたね。

  撮影場所は大岡山‐奥沢間、機材はペンタックスSPです。細かいデータは記録していませんが色補正フィルター程度は使用しています。

  

  こちらが標準色のライトグリーン、場所は多摩川園駅(当時)です。

  

  3000系よりも前に東急を去った5000系です。場所は奥沢検車区(当時)でホームから撮りました。譲渡先の地方私鉄からの要望とはいえ、新性能車を撤退させて旧式のツリカケ駆動車が残りました。

  

  こちらは7200系、撮影日は1995年1月29日とあります。場所は大岡山‐奥沢間、機材はミノルタα7700iです。当時はスピードを出す区間だったのでタイミングやシャッター速度設定の難しさはありましたが線路より高い位置から撮れるので好きなスポットです。

  

  おまけと言いますか、日比谷線から東横線に乗り入れてくる営団3000系、場所は田園調布駅です。向こうにはやはり日比谷線に直通する東急7000系が見えます。こちらはペンタックスで撮りました。撮影年は1988年秋頃ではないかと思われます。日吉駅で折り返していた日比谷線直通列車が同駅工事のため菊名まで延長されました。

横浜開港記念日記念

2014年06月02日 | とのさまの休日
  今日は横浜開港記念日とのこと。といって人混みに行く気は起きません。なので近所にある横浜にちなんだ店に行くことにしました。

  行き先はどん亭新城店、南武沿線道路と宮内新横浜線との又玄寺(ゆうげんじ)交差点前にあります。(冒頭写真

  余談ですがこの近辺の地域名(字名)は「大谷戸」(おおがやと)と言います。バス停名称は「大ヶ谷戸」と“ヶ”が入ります。由来を調べたら大谷戸小学校のサイトに行き当たり、「 きなな心で  んばる子  さしい子  もだちいっぱい」の頭文字を取ったそう。

  いくらなんでも後から考えたこじつけでしょう。 RCサクセションの由来、“ある日(バンドを)作成しよー”くらいしょーもな、いやなんでもありません。

  しかしこの一帯はどこから見ても平坦地で、どこに“谷戸”があるのかという疑問が生じます。多摩川の流れが変わり今の状態になる以前の話でしょうか。

(閑話休題)
  ここへ来るのは実に約10年ぶり。転居して間もないころは店名に懐かしさがあって足を運んでましたがいつしか遠のきました。そのころは宮内新横浜線も以北は未開通ながら建物は今と同じ、道路ができることを見越した状態でした。よくぞ残ってくれていたというべきか。

  なぜここが横浜にちなんでいるのかというと、経営する(株)富士達の本社が横浜市神奈川区にあるのです。かつては確か東白楽駅前にも店舗があり、大学生のころはしばしばお世話になったもの。ところが今や川崎市内にここと高津駅近くの2店のみ、あとはなぜか沖縄に3店あるそう。そのため沖縄のローカルチェーンと思っている人も少なくないそうな。(どん亭のサイトでは4店ありますが今年に入って1店閉店したそう)

  六角橋にあったかなと頭をひねると、今は郵便局の場所が当時はすき家で(同級生が一時期バイトしてた)、その並び少し白楽駅寄りの場所に牛丼やカレーの店があったのを思い出しました。おそらくそこもどん亭だったのでしょう。今は同じ経営母体の焼肉店になっているようです。

  さてさて何を食べようか。もはや大食できるほどの齢ではないので日替りサービスの唐揚げカレー並(390円)にします。ビの字もあるけど缶なのでパス。

  日替りサービスメニュー

  すでに15時近くですが先客は4人、グループはおりません。食券を買ってカウンター席に腰を落ち着けると直に出されます。揚げ過ぎ感のある唐揚げが“ならでは”でしょうか。もはや懐かしいなどの感慨もあまりなく、雰囲気を楽しんで店を後にしました。

※参考:はまれぽ.com 2014年5月18日付

街歩きの果てに

2014年06月01日 | とのさまの休日
  横浜の様々な謎を解き明かすウェブマガジン「はまれぽ.com」にキニナル投稿を始めて3年となりました。いつもいつも愚にも付かない素朴な疑問に手を煩わせており、この場を借りて改めて深く御礼申し上げます。本当にありがとうございます。


  では今日までに拙者の投稿から調査され掲載された記事を以下に記します。(投稿日順、タイトルはリンク設定されています)

  市バス27系統にはなぜ2つ終点があるの?(掲載:2011年7月1日、投稿日:同6月12日)

  港北区のユウレイ階段は数えるたびに段数が違うって本当!?(掲載:2011年10月19日、投稿日:同9月1日)

