kotoba日記                     小久保圭介

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人=言葉

2020年05月02日 | パンデミック
  

暑い
昨日から
電気ヒーターも
電気毛布の親分もお休み

上着もやめ
今袖をめくっている

窓を開ければ
風が通る
いっきに部屋が乾燥する

流行病でバタバタしている間に
おっと
夏だ

4月30日付けの中日新聞夕刊で
文月桾]があった
伊藤氏貴氏という方が
担当されている

これがなかなか
面白い
文学の流れが
図形(ピラミッド型というか箱型)にしてあって
言いたいことが判りやすい

そしてテーマは古井由吉
もちろん
今の流行病の中でという枠組みで
書かれてある

これからちょっと楽しみです

最近
ガチの文学云々を読む機会を失い
いけない言い方をすれば
流行病はまるで
長いドキュメンタリー映画を
毎日見ているような気になってくる

その時
もう一つの手法
文学が
どうこの長大なドキュメンタリー映画に
関わってこれるか

きっと
伊藤氏がいうように
もう少し
時間がかかる
どころか
かなり時間がかかると
思う

文学賞自体がなくなったとか
選考会が延期になったとか
小説を書く人の
モチベーションさえ
失われそうな勢いの流行病

たとえが不謹慎で稚拙でいけないのけれど
戦争として
今の現状を捕らえた場合
小説の切り口も
歴史から示唆されるだろう

あまりにも
切り口が多く
それぞれが
この流行病自体をテーマというより
パンデミックの中で
わたしたちの生活を書く
それが
一番
素直だ

日常が
非日常になっている
それは311でもわたしは感じたし
戦争中
戦後
それぞれが
いろんな価値観で
作品を書いてきた

軍医は医療従事者という
設定はあまりにも凡庸に過ぎるけれど
たとえとしては
間違ってはいないだろう

個々人が生活者であり
軍人と化しているなか

言葉はどうなってゆくのか

伊藤氏の文月桾]が気に入ったのは
どストレートに
「ことば」だと言っていることです

言葉はこの
流行病の中で
どうなっているのか
ゆくのか

わたしは迷うことなく
言葉が書きやすい
どんな切り口からでも
この日記が書ける

というか
パンデミックにかかわっていない記事は
いっさい書けないというのが
実情だ
これは
311とまったく同じ

パンデミックは
あまりにも大きな
世界
まだ
始まったばかり

こんなことがあるなんて
去年末
誰も予測がつかなったし
これから起きることも
まったくわからない

南半球が危ない
それはわかる
仮に
南半球の国
バングラデシュやアフリカが
国として
滅んでしまったら
地球全体が
だめになる
そう警告したのは
ノアハラリ氏である
だから
地球規模で
あらゆることを
共有しなくてはいけない

押谷仁氏も
最初の時から
南半球への
医療経済支援をしないといけない
先進国が自国のことばかり考えているうちに
グローバルの中で
自国が立ちゆかなくなる
そう両者は警告する

ワクチンはまだ一年半はかかるという
それまで
わたしたちは
どう防御してゆくのか
パンデミック以前のようには
いかない

どんなふうに変わるのか
経済が
文化が
医療が
人が

無理に文学として考えることは
そうとう無理がある
文学という枠組みさえ
流通においてのみ
パンデミックは壊している

人は人の心でできている
ここを押さえておけば
大丈夫

パンデミックなんてまったくなかったように
戦争中
稲垣足穂みたいに
自身の世界に埋没したほうが
かえって長く読まれる

時代を取り入れる否か
そこはむつかしい

70年代
まったく政治的な
意味をふくまず
音楽を続けた人たちの方が
結果
今でも聞かれることになっている

ただ当時は
急進的ではなかったから
彼らは
反発されただろうけれど

ただそこには音があった
同様に
パンデミックを一切描かず
ただそこに
『言葉」があった
という鋭敏な手法もある

含みとして描く
それができればいい


文学は以前のように
社会への影響力はないし
急進的な表現手段でもない
だからこそ
めちゃくちゃできる
だからこそ
普遍性が生まれる作品が
できやすい

目はカメラ
そういったのは誰だったか
カメラ=万年筆
そう言ったのはヌーベルバーグの誰だったか

見る
聞く
書く
空想する

今よく思うのは
断腸亭日乗
荷風は淡々と
書いた
戦争批判をした
隠して書いた
後世のため
空襲があると
断腸亭日乗のノートだけ持って
逃げた

文学者に学ぶ

アンネの日記を書いた
それも同じ

これから何が起きるか
わからない
ただ
今まで通りだとは
間違っても
思ってはいけない
思ってもみなかったことが起きる

長大なドキュメンタリー映画
パンデミックは

第二章
二次的な被害が
描かれつつあり
そこには
暴力と差別が
のっしのっしと
大通りを歩くような
そんな気配さえある

気をつけろ

理性で越えてゆくのが
人間だ








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