kotoba日記                     小久保圭介

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神道と仏教

2020年01月11日 | 生活
コーヒーを飲みながら
カフカ先生は突然言った
「小久保君は熊野に明るいと言ったから訊くけれど、何故、本宮は社が二つあるのですか」
さっそくスマホで調べたけれど
スカッとする答えは見つからず
カフカ先生は
「今一つ、納得できない」
と言い
「今度お会いするまでに調べておきます」
と答えた

それから神道と仏教の話になり
「伊勢のあたりで、お寺の仏像の背後に、普段はカメラが入ることができない場所に、天照大御神が祀ってあった。つまり仏が神を守る、ということだそうです」
と話の流れで
発言すると
「なるほど」
とカフカ先生は興味深そうに笑った
「日本は八百万の神だからね。なんでもかんでも神さまにしちまう。このコップだって神にする」
「そうですね。無機有機を分けず、台所の神さまとかいろいろですね」
「熊野というのはどうですか」
とカフカ先生が言う
「熊野本宮の祠には、今は取り外されてしまったけれど、ある時期まで、祠の右側に祀ってある木札がありました。そこには阿弥陀如来、薬師如来や菩薩の名前があった。あれにはさすがに驚きました」
カフカ先生は驚いて、笑った。

黄泉の国、蘇りに地として熊野があります
「西方浄土というのは日本だけだろうね」
カフカ先生は、いつも話さない仏教、神道のお話をされた
カフカ先生は30年、椿大社に行く
理由を訊くと
「何度でも行きたくなるんだ。ホットスャbトだな」
そして一年、暇さえあれば千羽鶴を折り、厄払いではないけれど一年の厄を持って、収めに行くという。だた神社なので千羽鶴はすぐに外されてしまうらしいけれど、今年は断られなかった。

わたしは知らなかったけれど、千羽鶴というのは死者を弔うものなのだそう。
カフカ先生は、たくさんの人を思って鶴を織り、糸に通す。
「千羽鶴というのは、千羽なくても糸に通せばそれを千羽鶴といいます」
カフカ先生は続ける
「小久保君は、古事記をちゃんと読みなさい。フィクションとして最高に面白い。日本の神話は読んでおいて損はないはずだ」
「はい」

わたしは答えた

あと神倉神社で会った絵解き比丘尼さんの話や、若いときにのぼった山岳及び山岳信仰、木と木が話す声、それはひとりでのぼっているときに、よく聞こえたらしい。
「うるさくてしょうがない」
とカフカ先生は笑う

カフカ先生は常に感受性ということを優先しない。まずlogicありき。
その他として、feelingということを言う。
木と木がぺちゃくちゃしゃべっていることも当たり前に言う。
「コンデャ塔fンスだ」
とカフカ先生は言い、
「交感と言えばいいか、そんな感じだ」

カフカ先生は今自分が持っていることを話すけれど、自分が持っていないものへも常にアンテナが向いていて、学問においての言語がコミュケーションに変わりつつある今、それを肯定的にとらえる。その柔軟性を端的にあらわす。
「そういう時代になった」
と抗わない。
批判しない
そこに沿う
今まで狽チた教養とはまったく違う方向性であっても
それが時代ならばそこに沿う
グローバルというのも海外を飛び回るカフカ先生は体感的に知っている
つまり
常にラディカルでいる
その粋

人はいくつになっても
変われるし変われない
それをカフカ先生の生き方から
透かして
見ている


コメント
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