  【まとめて報告vol.7】(掲載:2012年1月13日、投稿日:2011年11月10日)
  『年賀はがきの神奈川県版の絵柄は毎年毎年みなとみらいばかり。県内には鎌倉や箱根など名所も多いし横浜市内でも他にいろいろあるはず。なぜみなとみらいばかりが選ばれるのでしょう。』

  駅や役所入口で鳴っている誘導鈴は市内で何種類あるの?(掲載:2012年2月23日、投稿日:同1月21日)

  「川崎アプローチ線」計画は今後どうなる?(掲載:2012年9月9日、投稿日:同2月19日)

  野毛山動物園は無料なのにどうやって入場者を数えているの?(掲載:2012年4月4日、投稿日:同3月3日)

  上永谷駅付近にあるトンネル入り口「日野隧道」、出口はいったいどこ?(掲載:2012年4月20日、投稿日:同3月12日)

  横浜独自の「市民酒場」。誕生した経緯や現状は?(掲載:2012年11月11日、投稿日:同4月4日)

  なぜそんな店名になったのか、港北区にある「との様飯店」!?(掲載:2012年6月24日、投稿日:同6月10日)

  【まとめて報告vol.15】(掲載:2012年9月28日、投稿日:同6月25日)
  『鶴見区の「あ株式会社」というのが昔からキニナっていました。公式サイト http://www.a-yokohama.com/ があることが最近になって分かったのですが、ネーミングはもちろん、会社概要にある経営方針のひとつに「人を雇わない」とあり、ボランティアのみで運営されているそうです。どういう人たちが無償で働いているのでしょう。』

  アンケートの指す「横浜」ってどのエリアのこと?(掲載:2013年5月26日、投稿日:2012年9月28日)


  疑問の元になった件はこのえにっきで登場するものも多いです。例えば日野隧道は2006年7月31日付、ユウレイ階段は2009年6月29日付、横浜ってどこ?というのは2008年5月14日付などです。「まとめて」についてはタイトルがないため元の投稿文をそのまま転記しました。「市民酒場」は吉田類の酒場放浪記で、横浜の某市民酒場(といっても今や3軒しかない)を訪れた際にナレーションされていたことが元になりました。

  こうして見ると、自分以外に誰が得するんだろうという話ばかりのような。

  でもこういうサイトは貴重だと思います。最近秀逸と思った記事は5月16日付「昭和歌謡『ブルー・ライト・ヨコハマ』の「とてもきれい」と歌われた「街の灯り」の場所は一体どこ?」です。何気なく聞いてきた歌に深いドラマがあった、記事はもちろんそれを掘り起こした投稿者さんにも敬意を表したいです。

  近ごろの掲載はありませんね、というと当たり前。昨年はいろいろ思うところあって投稿を完全に休んでいました。4月よりぼちぼちと再開しております。サイトへの投稿数も激増したため取捨選択から取材、掲載までかなり時間を要するようになっているようです。

  投稿前に自己解決したネタもありまして。

  このえにっき2007年8月28日付で横浜市内の「妙蓮寺」は5か所と書きました。それは港北区菊名2丁目、旭区善部町、都筑区川和町、磯子区田中1丁目、瀬谷区阿久和西2丁目です。それぞれの関連性ついては検索でもあるていど分かります。

  中区の本牧通りで、通りと交差する道とで交差点名称が違うケースがあったなと調べたら、「本牧町一丁目」(通り側)と「本牧1丁目」(交差する道)でした。結果として些細なことですが地図に掲載するとなるとどっち?という話になるので強烈な印象で残っていたのだと思います。

  今後も自己解決したネタがあればここで記していきたいと思います。(一例→2012年4月17日付、百貨店の価格表記について)

金馬

2014年05月26日 | とのさまの休日
  落語家ではありません。

  横浜高島屋で開催されている「大黄金展」に嫁はんと行ってきました。(26日まで、ヨコハマ経済新聞5月22日付記事

  お目当てはというと実物大で作られたという名馬「オグリキャップ」です。

  まずはエレベータに乗って8階の催事場へ。警備員も立つ物々しい雰囲気の中へ踏み込むと、案内兼営業という感じの掛員がやってきます。何気なく購入を勧める口調はさておいてここにも小さいながらオグリキャップ製品が置かれています。他の馬はいません。並み居る数々の名馬を差し置いてなぜオグリキャップなのかという疑問を単刀直入にぶつけると、まず今年は午年なので馬を作りたかった。そこへ馬主さんととあるご縁があり作製の許諾をいただいたと、そういうことらしい。こうしたものを作るとなると、版権やらいろいろ大人の事情があるのだろう。

  それだけわかれば長居は無用。展示品の中には千両箱なんてのもあり、“山吹色の茶菓子”が中に。いわゆる“全国銘菓”ですな。ダミーでいいから傍らに置いてみたい。そして酒を口にしながら「さすが越後屋、悪どいのう。ウハハハハ

  1階へ戻って正面玄関へ。オグリくんとご対面!

