現代能楽集Ⅵ『奇ッ怪 その弐』を見る 補足
2日の改訂版
*投稿したあと、ずいぶん慌てて書いたように思って、なにかこのままではいけないということになった。大した違いはないような気もするが、またそれで分かりやすくなるとも思わないが、やらせてもらいます。
「役者」さんから「もう少し踏み込めないのか」とのコメントをいただいた。期待に添えられるだろうか。いくつか忘れていたこともあった。また、私たちが冒しがちな誤りも自覚しておきたいとも思った。しかし、「死」をめぐる私たちの思いはきっと終わることがない。親鸞の弟子の質問に対する嘆き、驚きとしてもそれは残されている。
「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房、おなじこころにてありけり」(歎異抄)
私たちの「死」への不安は、ある時には「憧れ」のように見えて、それで不謹慎かと思ったりする。そのことでそれが「死」からの解放と思うと、結局また同じ場所に戻っている。そうして心細い思いに、膝を抱えたりする。この堂々巡りは私たちの「死」に対する変わることのない態度だ。同時にこのどうにもならないという気持ちは、もしかしたら私たちが「死」というものに近づいていけるのではないか、という気持ちを作っているとも言える。
我が家の話になる。自宅の小さい庭で、気がつくとせっせとアゲハの幼虫が木の葉(山椒ではなかった)を食べてすっかり丸裸にしてしまっていた。体中を緑にして大きくなった幼虫は、サナギになることもなく忽如として姿を消した。多分、通りかかった小鳥の餌になってしまったのだ。私たちはこの蝶の生涯を思う。運が悪かった、もう少しで大空を舞うことが出来ただろうに、いや今度は蜘蛛の餌食になったのかも知れない、別な庭で思いがけず自分の伴侶と遭遇し子孫を残したかも知れない等々。そして、いや幼虫はそんなことを知る由もない、幼虫はそれでまっとうな生涯を送ったのだ、とも思う。
「死」は、少しずつ時間をかけて人間の上に降りかかるかと思えば、この蝶のように思いもかけず訪れる。それは本人の「覚悟」とは別な場所で用意されている。思いもかけないその出来事に私たちは驚き、慌てる。仮にその「覚悟」を用意してくれた「死」の場合でも、その瞬間は一体何が起きたのか分からず逡巡する。この「何が起きたのか分からない」気持ち・経験は、小さい頃経験した「どうにも出来ない(出来なかった)」恐怖や不安と似ている気がする。何も見えない暗闇や、道に迷った時や、いつの間にかとんでもないところにきてしまったと思った時の恐怖(芥川龍之介『トロッコ』の良平がそうだった)など、それで私たちは闇雲に家に向かって走ったり、母親の懐に飛び込んだり、布団の中で恐怖におののいたりした。強風があたりを揺るがし、柱も傾いたあばら家の雨戸を叩いて暴れれば、あるいは同じことだが、自然体としての人間が、抗うことの出来ない何かに接した時、私たちは無抵抗に、黙って震えているしかなかった。それは、愛してやまない親や家族を失くした時の「一体誰を責めればいいのか分からない」「どうすることも出来ない」気持ちに似ているのかも知れない。
今回の震災は、自然の理解し難い姿として私たちの上に大きくのしかかって、私たちに恐怖の闇となり、未だ私たちの歩みを止めている。そして、多くの人々が「愛する者の死」という理解し難い出来事を同時に経験している。「自然がもたらした死」と「死という自然な姿」の両方を私たちは手にして、解決しないといけなくなっている。
「死者は死んでいない」とは、別な表現で「炎は燃えていない」「水は濡れていない」という範疇に置き換えてもいい。「死者は死んでいない」とはおそらく「体は死んでも魂は残る」だの「残された者の心に生きる」だの「歴史に名を残す」とかいうことではない。炎が燃えていることを知らないと同様、「死者」は自分の「死」を知ることがない。周囲が「分かったつもりでいる」だけだ。そのことをこの舞台では
「この人たち(死者)は自分が死んだということを知らないみたいだよ」(山田(仲村トオル))
と言っていたようだ。それは「死者」が分かっちゃいないとか、成仏してほしいとかいうことではない、もっと「死」に寄り添った場所があるんだ、と言っていたように思う。もっと「死」が私たちの近い場所にあるんだということを言っていたように思うのだ。
結局「比喩」の問題としてしか扱えないのが「死」と言えるし、逆に「向こう側」からはずっとそういう問いかけがなされているとも言える。しかし、このことは科学者の間でよく言われる「比喩(詩)という表現は、科学のずっと先端にまで到達している」ということとは違っていると思う。
