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kotoba日記                     小久保圭介

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桃の実の熟す時

2020年01月05日 | 読書
  


文兼ッ人誌『じゅん文学』101号 2019年11月発行

秋乃みか著『桃の実の熟す時』を読み終える

手と手が結ぶ
挿絵の導入は
堀田明日香氏


役者の奈良岡朋子氏の動画を
昨日見ていて
「役者なのに役者じゃない人がたくさんいる」
と言った
どういうことなんだろう
と思い
続きの発言を待った
「心がない演技をしている役者がたくさんいます」
と続いた

すぐに役者を作家に変換した
「心がない作品を書く作家がたくさんいる」

これでも常にわたしは小説のことを考えている
重ねて思い出したのは
高橋源一郎が破天荒な作品を書くにあたって
「心を込めて書いた」
と言っていたことだ
訳のわからない文学であっても
心を込めて書く
ということが
あの前衛作家の主獅ナあることは今でも変わらない

今回
拝読させてもらった秋乃みか氏もまた
その例にもれず
心がある作品を
書き続ける作家の一人である

この作品には心しかない
自然界が数多に過ぎるほど
執拗に描かれ
嫌でも
わたしたちは
自然界の一部分に過ぎないことを
思い知らされる

人間を書くのが小説
それは心の内というのは
小説でしか描けない
と発言したのは主宰の戸田鎮子氏

その人間の心の内すら
秋乃みか氏は自然界に戻してゆく
それはわたしたちが空から来て
空に帰ってゆく
その過程を
人社会を小さく描きつつ
自然界の一部分としての
言語
性交
貧富を題材として
人種差別という伏線を示しつつ
長野の閉鎖する村の成り立ち
その時代を刻んでゆく
ところがそれは全部
人間が考え
組織化し
啓蒙し
思想まで作り
その脆弱さを
久爾(くに)という登場人物が
「根拠なし。科学ありき」

すべてに理があり
理が判らぬことは
迷信や信仰の対象としたことを
暴き貫くが如くである
科学が証明したと同時に
迷信も信仰も消え
理がまかり通る
それが人間社会の脆弱さである
常に法律は変わり
常識は変わる

時代が変われば
ありえないことも
時代を追って描くことで
暴いてゆくことが可能だ
それを理として描くのではなく
主義として描くでもない
小説という情で描くこと

最近の秋乃氏の作品に
頻繁にあるテーマは
死者への弔いである
生きるものは
常に死者たちに語りかけ
答えを問う
それはいくら
科学が進んでも
おそらくシンギュラリティの時を越えても
科学では立証できない最後の分野であるに違いない
文学の残された役割の一つである

この作品にも
そのテーマがありそうで
実はそこにテーマがあるわけではなかった

『桃の実の熟す時』は
永劫の中で常に熟しつつあり
移りゆく
おだやかな語り部が
日常を描きつつ
実は計り知れぬ自然界の中の
出来事に過ぎない人の思いや暮らしを
人間中心主義から
<自然に>逸脱し
風景の中に
すべての登場人物が消えてゆく

あの雲の上から来て
あの雲の上に帰ってゆくまで
人は何をするのか
それはただ一つのことだ
それを知り
実行する仕事こそ
この世に生れて
問われた答に他ならない
それはあまりにも平明であり
不自然なほど
わたしたちが言うに戸惑う
人類愛である

人が人を思いやるということ
心を込めて書くということ

日輪は海からのぼり
それは光だ
光の中で
わたしたちが
何を見るか
目ではなく
脳は太陽の光から
何を受け取るか
その答が
最後に告げられて
この作品は終わる

もののあわれ
そして
自然界を日本人ほど
文化に取り入れている民族は
世界中の中でも稀有だ
そのことを現代人は
忘れて
構造主義にならざるを得ない

庭とgardenは違う
「庭は宇宙という意味もあるんです」
と言ったのは吉増剛造である

外国人の目で見ろ

言ったのは中上健次である

自動化作用という言い方をして
常に見ているものを脳は新しい情報ではない
として瞬時に切り捨ててゆく
たとえば
点字ブロックの点字の数
自動化作用が起きている
そのことに気をつけろ
と言ったのは大江健三郎だった

自然界の執拗に過ぎる描写は
映像の方が勝っているかもしれない
けれど
秋乃みか氏は
見ている
花の陰影さえも
水の流れの細部も
冬の寒さの皮膚感覚も備える

作家
多和田葉子は末メに言う
「言葉遊びをカットしないでほしいのです」
これが小説の色彩である

いかんせん
秋乃氏の作品は色彩に欠ける
けれど
墨絵の如く
墨の濃い薄いの微調節は絶秒であり
地味ではあるけれど
カラフルに飽きた時
人は犬の目に写る
モノクロの世界に
新鮮さと
実質を見出すことに
喜びを感じる
秋乃みか氏は
確実に
日本文化を継承する
墨絵の陰影作家の一人である
ところが
今回の作品は
最後に
あまりにも鮮やかな日輪を描き
モノクロに橙をぶち込んだ
海の力を導入した
または自身の中にある
『海』を顕在化させることに成功した

アンドレイ・タルコフスキーの
スローなカメラアングルで
日本社会の閉鎖性と共に生きる人々と
自然界のいちいちを捕らえ
セリフを削り
映画に撮ってみたい欲望が
美しいラストシーンの余韻として
残った

秋乃氏もまた
長野の村社会で
女性性の確立以前に生き
それを当然ととらえ
因習であるにもかかわらず
それを強いられた女性だろうし
のちに「違う」と
女性性に目覚め始めた
一人であろう

国境なき
日本という島国に発生した因習は
未だ消えることはなく
見えぬ場所で
現存しているのが実態である

ゆるやかに
または激しく
因習に抗うこと
記述すること

「母もまた、見えぬ差別の中で生きていた」

上野千鶴子の発言を最後に加えておきたい



寒風 吹く音

2020年01月05日 | 生活
  


お正月休みも今日で終わり
ああ短い
完全に寝正月をかましたった
昼3時間は毎日寝ていた
あれ
こんな予定じゃなかったんだけど

今日は寒い
室内を乾燥させぬよう
洗濯物を吊るし
電気ヒーターからは
スチームで湯気を
湿度が下がり始めたら
空気清浄機の加湿ボタンを押すだけ

昨日
やっとたまった
新聞も読み終え

2020年は始まる