  この勇姿
    武豊騎手のサインも

  最期はあっけなかったですが、こうしてみると凛々しいですな。嫁はんいわく、サラブレッドの中ではひょうきんな顔立ちとのこと。血統も“トビタカ”のため子孫の声を聞くこともないそうな。

  ところでこれは本物とどちらが重いのでしょう?

  会場を後にして桜木町へ。横浜線からの電車を待っていたら、もはや数少なくなってきた205系が来ました。(冒頭写真も)

     

  撤退間際とはいえ汚れ放題の感は否めません。もう少しキレイにしてあげなよ。 まだ“葬式組”もおらず落ち着いて撮れました。

  ランドマークプラザを散策し、お昼は「ぴおシティ」へ。おなじみになりつつあるゴールデンもつで定食と、ここへ来たら生ホッピーを。舌鼓を打ち家路につきました。

  もはや直さない?

10年目に突入!

2014年02月22日 | とのさまの休日
  このえにっきも2005年2月24日に開始して丸9年となります。飽きもせず続けられるのも訪問してくださる皆様のおかげです。ありがとうございます。

  一時期150IP程度に落ち着いていたアクセス数も、この頃は200前後、多い日は250IPにまでなります。PV数も平均して500前後と、特に宣伝も何もせず、新記事の告知もツイッターに1回流すだけですから、懲りずにご来訪くださる方がいるんだなと感謝に絶えません。

  第1回は横浜市泉区へ地図調査の仕事へ言った話。始めたきっかけ自体が、仕事先でお昼に何を食べたかの記録が目的でした。それがやがて日記になり、今となっては我ながらも貴重な記録になりつつある記述もあります。

  さて冒頭写真は拙者のアカウントにもなっている「国鉄101系電車クモハ101形」です。撮影日は2003年12月12日で、南武線浜川崎支線での営業運転を終え、鶴見線での引退興行前に中原電車区で留置されているときでした。「武蔵溝ノ口」の行き先幕は珍しいでしょう。なお反対側は「稲城長沼」でした。

  十数年前にイベントでこの編成が川崎―登戸を何往復か走ったことがあり、1日乗車券も出たので乗りに行きました。意外とガラガラでした。みなさん撮影に忙しかったのでしょうか。乗っていては撮れませんからね。

  これからも新記事は不定期に書くことと思います。過去記事を探して、あの店はどうなってるのかなと再訪してみるのもいいかなと考えています。とりあえずは横浜18区再訪の残り3区を来月までには片付けたいところです。

  それではよろしくお願い申し上げます。

どないかな?

2014年02月21日 | とのさまの休日
  パソコンとともに10年使ったプリンタが電源が入らないようになり、観念して近所の電器屋で新しいのを買いました。諭吉さんでかなりお釣りが来るほどの安いものですけど、そんなハイスペックは必要ないので。

  スキャナ機能があるので試してみました。ついでに実験がてらここにも載せてみます。それが冒頭写真です。もちろんフィルムからではなく印画紙に焼いてあるのを取り込みました。

  元が四つ切サイズなのでやはりけっこう大きいですね。 ずっと家の玄関に飾っているのでいささか褪色もしています。

  撮影日は1996年1月1日の早朝、カメラはミノルタ(当時)α7700iです。このクモハ12形はその年の3月に引退しましたが、この日は人影もまばらで正月も休みなしの通勤者だけ。今は無き鶴見線武蔵白石駅の大川行き専用ホームを“独占”しました。

  古い写真はかなりあるし、今さらながら壁紙にする楽しみができました。目下の新たな悩みは、フィルムのDPEを請け負ってくれる店がなかなかなくなってしまったことです。 紙を捨ててしまってネガだけのもかなりあるので。

こどもですから(^_^;

2014年02月09日 | とのさまの休日
  昨日の話です。

  雪になるとはしゃぐのは子どもやポチくんばかりではないわけでして、いい齢したオッサンもウキウキします。 昔から雪になると“出動”して線路脇でカメラを構えていたもの。ですが体調がいまひとつということもあり、買い物に出たついでに南武線だけ撮りました。(冒頭写真

  雪中の205系も最後かもしれませんし。

  