2日の改訂版
*投稿したあと、ずいぶん慌てて書いたように思って、なにかこのままではいけないということになった。大した違いはないような気もするが、またそれで分かりやすくなるとも思わないが、やらせてもらいます。
「役者」さんから「もう少し踏み込めないのか」とのコメントをいただいた。期待に添えられるだろうか。いくつか忘れていたこともあった。また、私たちが冒しがちな誤りも自覚しておきたいとも思った。しかし、「死」をめぐる私たちの思いはきっと終わることがない。親鸞の弟子の質問に対する嘆き、驚きとしてもそれは残されている。
「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房、おなじこころにてありけり」(歎異抄)
私たちの「死」への不安は、ある時には「憧れ」のように見えて、それで不謹慎かと思ったりする。そのことでそれが「死」からの解放と思うと、結局また同じ場所に戻っている。そうして心細い思いに、膝を抱えたりする。この堂々巡りは私たちの「死」に対する変わることのない態度だ。同時にこのどうにもならないという気持ちは、もしかしたら私たちが「死」というものに近づいていけるのではないか、という気持ちを作っているとも言える。
我が家の話になる。自宅の小さい庭で、気がつくとせっせとアゲハの幼虫が木の葉(山椒ではなかった)を食べてすっかり丸裸にしてしまっていた。体中を緑にして大きくなった幼虫は、サナギになることもなく忽如として姿を消した。多分、通りかかった小鳥の餌になってしまったのだ。私たちはこの蝶の生涯を思う。運が悪かった、もう少しで大空を舞うことが出来ただろうに、いや今度は蜘蛛の餌食になったのかも知れない、別な庭で思いがけず自分の伴侶と遭遇し子孫を残したかも知れない等々。そして、いや幼虫はそんなことを知る由もない、幼虫はそれでまっとうな生涯を送ったのだ、とも思う。
「死」は、少しずつ時間をかけて人間の上に降りかかるかと思えば、この蝶のように思いもかけず訪れる。それは本人の「覚悟」とは別な場所で用意されている。思いもかけないその出来事に私たちは驚き、慌てる。仮にその「覚悟」を用意してくれた「死」の場合でも、その瞬間は一体何が起きたのか分からず逡巡する。この「何が起きたのか分からない」気持ち・経験は、小さい頃経験した「どうにも出来ない(出来なかった)」恐怖や不安と似ている気がする。何も見えない暗闇や、道に迷った時や、いつの間にかとんでもないところにきてしまったと思った時の恐怖(芥川龍之介『トロッコ』の良平がそうだった)など、それで私たちは闇雲に家に向かって走ったり、母親の懐に飛び込んだり、布団の中で恐怖におののいたりした。強風があたりを揺るがし、柱も傾いたあばら家の雨戸を叩いて暴れれば、あるいは同じことだが、自然体としての人間が、抗うことの出来ない何かに接した時、私たちは無抵抗に、黙って震えているしかなかった。それは、愛してやまない親や家族を失くした時の「一体誰を責めればいいのか分からない」「どうすることも出来ない」気持ちに似ているのかも知れない。
今回の震災は、自然の理解し難い姿として私たちの上に大きくのしかかって、私たちに恐怖の闇となり、未だ私たちの歩みを止めている。そして、多くの人々が「愛する者の死」という理解し難い出来事を同時に経験している。「自然がもたらした死」と「死という自然な姿」の両方を私たちは手にして、解決しないといけなくなっている。
「死者は死んでいない」とは、別な表現で「炎は燃えていない」「水は濡れていない」という範疇に置き換えてもいい。「死者は死んでいない」とはおそらく「体は死んでも魂は残る」だの「残された者の心に生きる」だの「歴史に名を残す」とかいうことではない。炎が燃えていることを知らないと同様、「死者」は自分の「死」を知ることがない。周囲が「分かったつもりでいる」だけだ。そのことをこの舞台では
「この人たち(死者)は自分が死んだということを知らないみたいだよ」(山田(仲村トオル))
と言っていたようだ。それは「死者」が分かっちゃいないとか、成仏してほしいとかいうことではない、もっと「死」に寄り添った場所があるんだ、と言っていたように思う。もっと「死」が私たちの近い場所にあるんだということを言っていたように思うのだ。
結局「比喩」の問題としてしか扱えないのが「死」と言えるし、逆に「向こう側」からはずっとそういう問いかけがなされているとも言える。しかし、このことは科学者の間でよく言われる「比喩(詩)という表現は、科学のずっと先端にまで到達している」ということとは違っていると思う。