とのさま不経済新聞 by 雲葉

「よるのとのさま」から改題(2013年2月1日)

ギャラリー雲葉(機関車牽引列車篇)

2014年06月23日 | とのさまの休日
  今回は今や数少なくなった機関車牽引列車です。冒頭写真は廃止が決まったトワイライトエクスプレスです。撮影年月が1990年4月とあり、そのころに関西へ行った覚えはなく、北陸のどこかの駅と思われます。走っている場所が場所ということもあり、乗ることなく終わりそうです。「日本海」は新津から木古内まで乗っているのですが。

  

  こちらは廃止されて久しい「みずほ」です。なぜか撮影年月が入ってませんが記録を調べたら1994年11月29日です。場所は三島‐沼津間のようでした。東京発の九州ブルトレは全く乗っていないのではないかな。

  

  趣向を変えて貨物列車を。場所は予讃線の伊予西条駅だったかな。(あやふや) 1987年8月か88年3月と思われます。このころに四国ワイド周遊券で旅行しており、そのときに撮ったものです。最後尾につながる車掌車も見かける機会はほとんどなくなり、今の子どもたちは知らないのではないでしょうか。形式の「」というのは用務車の頭文字とのことです。

  

  続いて同じく今はなき客車普通列車を。場所は磐越西線です。当時の東北にはまだまだ客車普通列車が数多く走っていて、秋田発新津行きなんてのもあり、6時間40分かけて乗り通したことも。カーブ区間で編成側面を撮る手法を当時の鉄道ジャーナル誌が多用していたため、仲間内では「ジャーナル撮り」と称していました。

  

  こちらは北海道で。小樽‐岩見沢に1往復だけ残っていた客車列車です。客車列車の出発合図は車掌と運転士(機関士)で無線を使ってするのが一般的でしたが、ここでは電車や気動車のような電鈴式(ブザーボタンを押す)が用いられていたのが印象的でした。

  

  同じ列車を後方から。左に立つ車掌さんが無線機を下げていません。

  

  釧網本線の「ノロッコ号」です。“日本一遅い列車”がキャッチフレーズでした。

  

  こちらはたまたま、豊橋駅でつかまえたもの。都営12号線(現大江戸線)に搬入される車輌の甲種輸送を捕らえました。

  

  最後に“おまけ”を。1975年の東京の地下鉄路線図です。都営浅草線、三田線の名前はまだなく、東西線は駅が少ないし千代田線も代々木公園まで。40年近くたち、ずいぶんと変わりました。個人的には「ソーブン堂」の名前も懐かしいです。

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4 Comments

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おやおや (もそもそ)
2014-06-24 04:35:59
 鉄道を愛し、郵便貯金に強くなろうと誓ったにちがいない雲葉クンにも、乗っていない列車があったとは!これはいかがなものかと、僕は思う。猛省をうながすとまでは言わないけれど、できたら今からでも、寝台列車に乗って、ていねいな車内改札(「検札」ではない!)を受けてほしいものである。
 食堂車のない列車を降り立った駅の売店も開いておらず、仕方がないので駅前のなんでも屋でパンを買ってもそもそとかじったことを思い出したことである。
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九州への道 (雲葉)
2014-06-25 12:02:30
ドリーム大阪+急行「みささ」とかムーンライト高知を岡山で乗り捨てなど、変な経路ばかりですな。
12年前の新婚旅行でもサンライズ瀬戸を岡山で降りて鈍行乗継とか。(笑)
大阪発着のブルトレは何度かありますけど。
「金星」なんて乗りたいときには廃止されてましたし。
ところで、駅前に何でも屋は全国至る所にあるんですね。(汗
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Unknown (けんもつ)
2014-06-27 14:46:20
ジャーナル撮り 笑
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ジャーナル撮り (雲葉)
2014-07-01 20:05:38
>けんもつ氏
固定窓や開いても少しという車輌が増え、さらに2両や3両編成では意味ないですかね。(笑)
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