  快速は運休して、所定ではその前を走る登戸行きが立川行きに変更されていました。でも表示のシステムは変えられないのでしょうか。これでは後続の各停に登戸で抜かれると誤解する人が、いないと思いますけどね。昔の東横線みたいではありますが。 (※元住吉や日吉で日比谷線直通が東横線各停に抜かれる(あるいはその逆も)というケースがあった)

  

  夕方には下りの中原始発が設定されたようです。快速が運休した運用の帳尻合わせでしょう。

  20年ぶりの大雪ということでしたけど、そこそこ遅れや運転見合わせは出たものの、今回はどの路線も頑張って走ったのではないでしょうか。

いただきもの2点

2014年01月23日 | とのさまの休日
  愛知県の親戚からカレンダーを頂きました。 トライエックス社発行で「スーパー新幹線」というタイトルです。

  2013年12月

  めくるといきなり0系とは キャプションには「0系こだま」とありますけど、正面窓の表示を見ると西日本所属(当時)の「ひかり」用NH編成ですな。一時期東海道区間で「こだま」としても乗り入れてきました。ひかり号からの撤退間際に小倉から名古屋まで乗ったのが懐かしい…

  2014年1月

  今年に入って1月は200系です。ダブルデッカーも今は昔、ビュッフェで食事したのもいつの日か。拙者は東の新幹線では200系と400系しか乗ったことありません。なにせ機会がないし。2月以降は現役車輌が続きます。

  その親戚からは「オカザえもんクッキー」もいただきました。見た目はシュールですが中にチョコレートが入りなかなかおいしかったです。

  その「オカザえもん」ですがプロフィール設定では1972年7月1日生まれの41歳、って齢下かよ

  話は変わって冒頭写真について、北海道へ行った妹がKitacaを買ってきてくれました。(右はケース) manacaSUGOCAもあるので、これで交通系ICカードは5種類目と、実に自然体です。

  北海道といえばこのところ何かと世間を騒がせていますけど、もともと長大な路線網を持ちながら人口希薄地帯が多く利用がさほど見込めないところへ高速道路千円など鉄道を追い込む政策ばかり取ってきたのですから、どこかで無理が生じるのは専門家でない拙者ですら容易に理解できます。

  といって急に利用や収入を増やす特効薬などないし、拙者も北海道へ行きたい気持ちはあれど先立つものや時間もなかなか。

  てなわけで交通費や買い物の支払いにできるだけ使うことで、決済手数料が入るようになるのではないでしょうか。ま、ささやかながら。

今年の検索ワードからの目立った点

2013年12月31日 | とのさまの休日
  国有放送の朝ドラは1秒も見なかった、というと正確ではなく、7~8秒は見た。何かの拍子にテレビをつけたらそこにチャンネルが合わさっていたというだけ。それでもその短い間に「じぇじぇじぇ」の名調子は聞けたのだから、よほどグッドタイミングだったろう。というわけで世間に見られた“あまロス”なるものには縁がない。

  むしろ暮れに入ってかしぶち哲郎、そして今日になって大瀧詠一(リンクは朝日新聞デジタルの記事)と、拙者らの世代なら青春を彩ったビッグネームの訃報が相次いだ。悔やまれてなりません。

  さて本題。

  世相を反映することはほとんど書かないので、時事ネタで検索来訪というのは元々少ないです。それでも150~200IP超のご来訪が日々あるのですからありがたいことです。

  そうはいっても「笹山団地」と「東急ストア パスモ」はもはや検索の双璧です。コメントもなく、毎日毎日何が知りたいのか、もはや呆れ返ってます。後者についてはかなり情報も集まったので近々公開の予定でいます。

  他には元住吉で営業再開した「けんもつ屋」ですかね。ここも新年は6日からのようです。店主さんがあまりネット上にあれこれ書き込まれるのを好まないようなので、ここでも不必要なことは書かないようにいたします。あしからずご了承ください。ただ店主さんはじめ皆さん感じのいい方ばかりで料理も美味しく気に入っており、たまにしか行かれませんがこれからも足を運ぼうと思います。

  拙者個人としての今年最大の出来事は、『東横線日比谷線直通電車の終了』でしょう。通学、通勤、そしてプライベートにと永い間お世話になりました。東横線内にもホームに簡易式の柵の設置が進み、これで日比谷線用の車輌は臨時列車としても入れなくなったわけです。

  冒頭写真3月15日付に掲載したものの再掲です。別れを惜しみつつ今年を終えたいと思います。

  皆さまにとっても2014年が良い年でありますように。

暮れの元気なごあいさつ

2013年12月30日 | とのさまの休日
  去る28日のこと、アルカード国道こと「国道下」へ。当初は24日に行く予定だったのが風邪の兆候か喉は痛いわ頭は重いわで見合わせ。幸いにして大事には至らず、ということでやり直し。16時半過ぎに入ると今年最後の営業のせいもあるのかすでにご常連で満席の大盛況。奥のテーブルに相席させていただくことができました。

  煮込みとレモンサワー

  ご常連さんと歓談もして1時間少々で退出、仕事で来られない嫁はんに焼鳥をお土産に、すっかりお元気になられたママさんからも挨拶をいただきました。なお新年は6日からとのことです。

  そして今日は嫁はんと。年末恒例と化した浜マーケットへと向かいます。

  国電を根岸駅で降りて駅前の東急ストアへ。久しぶりに来たら店内のレイアウトが変わり、制服も黒地の“悪の秘密結社風”(笑)になってます。(女性店員は「くのいち」との説も) レジもpasmo端末が置かれてます。飲み物を調達しておきました。

  徒歩でまずは相鉄ローゼンに入り五一わいん他を求めます。なぜか相鉄ローゼンでもここでしか扱ってません。(他で取扱店がありましたらお教えいただけると幸いです) 今日はポイント5倍(酒類は3倍)であれうれしや。

  浜マーケット、国道側入口(冒頭写真は磯子小学校側入口)

  さて、横浜に5~6か所あると言われている“三大商店街”ですが(笑)、規模は小さいながらここも負けてはいません。まずはアーケードを抜けて磯子小学校側の青果店へ。中ほどの精肉店はいつも行列ができてますね。でもここからは買って帰れないので諦めてます。

  国道側にも八百屋があるけど、拙者個人としてはこちらの店を推します。もちろんそれぞれ見比べて求めればよかろう。

  戦利品

  白菜4分の1、小松菜1袋、ナス5本、ミニトマト1パックと買い、千円で余裕でした。後で家の近所のスーパーに行ったら目の玉が飛び出すほどだったのでいい買い物だったでしょう。

  そしてお目当てのおなじみ伊勢元で蕪の甘酢漬けなど。ここのがいちばん甘すぎず口に合います。嫁はんは葉トウガラシを所望しました。他に塩辛も。帰ってから食べたらどれもうまい。

  マーケットを後にしてバスで移動。立錐の余地もなさそうな110系統を見送り、直に来た113系統に。最後部に腰を落ち着け、八幡橋の交差点を左折すると、後輪付近から破裂音とともに「シューシュー」と空気が抜けるような音も。どうやら歩道の縁に当ててパンクしたよう。運転手は営業所に電話して、滝頭に代車手配かなと思うもこのクルマは磯子持ち。どうやら運行に支障なさそうなので数分停まっただけで再開しました。ずいぶんタフですな。

  横浜橋で降り、横浜に7~8か所あると言われている“三大商店街”のひとつ横浜橋通商店街へと入り込みます。さすがすごい人通り。ですが道路の3分の1ほどまで迫り出して商品を陳列する店もあるのはいかがなものか。そこだけ極めて通行しにくいし。

  実は買い物よりもお目当ての昼食をと思ったのですが、行ってみると店頭販売のみで店内の飲食スペースは物置と化している。時節柄しかたないか。 それではとアーケードを抜けて、夏以来となる「磯村屋」の暖簾をくぐります。

  夏以来の「磯村屋」

  夏と同じく焼きそばとおでんを。今回は大根があります。 小さなお子さん連れが2組、お行儀良く楽しんでます。そして帰り際には元気良く「ごちそうさま!」と。親御さんしっかりしてます。ヤングがひとりで入ってくるのに嫁はんは感心しきり。まぁ昔からの顔なじみなら学校帰りにタムロしてたかもしれないし(実際にそんな雰囲気の店)慣れたものだろう。でもそういうお店も減りましたな。今はファストフードチェーンがそれに代わってるのでしょうか。

  新年は5日から営業とのことです。そして再びバスで横浜駅へ。せっかくだし、もう2か所ほど寄ってみます。

  これを見ると年の瀬を感じます(青木橋歩道橋で)

  ほとんど期待していなかった「みのかん」が開いていたのにオドロキ。今日が最終営業で昨日も日曜ながら開いていたよう。どうやら市場に合わせているようだ。こちらは新年は6日からです。

  最後はここもおなじみ幸ヶ谷公園へ。ニャンコはいるけど撫でさせてくれないのばかり。逃げるわけでもないんですけどね。ややあって白が現れました。

   

  珍しく後姿をパチリ。

  高島山隧道を通って反町駅から家路につきます。隧道は大晦日の夜は終夜開放だそうです。

  今年もよく働き、よく飲んだ…